はなすようにふく
トロンボーン奏者・玉木優のブログへようこそ!

オフィシャルウェブサイトhttp://www.yutamaki.com/
  • 27Jun
    • この世界をどう見ているのか

      「この世界をどう見ているのか」ものすごく興味深い問いだと思います。 いま置かれている自分の状況や環境、生い立ち、自分と関わる周りの人々、様々な要因によって世界の見え方は変わるのだと思います。環境が違えば、そこから見える世界は様々だと思います。人間の数だけ、そこには異なる景色があるはずです。 しかし、人の理解は、自分が知っている知識、自分が知っている世界の範疇に限定されるので、他人の世界や境遇に関しては、あくまで想像上の話になると思います。 共感する力、想像する力が高ければ、より明瞭になり、もしかすると、かなり近い想像、疑似体験ができるかもしれませんが、それでも、他人の世界そのものをそのまま100%体験することは、ほぼ不可能だと思います。 (音楽を始め、芸術がその体験を実現する可能性を秘めていますが、それはまた別の話題) 時折、自分の世界の範疇で、他人の世界のことを誇らしげに話す人に出会うことがあります。その人の勝手な視点から放たれた理解は誤っていることが多くて、歪められていることもありますが、本人は自信満々に理解したつもりでいるのを見ると、とても滑稽で辟易してしまいます。 勘違いにも関わらず、そういった行為を通して「自分の優位性」について、自分自身に言い聞かせているのかもしれません。 全知全能の人間など存在しないのだから、我々は内容によっては必ず無知であるし、弱点があるものだと思います。人はその事実を受け入れる必要があると思います。それを踏まえた上で、他人に思いやりを持って接したいと思うのです。でも、それを許さない社会とは、なんと荒廃した世界なのだろう。 自分を表現すること、それを他人に認めてもらうこと。それは、人が社会に生きていく上で、永遠に欠かせないことだと思います。もしくは、山奥に篭って仙人にでもなるしかない。 例え歪んでいたとしても、何か誇示するものがないと無力に感じて、恐怖なのかもしれません。自分のプライドが許さないのかもしれません。でも、他人を利用して自分を慰めなければならないとしたら、悲しいことだなと感じます。そんなしょーもない重い荷物を持ち続けて何になるのだろう。 どんな内容であっても、自分のことを否定されて嬉しい人間などいません。だから、勝手な判断やレッテル貼りは、毎日を生き抜く、その人なりの術でもあるのかもしれません。 でも、自分の弱さや繊細さを認め、それを自分自身や他人の個性と関連させ、愛情を持って尊重できるような、そんな世の中であればなと、心から思います。

  • 27Mar
    • 多重生活について

      (Hong Kong, March 2019)デンマークにいる時。日本にいる時。ヨーロッパやアメリカ、アジアを旅している時。空港に降り立った瞬間、少しだけ別の人格に変化するような感覚がある。心持ちが変わる。故郷を出た人は、少なからずこの感覚があると思う。 僕は旅が好きだけど、旅そのものより、「どこへでも行ける」自由さに惹かれるのだと思う。 【🇯🇵日本🏯🍣👘🚄🇯🇵】日本にいるときの心持ちは「発表」。演奏もそうだし、教えている時も。身体からエネルギーを外に放出する準備ができている。表現できるありがたさ。 エネルギッシュな人たちと触れ合って、世界が広がる。人との交流は、たとえ数分の会話であってもコラボだと思う。そこからユニークで新しいエネルギーが生まれる。活力が相乗効果を生んでいく。ただ、僕の日本の暮らしは極端に忙しい。自分の周りを、様々な方向の矢印が渦巻いて、自分自身をじっくりと見つめる暇がない。 それが続くと、徐々に枯渇するような気分になる。素直に循環していたものが、どこかで淀むように感じる。 そうすると、イライラする。疲れもたまってくる。やがて「デンマークの家に帰りたい」と思うようになる。僕は要領が良いようで、ある意味不器用なのかもしれない。【🇩🇰デンマーク🏰🥔🏖⛵️🇩🇰】デンマークにいるときの心持ちは「洗練」。時間をかけて練習する。時間をかけて発想する。時間をかけて自分の心の動きを観察し対話する。表現を生み出そうとするときは、僕には引きこもる時間が必要だと感じる。朝起きて、音を出してみる。誰に望まれるわけでもなく、自分のためだけに音を出す。仕事とか他人に提供する以前の、自分だけの音楽にもう一度触れる。そうすると、心が洗われる。創造力が戻ってきたら、また発想できる。 僕はあちこち異なる場所で生活をしていて、それが今の自分には一番しっくりくるスタイルになっていると思う。一番の目標は「お金に縛られないで好きなことをやって生きていく」だったけど、それが叶っていると思う。数年前までは、まさかオーケストラなど勤め人をやめてこんな形になるとは想像していなかった。世界中で雇用形態の多様化が言われて、フリーランスの生き方が随分一般的に浸透してきた。現代の音楽家の生き方、働き方の可能性も無限大だと思う。外国のことでも、生き方でも、知らないこと、様子がうまく見えないことは恐怖だけど、繋がれば見えてくる景色がある。少しずつ繋がれば、世界が確実に変わってくる。僕はそれを地で行くことができる感じがする。それは周りの人々の協力があるからこそできる。繋がるべき人と繋がっていると感じる。一人でできることは限られているけど、人と協力すれば、想像もできないことが広がっていくと思う。

