2020 再びの会津28(終)酒蓋公園 | 楢丁(YOUTEI) 旅の話

楢丁(YOUTEI) 旅の話

趣味で書きためた旅日記が、膨大な量になりました。2020秋に脳出血、2023には食道癌を発症と、様々なことが起こりますが、克服してまた旅に出たいという気持ちは変わりません。
お付き合い頂けたらありがたいです。どうぞよろしく。

2020 再びの会津 その28

 

8/17(月)③

 屋上から見えた歴史的建造物は、規模の大きい西洋館風だ。歩けば7~8分で行けそうな距離、これは行って確かめねばなるまい。

 

歴史的建造物の風格漂う「成庵」

 

 こっちの方向だったな、と住宅街を抜けると丘の上に立つその建物は、「成庵」という料理屋だった。見たところはやはり大正期くらいの洋風建築、しかもかなり規模は大きい。ケータイで調べてみると、ランチは¥1500くらいから、しかし口コミは、雰囲気はいいけれど、料理はフツー、程度の評価が並ぶ。お腹も大して空いてないこともあって、それじゃあな、とパスして雑木林の丘を越えると、またしても池のある公園に出た。はじめはてっきり、城を取り巻く壕じゃないかと思ったところが、そうではないらしい。ここは「酒蓋公園」というようだが、池の水は見事に真緑、アオコの発生がひどい。

 

酒蓋公園。てっきりお城の壕かと思った


 ここにもソーラーで稼働する放射線の線量計が設置されていた。0.136マイクロシーベルト、さっきの麓山の杜にあったのと考え合わせても、柳津よりもだいぶ高い値だ。イチエフにより近いわけだから無理もないが、あれから9年、まだまだ深い傷跡が癒えない福島の現状に、目を背けてはいけないと再認識する機会となった。

 

酒蓋公園の、池から少し上がったところに設置された線量計


 さて、これで郡山をあとにし、高速に乗って帰路についたわけだが、月曜の過ごし方には課題を残すこととなった。もっとも、郡山にはまた来てもいいな、という口実を作る結果となり、それはそれで悪くはない。やはり腰痛の悪化がネックとなって、アウトドアの活動を避けざるを得なかったのが痛かった、ということか。


 この日の昼食をどうしたのかが、なぜか記憶から消えている。やはり成庵で食べてくるべきだった、というのがあとから起こる感想だが、さてどうしたのだろう。こんな時はグーグルのタイムラインを確認することになる。それによれば、酒蓋公園のあと、車まで戻って高速に乗る前に、セブンイレブンに寄っている。しかしここで食べたとすればせいぜいアイスクリームくらい、最近、セブンプレミアム「金の抹茶ソフト」にハマっているから、きっと買ったのはそれだろう。

 

オレはこれ、美味いと思う

                         

 那須高原サービスエリアにも寄ったことが記録にあるが、わずか4分、とすれば何か食べたはずはない。してみると、この日は昼食抜きで帰ったことになり、それなら記憶にないのも当然といえる。もっとも、朝はホテルで普段以上にしっかり食べているし、こんなことはよくある話だ。


 東北道は順調、大した渋滞もなく入間インターを降りたが、章湖がケータイの雨雲レーダーを確認すると、入間に降雨が予想される状況だ。そこでガソリンも補給せずに家へ向かったが、荷物を降ろそうと思った、ちょうどそのタイミングでいよいよポツポツ来はじめた。急いで家へ運び入れたが、雨はそれきりで上がってしまった。それはそれでよかったが、庭に水をまいたあとだった、ザーッと来たのは。


 雨に祟られた旅行はこれまでもあったが、今回もきっとそのことで記憶に残る旅となることだろう。


※成庵
    1869年(明治2年)頃、当時の後藤家当主「後藤平十郎」によって建立。内部では欅をふんだんに使った構造材や建具を見ることができる他、洋間では蛇腹漆喰造形の廻縁や蛇腹造形の化粧額縁などを見ることができる。
    1972年(昭和47年)10月23日には「明治中期の建築、豪農洋風民家の代表」として郡山市指定重要文化財に指定されるが、1983年(昭和58年)にアルファクラブに転売され、現在地に移築される際に指定から除外された。
    現在は市内の桜の名所の一つとして知られる酒蓋公園に隣接した丘の上に建ち、日本料理店 和一席 成庵として利用されている。 

 

 

 

2020 再びの会津 おわり