先日、エイチエス株式会社主催、
博多の歴女と呼ばれる白駒妃登美さんのトークイベントにいってきました。



わたしが、白駒さんを知ったきっかけは、去年3月娘の卒業旅行として、関西方面に行きました。
京都から伊勢神宮行ったのですが、伊勢に向かう途中の駅で、ふと見つけた本が、
「愛されたいなら日本史に聞こう」でした。
行った場所も場所なので、即購入し読みました。


この時は、白駒さんのことは、存知ませんでした。

でも、1ヶ月後に、
なんとわたしのメンターの喜多川泰さんと白駒さんのコラボ講演会があると知りました。

うわ〜引き寄せたー!!
と思いました…(°▽°)
(そこには行けませんでしたが…)

のちに、喜多川さんにお聞きしたら、
白駒さんは、以前、福岡での喜多川さんの連続講座に参加されてたそうです。

ぜひ白駒さんのお話を聞いてみたいなと思っていたところ、先日、札幌でこのセミナーがあり、参加させていただきました。


白駒さんは、幼い頃から歴史や伝記が好きで本を読みあさっていたそうです。

あるセミナーで、作家のひすいこたろうさんと出会い、ひすいさんに歴史の話を詳しく教えていたところ、ひすいさんからブログを書くように勧められたそうです。

本を出したきっかけは、白駒さんご自身が大病をわずらいました。二児の母です。

日本のことを子どもたちに語り継ぎたいと強く思い、子どもたちへの遺言として、 本を出版したそうです。
さらに、歴史上の人物に喜んでもらいたいとも思いもありました。

先人に学び、過去も未来も手放して、
今を全力で生きることに決めたそうです。

かつてから日本人は、
ご縁を大切にしていました。
その
ご縁をいただいた人に笑顔になってほしい。
大好きな人を笑顔にしよう!

と決めてからは、
ご縁が運ばれてくるようになったそうです。

自分が、自分ではなく目の前の人に笑顔になってほしいと、決めたときから、
ステキな現実が待っていました。

なんと、ガンが消えたそうです!

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古事記
ふることのふみ

人生に起こる試練は天の恩寵

恩=命

未来の自分に必要だから今の自分がある

恩に報いる生き方をしていく
受け入れる=受けて立つ
それが、日本人の生き方

日本人には、
夢よりがふさわしい

日本は何度も難を乗り越えてきました。

その根底には、皇室の祈りがあったから。
令和に入って、
皇室がずっと国民の幸福を祈り続けているということを知ったとおもいます。

の本質は、国民が、皇室の祈りに報いるため。

国民ひとりひとりが祈りを知って、自分のおかれた場所で祈りを現実のものとするために精一杯やることこそが、世の中を良くするのではないでしょうか。

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白駒さんのお話から北海道の歴史を学びました。

説明

会津戦争は、戊辰戦争の局面の一つであり、会津藩の処遇をめぐって、薩摩藩・土佐藩を中心とする明治新政府軍と、会津藩およびこれを支援する奥羽越列藩同盟などの徳川旧幕府軍との間で行われた戦いである。 
戊辰戦争とは、初戦「鳥羽伏見の戦い」から最後の「箱館戦争」までの、約1年半にも及ぶ戦いの総称。

北海道の伊達市ですが、
もとは、伊達の支藩は亘理(わたり)の伊達家でした。

戊辰戦争で敗者に回った会津の亘理の伊達家が、賊軍という汚名を晴らすために、新しい国家づくりに参加しようと、対ロシアの最前線にあったロシアから近い北海道に移住し、国のために尽くすと、明治政府に掛け合いました。

移住しロシア警備も自費で担うと言う事で、明治2年に明治政府より有珠郡支配の権利を獲得しました。 

新政府からはいっさい援助を受けられなかったので、伊達家は財産を全て売って家臣に食料を分け与えたそうです。さらにアイヌ人など先住民族には礼儀を忘れないようにと指示したと言います。家族を連れて行くと言うのは、寂しさや辛さから逃げ出そうとするのを防ぐためと言われています。最初の頃には食べる物にも困り、アイヌ人から漁業を教わったりもしたとされています。

苦労に苦労を重ね、道無き道を切り開き、北海道開拓に成功しました。
その貢献に助言したのがクラーク博士です

北海道開拓を支えたとされる伊達家の本家、
仙台藩から亘理に嫁いだ正真正銘の姫君である伊達保子さん

保子さんは、すべての財産を投げ売りましたが、唯一売らなかったものがあります。

それが、
お雛様

和菓子を作り、寒さや飢えに苦しむ家臣や家族に祈りを捧げたそうです。

保子さんが
開拓が成功したときに歌った和歌が、

にいはりにちから尽くせし
もも千はた
珠有る里になりにけるかな


珠有る里が、北海道の有珠のことです。
開拓が成功したことで、伊達市となったそうです。

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令和

令和とは、
万葉集からきています。

万葉集 梅花の宴
 初春の令月(れいげつ)にして 気淑(よ)く風和(やはら)ぎ 梅は鏡前(けいぜん)の粉(ふん)を披(ひら)く、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(かう)を薫(くゆ)らす


春の季語に、梅の花が来ている日本人の感性がステキだなとおもいます。

梅の花って、せっかく暖かく春になり始めたころに急に寒くなり冬を耐え忍ぶことで、春になれば一番麗しく咲くそうです。

つまり、
幸せから一番遠いところに、幸せは宿っているという、日本人の感性が素晴らしい。

もし、幸せから遠いなと思っている方がいたら、
幸せはもう始まっていますよと伝えたい。

令和は、
日本人が輝くステキな時代になっていくとおもいます。
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白駒さんのお話を聞いて、もっともっと日本の歴史を学ぼうと思いましたし、
これを子どもたちにも伝えていきたいと思いました。

今回のお話をまとめながらも、色々調べたことで、とても勉強になりました。

白駒さんありがとうございました。

エイチエス株式会社斉藤センム、お誘いいただき、感謝です。
本を送ってくださった横浜の均ちゃん、ありがとうございました。


白駒さんのホームページは、こちらです。

講演会などご希望の方は、ぜひ、白駒さんに相談してみてください。
たくさんの子どもたちに伝えて行きたいお話です。