浅尾拓也さん その③ | co・co・ro・jiyu

co・co・ro・jiyu

心に思い浮かんだことを、自由に書きたいなと思っています。

 プロ野球選手になるまで

 

 地元のリトルリーグ→野球の強豪高校→

 ①プロ野球

 ②大学野球

 ③社会人野球 というのが普通のコース

 

 しかし、浅尾拓也さんは愛知県知多市の公立中学では

 軟式野球部に所属し、高校は地元の公立高校で野球部

 に入る。高校も無名、本人も全く知られていない存在だった。

 

 彼自身もプロに入りたいという気もなく、それほどの気合を

 持って練習に打ち込んでいたとは言えず、途中でやめ

 ようかと思うこともあったらしいが、先生に諭され野球は

 続ける。もちろん甲子園など遠い存在だった。

 

 ずっとキャッチャーをやっていたが、高3の時チーム事情に

 よりピッチャーになったこと。これが彼にとって一つの転機

 となる。もしキャッチャーのままだったら、きっとプロ野球

 とは縁がなかったことだろう。

 

 唯一声のかかった日本福祉大学に進学し、だんだんと球速が

 上がり150キロ以上が出るようになる。有名でも強くもな

 かったチームを大学の3部から1部にまで昇格させ、

 ノーヒット・ノーランを達成してる。徐々に無名の浅尾投手

 がプロのスカウトの目に留まることに。

 

 きっと、指導者やチームメートに恵まれていたのだろう。

 特に下半身を鍛え、4年間努力を積み重ね、成果を上げて

 いくうち次第に彼自身にも、プロ野球選手になれるのでは

 ないかという思いが芽生える。

 

 その思いが確かな目標となり、2006年ついに地元愛知の

 中日ドラゴンズに指名され入団。中日以外のチームから指名

 されれば拒否し、社会人野球のほうに行くと言っていた。

 

 彼が願った通り、2007年ドラゴンズの投手として第一歩を

 踏みだすことになる。ここまでのストーリーは、やはり異色

 だと言える。今ではめったにないことだろう。

 

 続きはその④で。