2008山陰16 月照寺 | 楢丁(YOUTEI) 旅の話

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趣味で書きためた旅日記が、膨大な量になりました。2020秋に脳出血、2023には食道癌を発症と、様々なことが起こりますが、克服してまた旅に出たいという気持ちは変わりません。
お付き合い頂けたらありがたいです。どうぞよろしく。

2008山陰16

月照寺

 

8/16(土)①
 朝、テントをたたんで菅原天満宮へ登ってみる。菅原道真が、ここ来待の生まれ、ということを初めて知った(といっても出生に関してはいくつか説があるらしい)。社殿はシンプルな造形、天神様らしく狛犬とともに牛の石像がお出迎え。

 

                    なかなかの造形!

 

 これが苔むしていい雰囲気、写実の造形もしっかりしているのに感心する。よいテン場を提供いただき、ありがとうございました、とでも祈ったのだろう。

 

              菅原道真の出身地がここだとは知らなかった!


 朝食にしたのは宍道湖ふれあい公園。ここの丘の上は芝生、眼下に見おろせる宍道湖は穏やかで、時折魚が跳ねた。


 再び松江の街に入っていき、見つけたコインランドリーに洗濯物を入れて、少し市街から離れた佐太神社まで足を伸ばす。


 出雲国二宮の名に恥じない、大きな境内を持つ神社だ。背後にこんもりと茂る山を控えた社殿は、これまでに見たことがない様式。これはいわゆる大社造り、須佐神社もこの造りだったが、それが三棟並んでいるのだ。和歌山の熊野本宮大社も確か3棟並んではいたが、社殿の造りは違う。祭神が3柱、ということなのだろうか、神道の神のことはよく知らないだけに、何とも言えないが。

 

                   出雲二宮の佐太神社


 昨日、鰐淵寺の帰りにすれ違った覚えのある、都内ナンバーの車が駐車場に停まっていた。先に参拝していたTシャツ短パン姿の人のだろう。同じような行程で回っている人がいるんだ、と思った。


 月照寺には、昨夜の残がいの提灯が、片隅にいくつもうち捨てられていた。唐破風の山門が立派、さすがは松平家の菩提寺である。寺域も広いが、手入れが行き届いていない、というところに若干の不満が残る。

 

                 月照寺にて、お盆の送り火の名残


 1年のうち本日のみ公開、という御霊屋が開いていたのはラッキー、あるいはそれで今日、呼ばれたのか。昨夜訪れていれば、再び来てみようとは思わなかったはずである。いい方に解釈する、というのが幸せに生きる秘訣かも知れない。


 御霊屋には凄い数の、黒と金で塗られた厨子が収められているが、今日はこれが開かれ、中の大きな位牌が見える。といって、通常は閉じているのかどうかを知るよしもないのだが。いずれにしろ有力な檀家さんのものに違いなく、歴代の松江城主のものもあったのだろう。


 松平家の廟所は、大小はあっても、墓石はどれも同じようだが、石造りの門の装飾にそれぞれの工夫があり、かなり手の込んだ彫刻が施されたものも見られた。


 小泉八雲の物語に登場する亀は、石碑の下部に彫刻されたものだが、これがでかい。もたげた首は俺の身長より遙かに高く、こんなものに街中を歩かれたら大騒ぎ間違いなし。八雲の想像をかき立てただけのことはある。

 

                小泉八雲の物語で、街を徘徊した巨亀


 本堂、書院はひとつづき。縁側に座って庭を眺めた。さほど広くはないが、池の畔に形のいい松が植えられている。傍らに咲く百日紅の花が綺麗だ。そのように緑したたる庭は、大変趣があるが、やはり手入れの行き届かないところが目に入る。隅の灯籠脇に白黒のネコが来ていた。


 本堂の、ちょうど裏手に当たる茶室も素晴らしいのだが、控えの間にクモの死骸が落ちているのがマイナスポイント。

 

                     書院の縁側から


 宝物殿に回ってみるが、展示物には面白いものは少ない。中でまず目に入ったのが廃藩置県の詔、こういった歴史的な文書がいくつかある。松平家は旧華族、先代がヒロヒトとご学友ということで、天皇家の人々と一緒に撮った写真が展示してあるが、これが宝物か?こういうのに憧れる人たちもいるのだろうが、俺などには何となくいやだな、という印象しかない。少なくとも、寺の宝物という括りで収蔵・展示するものではないと思うのだ。建物はかなり古びていた。


 時間が経ってから思い起こしてみると、細かいことはすっかり忘れてしまい、何となく荒れた寺、という印象ばかりがクローズアップされて残る。あれは祭りの後、という理由ばかりではなかっただろう。あれだけの名刹でほとんど人に会わなかった、というのも不思議な気分。

 

 


2008山陰17につづく