  • 11Feb
    • 愛好家の視点から*ジョイブラス3DAYS1日目

      ジョイブラス3DAYSの1日目は、愛好家の方々へのワークショップ。東京では初めての試みでした。予想外の発見が多く、すごく驚いています!一番の大きな発見が、僕らプロや音大生を含む専門的な奏者たちが普段いかに「感覚的に」演奏しているかということでした。これ自体は悪いことではなく、機能について完璧に把握していなくても、うまくいっていればオッケー、それ以上深く追求することはない風潮が世界的にあります。こうやるという「アクション」として知っていても、それに伴う「反応」については、比較的に無意識なことが多いのだと思います。なので、割と個人の裁量に任される部分が多いのが現実。それを「才能」とか「センス」みたいな一言で片付けてしまう風潮にもあって、それではメソッドとして深さやキメ細かさに欠けると思います。当日受けた質問には「そんなこと今までに考えたこともなかった!」というものが、たくさんありました。例えば、つられて動く部分が実際はどうなっているのか、もっと細かいレベルで見たときにどういう風な動きや働きになっているのか。それを把握することができれば、もっとキメ細やかなメソッドの構築ができると思いました。エチュードなど、この世に存在するメソッドは、専門家の視点で構築されています。それは、おそらく毎日練習できる環境を想定しているのだと思います。愛好家の方には、毎日吹ける環境から週末中心に変わって、だんだん以前のようにいかなくなった、という悩みを抱える方が多いのではと思います。時が経つと身体は当然衰えますし、以前と全く同じ方法でいけるとは思えないので、さらに効率的な方法を知ることが大切だと思います。上記を踏まえ、愛好家の方々の現状からアプローチすることは、今までサンプリングされてきたデータと比べ、全く違う角度からの考察だと思います。それによって、専門的で最先端的な部分にも大いに影響が起きると思います。また、新しい分野、アプローチ、興味を発見しました!またヨーロッパに戻ったら、バウスフィールドにも話をしてみようと思います。ワクワクです!

