2012山陰47 (終) スズキ歴史館 | 楢丁(YOUTEI) 旅の話

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趣味で書きためた旅日記が、膨大な量になりました。2020秋に脳出血、2023には食道癌を発症と、様々なことが起こりますが、克服してまた旅に出たいという気持ちは変わりません。
お付き合い頂けたらありがたいです。どうぞよろしく。

 


8/21(火)

 朝の散歩に出たとき、一カ所くらいどこかへ寄っていこうよと、思いついて予約しておいた「スズキ歴史館」へ向かう。浜名湖から離れ、もう浜松の街中に近い。地図上では佐鳴湖の南側、スズキの本社工場前にあった。

 

HPも慎ましい感じ

 

 まずは受付を通るが、ここにいた女性の愛想がはなはだよくない。本当にニコリともしないのだ。ここまでのケースは今時珍しく、昨夜、旦那と何かあったのじゃないか、なんて要らぬ想像を誘うが、問題はそこではない。


 例えば、客あしらいに長けているトヨタだったら、こんな人材をこの場に配置することは決してない。そして接客のマニュアルには「微笑んでお客様を迎える」ことがきちんと書き込まれているだろう。容姿端麗な受付嬢に微笑まれ、気分よく会場に入っていく自分が想像できる。

 

 クルマとはどういうモノかと言えば、ほら、モーターショウを見れば一目瞭然。展示車のそばには必ず見目麗しいコンパニヨンが侍っているではないか。カーレースまた然り。レースクイーンなる存在が、無骨な男どもの戦いに必ず花を添える。もう、ああなるとどっちが主役か分からなくなってくるが、買う側が車に求めるイメージってのはそことリンクする。これにはかなりの対価を払う必要があるはずだが、それほどにイメージ戦略は大切ということである。逆に言えば、そんなところにあえて投資しないのが、スズキという会社の実直さを物語るのだ、という見方が出来ないわけではない。

 

               映像作品の展示も慎ましい


 さて、そんなスズキも、トヨタと同じように織機の会社からスタートをしていることに驚いた。営業で浜松の風にあおられ、自転車を漕ぐのに往生した二代目が、バイクの開発に手を出したところから、次第に自動車産業へと転身していく物語が綴られていた。展示は3フロアに分かれ、バイクから始まって、4輪車はスズライトからフロンテ、アルト、大ヒットしたワゴンR、スイフトと、デザインから組み立ての工程まで、クレイモデルなども併せて紹介される。スプラッシュを主に採り上げた3Dシアターを交え、見応えは十分。

 

 

       このあたりはバイクの展示コーナー。スズキの原点か


 しかし、スズキの重役級はどんな車に乗っているのか?という疑問が頭をよぎる。「小さい車」で勝負、というのはこの会社の社是のようだが、それなりの地位にある人なら、車もそれにふさわしいものに乗りたい、と思うのが人情だろう。このメーカーの比較的大きなクルマといえば「エスクード」が頭に浮かぶ。しかしあれは悪路を走破する、ワイルドなイメージが強い。今にして思えば、展示車の中には2.4Lのエンジンを積む、セダンタイプのクルマがあった。「キザシ」というネーミングだったかと思うが、そんな車は市中で見た覚えがほとんどなく、このあたり、ちょっとはっきりしない。

 

 

 最後に回った1階では、会社の地元である「浜松」が紹介されていた。特産品や地域のお祭り等が主な展示だったと思うが、自衛隊浜松基地があるからなのか、ここにはフライトシミュレーターが設置されていた。これには2度トライしたものの、結果は200満点中の38点とさんざん。
 結局、ここを出たのは1時半近く、すっかり堪能させていただいた。


 どこかで飯を食ってから高速に乗ろうよ、といいながら決められずに走っているうち、浜松西インターが現れてしまう。仕方なしに高速に乗り、牧之原サービスエリアでレストランに入った。「焼津港水揚げ」の宣伝文句に乗せられ、三色丼とかき揚げうどんを注文、しかし、これがなかなか旨かった。


 東名は秦野中井で渋滞との表示あり、これを嫌って御殿場から、東富士五湖道路を経由して中央道へ逃げたつもりが、結局談合坂付近から渋滞に突入。17キロ45分と表示されていたが、それ以上のものがあったように思う。このころ、渋滞の時は一番左の車線が有利、というテレビ番組の実験結果を見て以来、それに頑なにこだわっていたが、どうもそればかりが能でもなさそうだった。

 

               結局渋滞から逃れられず


 入間インターを出たのは7時を少し回ったあたり、これで二週間にわたる、今回の旅は終わりを告げた。

走行距離:3074.3Km
ガソリン消費量:245.2L
平均燃費:12.5Km/L


あとがき


 2020年2月下旬以降のコロナウイルス騒ぎで出来た時間を利用し、2008年の山陰旅行のメモを元に旅日記を書いたのが始まりで、その次に山陰を旅した2012年の旅も再構成を試みることになった。

 

 最初の山陰への旅は、すでに「2008山陰」としてブログにアップしたが、ずいぶん昔に出雲へ行ったのを除けば、鳥取以西へはこの2回が主要な旅の経験となる。やはりすでに記憶が薄れているのと、残っている写真の少ないこともあって、メモの記述の意味を辿るのも難しいことが時にあった。


 振り返ってみると、この旅は雨に泣かされたという印象が強い。特に大田から中国山地に踏み込んだときの豪雨と雷は半端なものではなかった。


 山陰は行きづらい、という印象があるが、もちろん、遠いという要因はあるものの、高速道路網が整備され、今ではかなり出かけやすくなった。自然は勿論だが、神話の世界や、それ以前の歴史から始まる文化的背景にも、非常に興味深い資源が満載、日本海の幸もあわせ、何度訪れても楽しめる地域と思う。

 

 日記の、それぞれの日の末尾に、帰ってから調べたり、それこそ10年近く後になって分かったことなども記してみた。何かの参考にでもなれば幸いである。

 

 

2012夏 山陰の旅第2弾  おわり