2016 紀伊半島の旅48 興国寺の火祭り | 楢丁(YOUTEI) 旅の話

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趣味で書きためた旅日記が、膨大な量になりました。2020秋に脳出血、2023には食道癌を発症と、様々なことが起こりますが、克服してまた旅に出たいという気持ちは変わりません。
お付き合い頂けたらありがたいです。どうぞよろしく。

2016 紀伊半島の旅48 

興国寺の火祭り

 

8/15(月)⑧
 興国寺の送り火の祭りは9時から、ということだったが、あれから11年、だんだんあの火祭りが世間に知られれば、人気が出て、観光客が大挙して押し寄せるようになっていても不思議はないように思われ、ちょっと早めに出ようか、という気になった。


 しかし、それは杞憂に終わり、警備員は出ているものの、寺の駐車場にすんなり車を入れる事が出来た。一眼レフの高級カメラを首から提げ、三脚を携帯している高齢のカメラマンさんのグループが来ていた。時刻はそろそろ7時半というところだろうか、本日第1号の切り子灯籠を持って現れた家族があったが、カメラマンたちはすかさずこれに群がった。

 

                     駐車場の片隅で宴会


 我々は、車の後ろの植え込みに椅子を出し、まずは宴会。後から考えれば、この時刻なのだから、ビールの一杯くらい飲んでもよかったのだけれど、慎重にノンアルコール。とはいえ持ってきたブローリーがまだあった。わずか1パーセントに満たないアルコールのせいなのか、これは一般のノンアルコールビールに比べ旨く感じる。こんな場合、本物でなくとも気分的にはこれで十分、というところ。

 

 ひとしきりゆっくりしたあと、本堂へ向かう。本堂はライトアップされ、闇に浮かぶその姿は、荘厳な気配を漂わせる。観光客と分かる人の数はそれほど多くはない。しかし、これが一旦メディアででも紹介されれば、突然人が殺到する、という事は十分にあり得る。富山八尾の「おわら風の盆」などはそのいい例だ。殺到する観光客によって、地元の人にとっての祭り自体が変質を余儀なくさせられることもあるらしく、決して好ましいことばかりではないようだ。

 

 かつて、ここの火祭りをみた印象では、そのようになる可能性は十分ある、と思わされた。

 

              まだ切り子灯籠がいくつも集まらず、不安は募る


 子供らが走り回っているが、境内にはロープの張られているところがあり、思わず、危ない、と声を上げそうになった。子供でなくとも、この暗闇の中だ。足下のロープは外した方がいいのに、と思うのは我々だけではあるまい。


 徐々に切り子灯籠を持って集まる檀家さんが増えてくる。はじめは、もしかしてここも過疎化が進み、寂しい祭りになっていたらどうしよう、などと、切り子灯籠がいくつ来たかを数えていたものだったが、時間が経つにつれ、どうやらその心配はないくらい沢山集まってきて、ほっとした。

 

                続々と集まってきた檀家さんの切り子灯籠


 切り子灯籠は、細長い竹の棒の先から下げられ、それぞれの家で工夫があるらしく、ひらひらした和紙の飾りと相俟って美しい。何度も撮影を試みたが、暗闇の中に浮かぶ白い切り子灯籠の姿をうまく写す自信はまるでなかった。 


 始まるのは確かに9時らしく、尺八を携えた虚無僧姿のお坊さんが数人本堂の前に並び、尺八の吹奏とともに中で読経が始まって、前庭から山門へと沢山並んだ切り子灯籠が、本堂の周りにある回廊を回り始める。先頭はお寺のものらしく、ひときわ大きい切り子灯籠だ。なるほど、記憶ではぐるぐる回るという印象だけ残っていたが、それはここでのことだったか。

 

                 本堂内では読経とともに尺八の演奏


 切り子灯籠は一家に一つ、ざっと数えて7~80はあっただろうから、これに家族が3~4人は付いていくとして、単純計算では全部で2~300人くらいになるだろうか。先頭が一周回ると最後尾に追いついてしまって歩みが止まる。そんなわけで回廊は渋滞してしまい、説明では3周回って下りてくるはずだったが、これが中々進まず、ちょっとイライラした。

 

本堂周回の様子はこちら

 

 みんな一緒の速度で歩き出せば回っていくのは一応の理屈だが、現実にはそううまくいかない、渋滞のメカニズムがかいま見られたような気がした。 


 この行程を終えると光の列は山門から下りていき、寺から出て、別の場所へと歩いていく。したがって我々もぞろぞろとそのあとを付いていくことになる。

 

              本堂の回廊を3周すると切り子灯籠は境内から外へ


 なるほどそうだったか。いったんは車道へ出てから、一つ先の路地に入って緩い坂道を上がっていく。その先には簡素な門の立つ広場があった。


 広場の山側半分ほどは斜面になっていて、我々は広場を俯瞰できる位置に陣取る。切り子灯籠を携えた祭りの当事者たちは、門から入って広場の奥から周囲を取り囲むように集まっている。斜面を含めた周囲にいるのは見物客だが、どうだろう、ざっと4~500人くらいは集まっているだろうか。

 

                   初めは子供らが踊りを披露


 中央には盛大に燃えるたき火があり、地元の子供たちがこれを囲んで、まず伝統の踊りを披露する。先に火の付いた竹の棒を振る、中々に難しそうな踊りだ。あまり音のよくないスピーカーから「えーなむあ~あみだ~あむ」というお経のような台詞が、カンカンという鉦の音とともに、歌うように繰り返され、ずっと聞いていると、これが耳に付いて頭の中で何度も鳴り響く。

 

 おそらくは何百年と繰り返されてきたものだろう。これに割と若い女性のアナウンスで「重さ約150キロの大松明です、がんばれがんばれ~」というような解説が絡む。門の近くには虚無僧が一列に横に並んで、尺八を吹く。

 

150キロの大松明を運び入れる力業はこちら

 

 

                中央にたかれる火に、切り子灯籠を投げ入れる


 やっぱり再び来てよかったなあ、と思わせる、壮大なお祭りだ。長さ4メートル、重さは150キロあるという巨大な松明の両側に火がつけられ、これを若者が一人で担いで門から入り、中央のたき火を3回廻ってどさっと地面に投げ降ろす。その瞬間には暗闇の中に火花が飛び散る。

 

 これを4人が行った挙げ句、今度は一人で大松明を地面に立てる、という荒技を披露し、終いにはこの松明をたき火の中に井桁に組む。そしてそのいよいよ燃えさかる炎の中に、それぞれの家族が携えてきた切り子灯籠を投げ入れ、天を衝く炎とともに祭りは終わりを迎える。

 

                   クライマックスの巨大火柱


 お盆の送り火として行われるお祭りとして、これほどのものがよそにあるだろうか。昔来たときには、松明を造っていたおじさんが、「日本で2番目に危険な祭り」と形容していたが、これもまんざら嘘ではなさそうだ。

 

切り子灯籠が次々と投げ入れられる、クライマックスはこちら

 

 大変に充実した気持ちで、ダム湖上のテン場に向かう我々であった。


 テン場に着いたのは11時過ぎ、明るく照る月を眺めながら改めて一杯やる。既にここは涼しい風が吹き、上に建つ家の犬に吠えられはしたが、ちょっとこれ以上の環境はないな、とほくそ笑んだ。

 

 

2016 紀伊半島の旅49につづく