2008山陰24 あとがき | 楢丁(YOUTEI) 旅の話

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趣味で書きためた旅日記が、膨大な量になりました。2020秋に脳出血、2023には食道癌を発症と、様々なことが起こりますが、克服してまた旅に出たいという気持ちは変わりません。
お付き合い頂けたらありがたいです。どうぞよろしく。

2008山陰24

あとがき

 

 コロナウイルスの流行で、職場の学校が休みになった2020年の春、時間が出来たのがきっかけになり、昔の旅行メモを再構成してブログにしてみようと、取り組んだ。実はその前の年に、はじめの2ページ半ばくらいまで書いてそれっぱなしにしていたものだった。


 2013年以降、長い旅は大概こうして旅行記を残しているが、2008年のこととなると、12年近くも前のことになり、もう本当に忘れてしまったことばかりで、旅の途中でつけたメモと、DVDに焼いた写真、これらを読みつつ見ては書く、ということを繰り返す作業になった。有名観光地はウェブページを参考にし、時にグーグルマップを参照して旅を跡づけた。


 この旅は、文中にも書いたが、我が家では西日本の日本海側を意識して巡った2度目の旅となる。この2年前に、神鍋高原を拠点に各地へと繰り出し、豊岡のコウノトリの里、湯村温泉、城崎温泉、餘部鉄橋や、浜坂の加藤文太郎記念図書館などを訪ねた。しかし、世間の定義によると「山陰」は鳥取以西を指す、ということのようで、この旅行記を「山陰への旅 第一弾」と名付けることにした。

 

そして今回の旅の後、2012年に出雲から始めて西漸、石見銀山、大田や温泉津、益田、浜田あたりを回り、さんざん雨に降られて、江の川をさかのぼるようにして、山陽は福山に出て帰ってきたのが第2弾、神西湖畔のテン場は、この時にもお世話になった。そして2014年の山口の旅でやっと本州の西端、下関へと到達した。

 

山陰の旅の第2弾はこちら

 

2014年に行った山口の旅はこちら

 

 このシリーズの第10話に出てくる、足立美術館のHPを見たところ、庭園は、日本庭園を紹介する雑誌のランキングで17年連続一位だそうで、今や海外では不動の人気を誇っているという。

 

 

 そうそう、昨年行った南会津で、第6話の「投入堂」のようなお堂を見つけた。「会津三十三観音第二十一番札所左下り観音堂」である。「投入堂」とは若干違って「懸崖堂」と呼ぶべきかもしれないが、ここも迫力十分。今ならまだ堂に上がることさえできる。

 

                  会津美里町にある左下り観音

 

 

 その前のゴールデンウィークに行った筑波~笠間でも、石岡の山中で、これも清水の舞台と同じ構造の建築という、「峰寺山西光院」を発見した。

 

                 石岡市の山中にある峰寺山西光院

 

 

 神話や神社については、知らないことばかり。2015年に行った北陸では、奴奈川姫を娶りに行ったオオクニヌシが通ったという、「神通山公園」に行きあった。安曇野に船出の神社があるのにも驚いたが、これから勉強の余地がたくさんあるのは間違いない。出雲と諏訪の御柱が関連があるのでは、と書いたが、御柱の祭りは7年に一度だそうだ。出雲はその高さ故、何度も倒壊している過去があるらしいが、そのあたりの関連を示す文献はないものか?あるいは全くの的外れか。 

 

               オオクニヌシの伝説がある能生町の神道山公園


 こうして旅の記録を振り返ると、第三者的な視点からは、神社仏閣を巡る、いわゆる「巡礼」に近いように見えるかもしれない。しかし、信仰心から発するそれとは違い、改めて考えてみると、我々の場合、美術館を訪れる気持ちと大差ないことが分かってくる。神社仏閣には、その周囲の自然環境や建築、彫刻、絵画、陶芸などを含む美術工芸、書跡、庭園、時に味覚や音楽を含めた、総合芸術としての意味を求めて、参拝という行為に及んでいるように思われる。

 

 

 

2008山陰 おわり