『ある少年の告白 BOY ERASED』を見ました。
少年の告白も、その人格も、否定されて消されてしまう、BOY ERASEDという英題が重く響きます。
『マンチェスター・バイ・ザ・シー』『スリービルボード』などアカデミー賞を獲得してきた作品で存在感を放ってきたルーカス・ヘッジズが同性愛者を演じる今作。影のある思い悩む少年の姿が本当に絵になります。
簡単にあらすじを。
敬虔なキリスト教徒が多いアメリカの田舎には同性愛を"治療"する矯正施設があった。
自身が同性愛者だと気づいた少年は、敬虔なキリスト教徒である親の勧めでその矯正施設へ入れられる。
しかし徐々にその施設の異様な実態に気づいていく、、、
今作の最も驚くべきは実話だということ。
信仰と多様化する性のあり方は未だ拭うことのできない軋轢を残しているということ。
そしてそれは家族すら崩壊させてしまうということをまざまざと見せつけられました。
そしてどうしても見ていて生まれてしまうモヤモヤした感覚。
「果たして宗教とはなんなのか?」
神の言葉を信仰し、その願いに沿って生きる。僕はクリスチャンではないしなにかに強い信仰心を持って生活をしているわけではないので、宗教的な生き方を実感を伴って理解するのは難しいのだと突きつけられました。
歴史の本の中で触れるばかりだった僕にとっては、非常にドライな言い方をすれば宗教とは人間が平穏無事に生きるためのルールとしての機能という見方もどうしても持ってしまう。極論を承知で言うならば人類という種を残すために、人類という種が繁栄するために設けられたルール。
だからこそ見ていて疑問が湧いてしまう作品でした。
単なる機能に固執して、その偏見によって自らの息子を失ってしまうのかと。
でも敬虔なキリスト教徒である父にとっては同性愛者を認めることは絶対に許されないのだろう。それがたとえ実の息子であっても。そのジレンマは現実問題として起こっているのだ。
愛し合う親子なのだからもっと歩み寄れるはずだと、この映画を観た直後は思ってしまったけれど、それは僕の勝手だと思い直しました。
本音を曝け出して苦しそうに語る父の姿は、そして最後のセリフの覚悟はきっと相当のものだったはず。それは無下にはできないものなのです。
エンドロールで幸せそうに映る家族写真が救いでした。
印象的だったのはキャメロン。彼は矯正施設で仮の葬式までされ、悪魔払いまがいの行為さえ受け、最後には自殺してしまう。施設を出ようとして職員に取り押さえられるジャレッドを助けるために、職員を跳ね飛ばして彼を逃す。その時の二人の視線のやりとりが印象に残るシーン。
キャメロンは主人公ジャレッドがもしかしたら陥るかもしれなかった未来だったのだろう。そう思うとタイトルの少年は、彼でもあるのかもしれない。
そしてそれはきっと今まさに消されようとしている少年少女達なのだ。
信仰と愛の狭間で揺らぐ親子
でもそれは親子だけに限った問題ではなくて
色々なところでそのジレンマは生まれ続けていて
でもきっとその狭間で揺らぐことが
偏見を捨てて揺らぎ続けることが
避けては通れない茨の道だけど
本当に大切なものにたどりつくための道