映画「空海」を見て | co・co・ro・jiyu

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心に思い浮かんだことを、自由に書きたいなと思っています。

娘が見たいというので、映画館へ。

 

 唐の時代、玄宗皇帝と楊貴妃、そして安禄山の反逆のお話。

見終わったあと、この映画のくくりは何?と親子3人で考えた。

歴史スペクタクル、壮大なロマン、伝奇的映画、CG映画、どれも

ピッタリこない。どの要素ももっている。

 

 落ち着いたのが、歴史ファンタジー。楊貴妃と玄宗皇帝の栄華と

没落のお話は、今まで幾度となく、あらゆるジャンルで描かれてきた。

世界三大美人の一人とされている楊貴妃、高校時代、漢文の先生が

解説してくれたことを思い出す。

 

 楊貴妃は、目鼻立ちのはっきりした美人というより、フェロモンにあふれていた、玄宗皇帝はメロメロになり政治がおろそかになった。楊貴妃が贅のかぎりをつくしたなど。しかし、一番官能的だと感じたのは

長恨歌の中の二人で入浴しているくだり。なまめかしく,湯けむりの

中での様子が想像できた。それで、今でも記憶に残る。

 

 映画は、現実と非現実。愛と憎しみ、陰謀と忠義。それらのコントラストが魅力的で、映像の華やかさと恐ろしさが交互にやってくる。

主役の染谷将太さんが、色白ですがすがしい青年空海を演じる。

シニカルで、動じない心を持ちながら、慈愛あふれる僧侶を演じる。

 

 空海は、日本における真言密教の祖として、今も人々の信仰を

集める。空海は、讃岐、今の香川県の生まれで、彼が巡った足跡が

今も四国八十八カ所参りとして脈々と続いている。遣唐使船に乗って

荒波に翻弄されながら、命からがら唐にたどり着き、密教の教義を修め、また命からがら日本に帰国する。彼の人生そのものが、ロマンに

満ちたものだと思う。

 

 フランシスコ・ザビエルも、死にそうになりながら、長い航海を耐え抜いてキリスト教(カトリック)を日本に伝えた。遠い東の果てにある小さな国までよくぞ来られたものだと思う。ザビエル及びその後の宣教師

による布教活動についても、あらゆるジャンルで描かれている。

 何かに導かれ、歴史の荒波に翻弄されながらも、勇気と信念を

持って自分の道を突き進む姿に感動する。

 

 この映画は、歴史ファンタジーながら、何か心に残るのは、

人間の愛の力は現実なのだと思えるからかもしれない。