自由の難しさ

 

 

ここ2週間ほど、あーでもないこーでもないと、んーんー唸るようにいろいろと悩んでいました。

 

具体的な自分の状況として今年初めから大きく変化することはないのですが、ここにきて精神的に節目というか、改めて「これからの自分」について考える時期にあります。

 

でもまさか、こんなに深くハテナに陥るとは。全く予想だにしていなかったので自分でも大変驚いています。

 

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1つ目の話題。

 

公務員のことを英語で「public servant」って言うことがあります。この言葉を初めて見たとき、そんな言い方するのか!と驚いたことを思い出しました。Servant=サーバントって召使いとか使用人とかだから、「公共の使用人」なんて、何てひどい表現だと嫌悪感を持ちました。

 

でも同時に、現代社会の仕組みの中で生きていく上では、(嫌いな言い方ですが)ほとんど全ての人が公共に奉仕する立場にあると言えるのだろうと思います。社会の仕組みの中で、それぞれの「仕事」に「役割」があって、その役割を全うすることで安定した生活が保障される。

 

じゃあ、逆に自分で「役割」を作り出すことで、自分の好きなことを仕事にすればいいのではないか?これが今の自分が辿り着こうとしているポイントかなと思います。

 

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2つ目の話題。

 

「はい、これから毎日何でも好きなことやって暮らして良いですよ」と言われたら、あなたはどうしますか?

 

これって一見、荒唐無稽で幼稚な質問のように見えますが、実はものすごく難しい話だと思います。

 

「本当にやりたいこと」に気づくのは容易ではない。

 

僕の場合は「音楽」が柱にありますが、それでも、詳細に考えれば考えるほど難しくなる。この難しさは、なんか、アレルギーとかカビみたいに現代人にこびりついているんじゃないかと思うのです。

 

僕はこれまで割と自由に生きてきたのかなあとは思います。でも、知らずのうちに、不必要に社会常識とかルールに縛られている部分が多いに存在することに気づいたのです。誰に頼まれた訳でもないのに。

 

責任ある社会人は、通常「本当にやりたいこと」よりも「何ができるか」を優先して考えます。それが生きるための「メソッド」とか「常識」だと思う人も多いんじゃないかと思います。条件(能力や状況)を考慮せずに、ピュアに「やりたいこと」について考える感覚が、備わっていないように思うのです。

 

世の中には「できること」=「やりたいこと」だと勘違いしている人が多いような印象もあります。

 

教育が悪いのか、世間が悪いのか、環境が悪いのか、それはわかりませんが、そんなことはどうだって良い。

 

要は、できるだけ素直に問い続けることじゃないかと思います。人生というのは続いていくものであるし、どの時点からだって始められる。

 

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で、いろいろ悩んだ末、僕にとっての答えは、「演奏がしたい」のと「もっと上手くなって、深い感動にたどり着きたい」のと「音楽と共に生きていきたい」と言うところに落ち着いてきたのかなあと思います。

 

シンプルで簡単なことのはずなのに、何周も回らなければたどり着けない滑稽さ、面白さと難しさ。