紹介状を持って、総合病院へ。
月曜ということもあって、すごく混んでいるのに、待たずに診察。
それほど重い病気ってことだよね・・・

これから担当になるY先生はまず
「びっくりしちゃったよね。僕もビックリです。でも、実は今月26歳の女の子が全く同じような感じで、あまりに続いてビックリしてるだけど…。」
私「どうなっちゃいますか・・・」
Y先生「泣かないでいいからね、このシグネットって書いてあるやつ、ちょっとタチが悪いです。内視鏡では不可能。セカンドオピニョンしてもらうこともできるけど、どこも同じ見解だと思われます。手術で胃をとるのがベストです。転移などあったら抗がん剤も使っていきます。」
私「転移・・・?こんな元気なのに…?そんな…」

抗がん剤とか転移とか、よく聞く単語。
だけど、そんな現実いきなりさらにつきつけられて、頭が変になりそうでした。

「これから検査になってくるけど、転移してるかとかどれくらい進行してるかとか見るし、胃カメラももう一回やって、あと精密胃透視ってのがあるんだけど、これがちょっとしんどい。男の人でも二度はやれんって言ってたけど、大事な検査になるから。大丈夫、26歳の女の子も同じことできたからできる!」Y先生

歩くことも立つこともままならず、車椅子に座らされました。

看護師さんが「あの先生は大丈夫。信頼して!大丈夫だからね!」
と。
今思うと「あの先生はちょっとまずいです。」とは言いませんよね(^_^;)

レントゲンと採血して終了。

またもやさらに撃沈した気分だった。

初期じゃないの?
専門知識のない私は、初期だったら、薬とか内視鏡とかですぐ治るんじゃないかって甘いこと考えてた。
家に帰っても何もする気になれないし、正直子供をどうやってみていたのか覚えてない。
ネットで調べてさらに怖いことを知ってしまうんじゃないかと思うと調べれなかった。
携帯もPCをするでもなく、ただ家にこもって泣くか凹むか。

それから1月4日の胃カメラまで、最悪の年末年始でした。
それでも旦那がなんとか連れ出してくれたり、親や姑も気晴らしにドライブに連れてってくれるなどしてやり過ごしました。
車に乗ってると気は紛れた。
でも外に出るのは嫌だった。
みんなが楽しそうなのがなんでか分からない。
なんでそんなに幸せそうな人ばかりなんだろう、って辛くなるから嫌だった。
自分だけが神様に見放された気になった。

それでも、すがるようにガン封じ寺とか、安産祈願でお世話になった寺に行き、初詣で必死に祈った。

絶対死にたくない!
せめて子供が成人するまで!
いや、今私が親にしてもらってるように、孫の面倒だって見たい。子供のために私は生きないといけないの!

とにかく年末年始は泣いて、落ち込んで、一度も笑うことなく過ごした。
長かった。
今までの年末年始は、カウントダウンだの初日の出だのいつも楽しすぎるくらいに過ごしていた。
まさか27歳の年末年始がこんなに辛いものになるとは全く予想すらしていなかった。