私の少年時代の夢は「アルペンスキーでオリンピックに出場だった。」
青春時代の全ての時間、努力をスキーに捧げた。「努力は裏切らない」と信じていた。しかし、実際には私はオリンピック選手にはなれなかった。
私と同じく1981年生まれで同じようにアルペンスキー選手として夢をもってスキーに全力を費やした少年が北海道にいた。その名は佐々木明。私自身の夢であり、目標であったが叶えることができなかったオリンピックに4度出場している。
当時ライバルとしては悔しさや嫉妬、さまざまな感情があったと思う。しかし、時を重ねるごとにアキラのオリンピック出場に対して勝手に自分の夢を乗せるといった感覚になっていった。
その後、私は 当時新種目と言われたスキークロス、ハーフパイプといったフリースタイルスキーに転向。20代の当時、明に宛てたコラム(手紙)には「今は種目は違うがアキラと同じ会場で世界大会に参加できるよう頑張るよと」と書いた記憶がある。結局のところ、私は夢だったオリンピックに同じ選手として参加することはできなかった。
しかし、幸いなことに私はフリースタイルチームのコーチの立場で同じユニフォームで会えた大会が一度だけあった。それは2014年ソチオリンピックだった。
(写真はオリンピック村にて全てが終わり閉会式に向かう直前)
ちょうどタイミングよく明のソチオリンピックの本番を生で見ることができた。
初めてアキラのオリンピックを生で見た。
その結果は2本目途中棄権。
自分が少年時代に夢見た華やかなオリンピックの舞台。友人が目の前で出場している姿をみて感動した。しかし、その現実の厳しさも知った。いつでも明かるいアキラだが、レース後二人で帰路を歩いたとき、その姿はどこか寂しそうだった記憶がある。おそらくメデイアには映し出されない姿だったと思う。
その後、アキラはレースシーンを引退。ビックマウンテンと言われるよようなフリーライディングを求めて滑りだした。新たなフィールドで大きな羽を伸ばし雪山を自在に滑りたおす姿をみて嬉しかった。
昨シーズン北海道で久しぶりにアキラと雪上でセッションした。とても刺激的で楽しかった。
その約3ヶ月後、アキラは衝撃の発表をした。アルペンレーサーとしての現役復帰。しかも、瞬発系であるスラローム種目。40代からオリンピックを前提とした復帰は前例はないと思う。私はその知らせを聞いた時点で興奮した。もう一度自分が叶えられなかったオリンピックの「夢」そして、この先も自分ではトライすることがないであろう「夢」に友人が挑戦する。
本日その夢に同乗させてもらう絶好のプロジェクトがスタートした。私も自分の夢に重ねて応戦したいと思う。アキラ「ありがとな〜」ベストを尽くしてくれ!
みなさんもアキラの活動や活躍が日々の活力になるのであれば是非この大きな大きな挑戦の応援をしてはいかがですか?