1話
前回の話
長ーい実家での安静生活が始まった訳ですが、一人目のときほど一日一日が長くは感じませんでした。
なぜなら、娘がいたから
実家メンバーは皆仕事をしているため、平日の午前中は大体娘と二人きり。
娘の朝食の世話、オムツ替え、着替え…。
安静とは一体…
午後になると母が仕事から帰ってくるので、娘のことはお任せ。
この頃の娘は気に入らないことがあると、すぐ癇癪を起こしてなかなか手がかかる状態でした(今も)
相手をしてくれた母には本当に感謝です。
なんとか日々を過していましたが、
切迫早産はゆっくりと進行していきました。
20w5d、頚管27ミリ。
26w5d、頚管23ミリで内側から開きかける。
内服に加え、毎週黄体ホルモンの注射。
30w5d、頚管15ミリ、入院
入院になって担当医に言われた一言。
先生「(子宮頚管)縛っておけば良かったのに」(2回目)
私「」
30w5dの診察がクリアできれば、娘の誕生日を一緒に祝うことができたのに叶いませんでした
病棟に上がる前に母から荷物を受け取り、娘とお別れのハグをしました。
2歳前の娘は、1ミリも状況を理解してなさそうでした。当然だけど。
理解できる年齢で、泣く泣く別れるよりも良かったのかなと思うことにします。
娘は私の実家から、家族3人で暮らしていた元の家に戻ることになりました。
旦那は仕事があるので義母がきてくれることに。
癇癪娘を相手に日中ワンオペ育児で本当にありがたいやら申し訳ないやら
娘は楽しそうに過しているみたいです。
ウチの娘、構ってくれるなら誰でも良いみたいで、パパと離れていてもママと離れていても平気です。
まぁ別に良いけど、ちょっと寂しいよね
そして入院生活が始まったのでした
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