  • 27Jan
    • 韓国の良音と死にかけた話

      今月2週目は、ソウルでのWinter Trombone Campに行ってきました。途中で病気になって、マジで死ぬかと思いましたが、本当に行ってよかった!Chapter 1:死ぬかと思った(笑)1/5の茨城リサイタル、1/6の東京感謝祭を経て、1/7の朝4時にはすでに羽田空港にいました。ソウル仁川空港に飛び、1/8夜には韓国デビューとなる1回目のリサイタルでした。こんなにあちこち旅してるのに、僕は時差ボケがめちゃくちゃ苦手なんです。時差ボケになると睡眠不足になり、免疫力が劇的に低下し、体調を崩しやすくなります。以前なぜか僕だけ寿司に当たって高熱を出して、スライドリンクの皆さんにご迷惑をおかけしたことがあります。すいませんでした。弱体化するんです。その韓国1回目のリサイタルの時から様子がおかしかったのですが、その翌日に40度の高熱が出て死ぬかと思いました(笑) その日は予定をキャンセルさせてもらって、18時間ぶっ続けで寝ました。あんなに寝たのは初めて。市販の風邪薬では対応できず、うなされながらいろんな夢を見ました。このまま気を失ったら二度と目覚めないんじゃないか、これで死んだらどうなるんだろうって本気で思いました。死体は日本に送られていくのかなぁ、家族が悲しむなぁ、なんて(笑) 今だから笑えますが。寝まくったおかげで次の日は何とかまっすぐ歩けるようになりました。その晩には2回目のリサイタルがあり、なんか終始フワフワしてましたが、何とか演奏を頑張りました。翌日生徒に「体調悪い時にうまく演奏するにはどうしたら良いですか?」と聞かれ、「舞台に立ったらしゃあないじゃないか。やれることをやるしかない。」と言い切りました(笑) 過酷な状況を乗り越え、とても強くなれました。Chapter 2:韓国のトロンボニストたち韓国は日本のお隣の国だけど、本当に、本当に、全然違いました!韓国人は日本人と見た目が似ているから、同じ文化圏のような目線で見てしまいがちですが、なんならデンマーク人の方が、まだ日本人に近いかなと感じました。 韓国でまず一番驚いたのが、音色の良さ。どこの国にも音色の良い人というのはいますが、韓国のみなさんはおしなべて全員音色が美しい!楽器を始めて一年や二年の学生さんも含めてです。ツイッターで小バズってましたが、これは驚愕でした。 学校吹奏楽やブラスバンド、オーケストラでトロンボーンを始めるところは日本と同じですが、2年目ぐらいからプロに習い始めるのが普通だそうです。やはり早い段階から、きちんとした指導を受けることの重要性を感じました。 次に驚いたのが、普段からすごく素直でナチュラルでいること。 僕のレッスンでは大抵の場合、最初に曲を吹いてもらい、「今の演奏はどうだった?」と聞きます。そうすると、韓国人の学生さんはかなり高い確率で「何にも考えてませんでした」って言うんです! はじめは「何にも考えてない」なんて公開レッスンの場でよく言えるよなと思ったんですが、結構みんなが同じ感じで答えるので「どうしてかな?」と思いました。 観察を重ねるうちに、彼らの言う「空っぽ」は、結局「無心に演奏している」状態なことに気づきました。本当に何にも考えてなければ、楽器をコントロールして演奏なんてできないと思いますが、そうではなくて、「ただ演奏している」んですね。ナチュラルに。目の前のことにシンプルに取り組んでいる。 僕は割と邪念や雑念の多い方で、あーだこーだと色々こねくり回して考えすぎるクセがあるので、なんか「はっ!!」としました。日本人は僕みたいに、良く言えば思慮深く、悪く言えば考えすぎ、のような人が多いんじゃないかなと思います。そのせいで悩みが多くなってしまうこともあると思います。その点、この「素直さ」は見習うべきポイントだなあと感じました。 韓国の学生さん、音色はものすごくキレイだけど、アンサンブルの力とか、ピッチや音程感というのは、発展途上にあるように思いました。日本は吹奏楽の影響や、国民性も手伝ってか、他人を聞く、アンサンブルすることに関してはとても優れているように感じます。でも音色は磨ける。 すぐに行けるお隣の国ですが、こんなに似ていて、こんなに違うんだと、すごく刺激的な体験になりました。また行きたいなあ。

  • 22Jan
    • 理想の音vs最善の音

      1月は日本🇯🇵と韓国🇰🇷で6つのリサイタル。気づきの多い月間になりました。感謝祭のテーマでもあった、新発見にも大変恵まれました✨自分が好きな「理想の音」と、自分が出せる「最善の音」。この二つの狭間で、よく悩まされます。奏者がハマる穴でもあると思います。たとえば、僕はバウスフィールドの発音のクリアさ、ベッケやライエンのような甘く繊細な音色、チェロのような少し翳りがある落ち着いた深い音色に憧れがあります。このミックスのような音を出したいと思ってやってきましたが、ある時、唇の抵抗を意図的に増やして、自分の理想の音を出そうとしていたことに気がつきました。人工的に力や抵抗を加えると、ナチュラルな状態からは離れてしまいます。良い音色とは出来るだけ振動数が多く、障害物がなく、極めてフリーで豊かに響いている状態だと思います。ただ、僕の場合、元から持っている音が明るくて派手で、かつ野太い傾向にあり、それがどうしても嫌で、完全に体をフリーにした場合に自分の好みの音が出ないなぁと、悩んできたのです。自分の頭の中にある理想の音に比べて、繊細さに欠け、音色の色が乏しいように感じてしまうのです。でも、自分自身で唇の抵抗をコントロールするのには限界があります。自分にない要素を意図的に操作して作り出すよりも、自分の道具(=身体のパーツや身体的特徴も含めて)をより自然な状態で最良に活用すべきだと、改めて感じたのでした。なので最近、アキシャルフローという比較的オープンで太めのバルブに変えました。以前使っていたローターバルブの方が、音色の色は出しやすいし、自分が理想と思う音には近く、モニターしやすさもあるのですが、少し安定感に欠けるというか、フラフラしがちな傾向に感じます。特に調子の悪い日には、細かな雑音やうまくコントロールできないことを、過敏に実感します。実際ベルの先ではそこまで繊細に聞こえない、伝わらないようですが。それに比べて、アキシャルフローは、音の枠が広いというか、許容範囲が広がるように思います。そのため安定感があって、安心して音が出せます。ただし、ローターに比べると音色の色が表現しづらく、野太い印象はあります。どちらも良さがあり、弱点もある。悩ましいところです。上記の印象は僕自身が感じることで、唇の抵抗や息の圧力は人それぞれ違うので、同じことが全員に当てはまるということは全くありません。でも大前提として、自分の体はできるだけフリーで自由な状態が理想であり、余分な力や抵抗を意図的に作り出すことはなるべく避けた方が良い。自然な体の状態に沿って、使いやすい楽器やマウスピース選び、自分が出す音色選び、演奏の方法選びをするべきだと思います。最善のパフォーマンスのためには、まずは自分の体にとって自然で無理がないもの、そこから最もコントロールしやすいものを選ぶ。それが最大の効果を生むはずです。

