2008山陰11 出雲大社 | 楢丁(YOUTEI) 旅の話

楢丁(YOUTEI) 旅の話

趣味で書きためた旅日記が、膨大な量になりました。2020秋に脳出血、2023には食道癌を発症と、様々なことが起こりますが、克服してまた旅に出たいという気持ちは変わりません。
お付き合い頂けたらありがたいです。どうぞよろしく。

2008山陰11

出雲大社

 

8/14(木)②
 美術館を出てすぐ右手にある和食の店「竹葉」でお昼をいただく。「朝とれ魚定食」と「マクロビオティック定食」を注文。刺身の魚はアゴ。小さいけれど、トロッとして美味。マクロビオティックの方は、その名の通り健康を志向したものだけに、薄味に仕上がっている。実は肉を使っていないという唐揚げは、言われなければ鶏と間違えるほど、おいしくいただいた。


 車に乗り込み、そのまま南下すると、途中でものすごい雨に襲われた。夜の幕営が頭に浮かび、どうしようと思ったが、すぐに上がってホッとした。


 道は山間部の様相を呈してきた。雨上がりに山あいに湧く靄がいい感じ、足立美術館の借景がこのあたりかもしれない。

 

 すぐに現れた道の駅「月山富田城」に寄ってみることにした。伝統の木造建築の館の中で、名産の織物製品を販売していたが、著しく地味なディスプレイは、今思い返しても、モノクロの絵しか浮かんでこない。背後の月山には富田城、ここは尼子と毛利が激しい攻防を繰り広げた舞台という。「尼子氏」、といっても時代劇の中に登場する場面も少ないし、印象に残る描き方をされたという記憶もなく、もう一つピンと来るものがない。その尼子の家臣として、唯一有名なのが山中鹿介幸盛だが、どこかに「幸盛祭」開催の告知があったように思い出す。


 山間部を抜けて松江に、というつもりだったが、山から下ってみると、いつの間にか松江よりずいぶん西に出てしまっていた。じゃあ、出雲に行くか、と行く先を変更。何にも計画のない旅は、このあたりが自在になる。


 地域の観光情報源としては、道の駅を頼ることが多い。さっきの「月山富田城」もそうだったが、今度は宍道湖の向こう側に、道の駅「秋鹿なぎさ公園」がある。文字通り、宍道湖に面した道の駅だが、案に相違して、ここでは何の情報も得られなかった。


 出雲は初めてではない。夏の旅でも過去に訪れてはいるが、しかし昔の記憶などあてにならぬもの。大社そのものは別として、門前のそばが大してうまくなかっただの、直前に寄った島根ワイナリーのことなどが思い浮かぶ程度、こうして旅行記でも書いていれば違ったことだろうというのは、今になって思うことではあるのだが。ともかく出雲大社めがけて車を走らせる。


 大社はもう目の前、というところに来て渋滞が始まった。それでは、と少し離れた駐車場に停め、積んできたフォールディングバイクを下ろす。暑いのは相変わらずだが、のろのろと一向に進まない車列を横目に、風を切って走るのは気持ちがいい。

 

 まずは門前の参道を探ると、古代出雲大社の社殿模型を展示する資料館があった。それによれば、970~1270年頃は、高さ48メートルの社殿が、太い柱に支えられて建っていたというではないか。これに長い階段が渡された姿の、復元模型が作られていた。またその傍らには、3本の大木で構成された巨大な柱の、実物大の模型も展示されていた。

 

            出雲大社の復元模型 後ろが原寸で復元された社殿の柱


 社殿の発掘調査によってこの柱跡が発見され、文書に残された記述を疑う余地がなくなったらしい。その結果、模型での復元に及んだということを知り、直感として浮かんだのが諏訪大社の「御柱」である。出雲と諏訪に関係があるというのは、神話の伝承に求めることができるが、諏訪神社も元はそんな姿をしていたのか、あるいは切り出した材をここまで運んできたものか?後に得た知識だが、長良川の鵜飼いで使う「鵜」は、伝統的に常陸の海岸で捕らえたものという。我々の考えも及ばぬ理由で、遠くで収穫されたものを運んできたのではないのか、という想像もまた許されることだろう。


 出雲大社の表参道は、伊勢神宮の賑わいと全く違う、いわば寂しいものだ。いにしえの昔から、お伊勢参りと同様、出雲を参拝に来る風習のあったことは、高校の古典で習った説話物語にあったのを覚えている。「いざ給へ、出雲拝みに、かいもちひ召させん」というやつだ。それはともかく、現に参拝客は大勢いるはずだろうに、それを取り込めない商売の下手さ加減はどうしたことか。

 

※古典で習った「出雲」は島根の出雲大社ではなく、「丹波に出雲といふところありけり」で始まる、徒然草の一節だった。ともあれ、出雲大社は古来から参拝客の絶えないことは自明であろう。


 まず、駐車場の位置は、皆さんが車を降りてから、この参道を歩いて参拝に及ぶ戦略をとらなければならないのに、現実にはまるで違う場所に駐車場がある。かつて利用されていた駅は参道の先にあるが、この路線は廃線となり、今はただ、寺社建築のような立派な駅舎が、文化財として保存されているだけだ。かつて生きていたはずの、その動線を活用せずにどうする?参拝客なんぞ、神社そのものより、門前市をなす、その参道の賑わいが一つの楽しみなのだから、その心理を利用しない手はないはずだ。


 出雲大社に関する展示館といった趣の、道の駅「ご縁広場吉兆館」が離れたところに建っていた。旧駅舎からすると参道の途中、大鳥居のある橋の手前、ということになる。出雲にまつわる数々のお祭りなどを紹介するための展示施設に加え、参拝用に使える広い駐車場が用意されているが、今は訪れる人もまばら、駐車場もがら空きだった。基本の歯車がかみ合っていないから、すべてうまくいかないのは仕方がない。

 

                  道の駅「ご縁広場吉兆館」

 

 さて、大社に入っていくと、案の定、参拝客でごった返している。そんな中、前方の拝殿には行列が出来ているではないか。丁度60年ごとの、本殿建て替えの年にあたり、今だけ特別に本殿の内部拝観が許されているという。行列の人に聞いてみると、7時から整理券を配るらしいが、ネットで見たという人の話では、6時頃から並んで、入れたのは9時過ぎというではないか。もとより今から最後尾について入ろうとは思わなかったが、これを聞いてだめだこりゃ、と確信。

                 
 それでも未練があったのか、付近をうろうろしていると、短パンはダメ、シャツはズボンに入れろ、などという係員の高圧的な物言いが聞こえ、いささか腹が立ってきた。拝観を終わって出てくる人の冴えない表情を見るにつけ、やっぱりやめておくのが正解、という思いを新たにした。

 

               後方に見えるのが本殿内部拝観に出来た行列

 

                    出雲大社本殿前にて

 

 


2008山陰12 につづく