2015春の琵琶湖33 旧伊庭邸 | 楢丁(YOUTEI) 旅の話

楢丁(YOUTEI) 旅の話

趣味で書きためた旅日記が、膨大な量になりました。2020秋に脳出血、2023には食道癌を発症と、様々なことが起こりますが、克服してまた旅に出たいという気持ちは変わりません。
お付き合い頂けたらありがたいです。どうぞよろしく。

2015春の琵琶湖33
旧伊庭邸

4/7(火)② 
 今日行こうと思っているところがもう一つ、この近くにある。旧伊庭邸、ヴォーリズの設計による住宅だ。

 

旧伊庭邸

 

 10時開館というから若干早かったが、行ってみると玄関が開いていたので入ったら、ボランティアの当番の方が準備しているところだった。雨戸を開けたりなどしているところで、ちょっと申し訳なかったが、快く案内に応じてくれた。

 

 その解説によれば、ここの先代は大手の商社の重役、四国にある鉱山の経営に従事していたが、鉱毒やら煤煙による公害について、いち早く対策をし始めた篤志家というような説明だったと思う。当時の殖産興業の国策が最優先されるという風潮の中、足尾鉱毒事件に代表されるように、周辺住民に犠牲を強いるばかりの状況を、四国では少しでも和らげるように動いた事実があった、と。その経営の中心にいた人物がこの住宅を建てた伊庭氏だが、これはその息子、慎吉夫婦のための住宅だったように思い出す。

 

文中の四国にある銅山についてはこちら

 

 若い頃絵画を学びにフランスへ留学し、帰国後は高等学校の美術教師として奉職したという伊庭慎吉だが、その世界で名を残すほどの業績を上げてはいないようだ。しかし、小杉放庵や近藤浩一路、徳富某をはじめとして当時の芸術家や言論人の書簡が屏風に張られていたところを見ると、その交友は多岐にわたっていたようである。


この邸の主人宛にあてた書簡の貼り交ぜ屏風

 この屋敷は、後に人手に渡り、しまいには住む人もなく、市に寄贈された時にはかなり傷んだ状態で、一時は取り壊される予定だったが、ボランティアの団体が市に保存の請願をして今日に至っているという。昔からこの近所に住み、ここの庭でよく遊んだ、という女性が今日の当番だったが、隣に今は幼稚園が出来ているけれど、そこもかつてはこの家の敷地だったと話されていた。せっかくの庭が幼稚園に浸食された格好だが、これも致し方のないところ、と考えるしかあるまい。


向かいの敷地は現在、幼稚園

 住宅そのものも、かつての設計のままではなく、建て増しをしているところもあるようで、座敷の外に縁側を回す、というような日本建築の知恵を、ヴォーリズが完璧に理解していたわけではない、というところが弱点になったようである。とはいうものの、建築として見所も多く、内部は和洋折衷、和室の襖絵などは大変に結構な絵が描かれているのは、なるほど画家の住居だと思わされる。和室、洋室とも随所にしゃれた意匠が施され、その点はさすがにヴォーリズの設計といっていい。








和洋折衷の内装は材料にも贅を尽くした素晴らしいもの


 一つ、掛け物に書かれた筆文字の釈文に相当の間違いがあり、一応、指摘はしておいた。あれは、あのままだとちょっと恥ずかしいだろう。

 ひととおりの案内のあと、お茶とお菓子を頂きつつ、しばし話をした。また、ボランティアグループの仲間が作ったばかりという、この伊庭邸を紹介したDVDを見せてもらった。専門家が作ったものではないので気になるところはあったが、結構な力作だった。


ここでお茶を頂きつつ、ボランティアの方々に話を伺った

 ここも、旧豊郷小学校のそれのように「中二病でも恋がしたい!」というアニメのモデルになったことがあり、その方面では「聖地」といわれているそうな。それを目当てに来る若い子もいるという。何がきっかけになるか分からないが、いずれにしろこのような“歴史的”建築に興味を持って見に来る人が増え、保存の気運が高まるといいなと思ったが、そのための寄付をもう少ししてくればよかった、というのがこの住宅を後にしての、いささかの後悔であった。

 

よくは知らぬが・・・

 

この屋敷を紹介する動画があった

 

 


2015春の琵琶湖34(最終回)回転寿司「海座」につづく