  • 20Dec
    • 雑感・ひとりごと

      雑感・ひとりごとこの夏、東京で占いをしてもらったんです。占いの経験はあまりないですが、色々と言い当てられてびっくり! 手相を見てもらって、「14、5歳ごろ、人生最大のインパクトがある出来事があったはず」と指摘されました。それはもう「音楽で生きていこう」と決めた瞬間しか思い当たらず。当時を思い返すと、「この道でいくと決めたこと」よりも、自分の気持ちをうやむやにせず、「正直に挑戦していくこと」の方が難しかったなあと感じます。「そんなん無理無理」「成功するのは一部の人だけ」たくさんの人から言われました。でも、他人の声はあまり気にしませんでした。未熟ながらも「自分が見てきた世界だけで意見しないでほしい」そう思っていました。でも、一番のやっかい者で強敵なのは、否定的な声が自分の中で反響することかなと思います。「大したことないくせに」「あー失敗するわ」「そんなんやって何になるの」という自己否定が反復し、必要以上に攻撃する。過度な緊張やプレッシャーに悩まされる人は、まさにこの状態だろうと思います。こういう状態にあると、他人に対しても、この世の中に対しても、否定的になってしまうものかなと思います。でも、これはごく一般的なことで、何かに挑戦しようとする人、すべてが通るところじゃないかと思います。頭のなかの否定的な声を打ち消すために、信頼できる他人の「承認」とか、「収入」とか「名誉」とか、自己の価値の証明としてわかりやすく目安になるものを、一生懸命探す人が多いのだと思います。実際には、上記と本質は全く別のところにあるのに、多くの人が何か別のこと、代替品で満たそうとするのだと思います。その様子を見ていると、自分もそうしないといけないような錯覚に陥るものです。ときには「ここにこんな奴がいるよ!」「発見して!」と、叫びたくなることがあります。他人や社会的な何か、自分より強力な存在に認めてもらうことで初めて、自分の可能性や存在、才能が開花するような、そんな気がするんだと思います。誰でも成功したいし、救われたいと思うのだと思います。でも、結局は自分自身が自分の可能性に気づき、それを隠さず肯定し、正直に信じて進んでいかなければならないのだと、それが生きるということ、才能が開花することに繋がるのだと、僕はそう思います。確かに褒められれば嬉しいけど、そもそも「誰も他人の保証なんてできない」ことを知っておかなければならない。自分自身が自分の力で立ち、そこから歩んでいるかどうか。精神的な自立とは、きっとそう言うところにあるのだと思います。残念ながら日本ではそれが難しい側面があるようにも感じます。でも結局、どの瞬間においても、自分の人生は自分で決めるしかない。

