六大将軍伝説

 

 

【234 第一次西部攻略戦(三十) ~モスタクバルの思惑~】

 

 

〔本編〕

 クーロの自戒するこの言葉にパインロも苦笑いをしながら答えた。

「確かにあの時は、私もジュリスの馬(ホース)の優秀さに胡坐(あぐら)をかいておりました。まさか、ジュリス王国のホースの脚力にあそこまで近いホースが存在していたとは……。さすがはミケルクスド國最高峰の将軍とその精鋭が騎乗するホースであると……」

「確かに、ミケルクスド國も独自にあそこまで脚の速いホースを生み出していたとは、私も驚きでありました。これについてはその方面の情報収集を疎かにしたが私の失態と言えましょう。それでも今冷静に考えれば、確かにモスタクバル将軍とその精鋭兵が騎乗するホースが、こちらが思っている以上に優れていたのは間違いのないことではありますが、それでもジュリスのホースよりは能力的に劣っていることは間違いようのない事実でありました。そのジュリスのホースが必死で駆けなければいけないほど、ギリギリの状況となってしまった!」

「モスタクバルという猛将の放つ迫力の圧が、あの場の空気をそこまで重苦しいものにしていたとしか考えられないでありましょう。大将軍と呼ばれる者のオーラとは、あの場の空気をあそこまで支配できることは、私もあの時初めて肌で体験いたしました」

「同感です!」クーロも大きく頷く。

「あの時、逃げる僕の後ろには千人もの味方が居て、そこからまだ敵との距離があるにもかかわらず、すぐ真後ろにモスタクバル将軍が迫ってきているような感覚であり、次の瞬間、モスタクバル将軍の巨大な矛が僕の背中に振り下ろされるのではないかと何度も感じてしまったぐらいでありますから……。今考えると、よく無事で済んだと思います」

「ジュリスの馬(ホース)は脚力や体力だけでなく、性格すら荒々しい戦闘的なものへと調教され、心身ともに強靭である、いわゆる戦うための生物兵器にされているにも関わらず、そのホースが怯えて、普段の力の半分も引き出せないほど委縮させられてしまった。もしこれがジュリスのホースでなければ、我ら千人はどうなっていたかを考えるに、ゾッとします」

 パインロがこの件(くだり)を語っている時、クーロは本当に背筋が寒くなる思いに、今でも陥ってしまうのであった。

 

 

 さて、モスタクバル将軍による追撃が二時間を超える。これはモスタクバル将軍にとっても予想外の出来事であった。

 モスタクバル将軍は二百を数えるほどの戦場を経験しており、その中には追撃戦も五十程度あった。猛将モスタクバルの軍と戦った敵は必ずと言っていいほど、戦いの後半には逃げだす。そこには本当の逃走以外の策として偽りの逃走もあった。

 モスタクバルをうまく誘導し、伏兵や罠で仕留めようとする類のものであった。しかし敵の逃走の十中八九は失敗に終わる。

 モスタクバル率いる軍の追撃による迫力が、敵の想定を大きく上回り、ものの数分の逃走で敵にとって悲劇的な結末を迎えるのであった。

 そしてそれは偽りの逃走も例外ではない。大半が、味方が潜伏している場所や罠を仕掛けている場所に辿り着く前に全滅させられてしまうのであった。

 ごくまれにその場所までモスタクバル軍を誘い込んだとしても、そこで逃走していた兵だけでなく伏兵や罠を仕掛けていた味方の兵共々、モスタクバル軍という大きなうねりの前に全滅してしまうのであった。

 敵の策を、力のみでねじ伏せてしまうほどの巨大な力を、モスタクバルとその軍は実際に持っていたのである。

 そういったモスタクバルの追撃戦は、九割方が十分以内に片が付き、十分を超える追撃戦であっても、二十分を超えることはただの一度もなかったのであった。従って、モスタクバル将軍にとって二時間を超える追撃戦は初めてであった。

 モスタクバルは猛将ではあるが、策のことを一切考慮しない力のみを信じている武将ではない。自らが策を用いないだけであって、敵がどのような策を巡らしているかは、実際に考慮はする。そして後は自らの感覚を研ぎ澄ます。

 猛将ではあるが、頭に一気に血が昇り猪突猛進するような猪武者ではなく、どんなに激しい戦いの中にあっても、常に冷静で、自分を見失うようなことがない将軍であった。

 モスタクバルからすればクーロ追撃から十五分経過した時点で、このクーロ軍の逃走は偽りであることを確信していた。そして偽りの逃走であっても、この軍を指揮している指揮官は本物であることも同時に確信していた。

 

 この二つの確信は、いずれもモスタクバルの直感と長年の経験から導き出した結論ではある。千という同じ数のモスタクバル将軍率いる軍による追撃から十分以上逃げられている時点で、その結論に誤りはなかった。

 本当の逃走であれば、モスタクバル軍から追われるという恐怖から、逃走している兵が思い思いの方向に逃げ出し、軍は早々に四散する。逃走している軍が崩壊せずに理路整然と逃走していることから、偽りの逃走で間違いなかった。

 さらに偽りの逃走で偽の指揮官が仮に率いていたのであれば、モスタクバル以外の他軍による追撃であるならいざ知らず、モスタクバルが直接率いて追撃しているのであるから、その言い知れぬ追撃軍からの気迫で、偽りで逃げている兵が、自分たちの生命を優先し偽の指揮官を見捨てる、あるいは見捨てないにしても、指揮官を守ろうという気持ちを意識のあるなしに関わらず、自らの死をも賭した全力とは絶対に成り得ないのである。結論として、十五分経過した今、モスタクバル軍の追撃から逃れられるはずがないのであった。

 しかし、モスタクバルも今回の追撃戦において、初めて焦りを感じた。敵が二時間逃げ続けているからであった。

 本物の指揮官(クーロ)を擁している軍であるため、共に逃げている者が自らの死をも賭して、クーロを守ろうとしているので、百二十パーセントの力を逃走に注げているのは分かるが、それでも二時間以上モスタクバルの追撃から逃げられているのは、モスタクバルの気迫に心が折れないほどの精鋭兵、そして頑強なジュリス王国の馬(ホース)でなければそれは成し得ないことであった。

 その上逃走ルートも、ジュリスのホースが全速力で駆けることが出来る平野を選定している。

 モスタクバルからすれば、偽の逃走であれば、必ず伏兵や罠が仕掛けやすい森林若しくは隘路(あいろ)になる場所にモスタクバルを誘うと考え、そこで敵の馬脚が鈍る隙に一気に決着をつけるつもりでいた。

 そのようなモスタクバルの思惑は見事に外れたわけであった。

 

 

 

〔参考 用語集〕

(人名)

 クーロ(マデギリークの養子。大官)

 パインロ(クーロの弓の師であり、クーロの隊の一員)

 モスタクバル(ミケルクスド國三将軍の一人)

 

(国名)

 ヴェルト大陸(この物語の舞台となる大陸)

 ソルトルムンク聖王国(ヴェルト八國の一つ。大陸中央部に位置する)

 ミケルクスド國(ヴェルト八國の一つ。西の国)

 ジュリス王国(ヴェルト八國の一つ。西の国。聖王国と同盟を結ぶ)

 

(その他)

 ホース(馬のこと。現存する馬より巨大だと思われる)