  • 06Dec
    • 玉木優Trb感謝祭*④ピアノ音楽の魅力:城綾乃さん

      みなさんは普段どんなジャンルの音楽を聴いていますか?トロンボーン関連の方であれば、トロンボーンや金管、吹奏楽やオーケストラが多いのでしょうか?J-PopやK-Pop、洋楽が好きな人も多いのかなと思います。僕は比較的なんでも聞きますが、最近クリスマスツリーを飾ったので、夕食時なんかはクリスマスアルバムをつけています。最近Bluetoothスピーカーを買いました。これが一瞬でスマホと繋がってすごく便利!いろんな音楽をかけています。クラシック音楽に限れば、ピアノを一番聴いているかなあと思います。バッハやベートーヴェン、ショパンやドビュッシーなどを、比較的よく聴いています。足を運ぶ演奏会もピアノが一番多いような気がします。ピアノ音楽の魅力は、表現力の幅かなと思います。ダイナミックで繊細、「一人オーケストラ」みたいな感じがします。その人個人の思いが音楽の隅々に行き渡る感じがして、単音楽器のトロンボーンや管楽器とは全く違った個性があり、ピアノの音色や世界観が好きです。ピアノの音の出る仕組みは、鍵盤を押すと連動したハンマーが弦を叩くことで音が鳴ります。鍵盤楽器と言いますが、仕組みとしては打楽器に近いと思います。だから本当の意味でのクレッシェンドやデクレッシェンド、スラーやレガートを奏するのは物理的には不可能のはずですが、素晴らしいピアニストはそれができるんですね。本当に不思議です。ピアニスト城綾乃さんのファンの方は、日本全国にたくさんいると思います!!東京藝大の非常勤講師/伴奏助手を務められ、東京を本拠地に日本全国至るところで活動されています。トロンボーン奏者に限らず、たくさんのプロ音楽家の厚い信頼を受け、普段は主にアンサンブル奏者として活躍されています。そんな城さんのソロを聴きたい!と思った方、たくさんいると思います。僕もです!!!!長年聴きたいなあと思っており、今回企画させていただきました。トロンボーンコンサートにピアノのソロが入ると、「休憩したいのね」と思う方がいると思いますが、違います!!休憩なんかせずばっちり聴きますから!* J.S.バッハ:トッカータ ホ短調 BWV914* M. ラヴェル:水の戯れ今回はこの2作品を演奏してくださいます。 彼女の素晴らしい音色と的確なテクニック、トロンボーン音楽の世界とはまた全く異なる音楽。多くの音楽家が惚れる彼女の世界とはどんなものか、今回ぜひ聴いてみていただきたい! そして、みなさん、ピアノ音楽はもちろん、城綾乃さんのファンになりましょう!! *****<玉木優トロンボーン感謝祭2019>🗼東京・1月6日(日)15:00-・新宿駅すぐ🏯大阪・1月20日(日)17:00-・梅田駅すぐ@ドルチェ楽器アーティストサロン  演奏会詳細&チケットご予約はURLから↓↓yutamaki.com/matsuriゆたまきドットコムスラッシュまつり😆

  • 05Dec
    • 玉木優Trb感謝祭*③表現の幅広さ: 1st CDから

      今回の感謝祭の後半は、先日リリースした1st CD “Love and Chaos”から、様々な音楽をお送りします。この世にはいろいろな音楽がありますが、その数だけ音楽の楽しみ方があると思います。演奏会で生の音楽に触れる🎉休憩時間に音楽を聴いて一息☕️移動中に音楽を楽しむ🚃仕事や勉強中に音楽でモチベーションアップ💪などなど私たちがふと「音楽が聞きたい」と思うときは、無意識的なことが多いような気がします。深層心理が働いて、音楽を欲するというか。演奏会にはお客さまに自発的に足を運んでもらう必要があるので、集客は私たち音楽家にとって最大の課題ではありますが。。。日常的なシチュエーションで音楽が果たしている役割は、「縁の下の力持ち」みたいなところがあるのかなと思います。知らず知らずのところで、人々の精神に良い影響をもたらしているように思います。今回の演奏会では、生演奏の魅力にプラスして、そういった部分にも働きかけてみたいと思っています。今回のこの演奏会は終えたあとも、日々の音楽の楽しみに広がりが出るような、それまでより少しだけ耳を解放するような、そういった要素をご紹介できればと思っています。詳細の種明かしは、当日までできませんが、音楽のインスピレーションが広がり、心に温かく、ダイレクトに響くような、そんな少しの演出を考えています。今回は1st CDリリース記念も兼ねています。CDの演奏と生演奏の違いを楽しんでいただくのもモチロンありです。CDのジャケットには下記の文章を掲載しました。じんわり温かな演奏会になればなと思っています。***** 「玉木優トロンボーン感謝祭2019」🗼東京・1月6日(日)15:00-・新宿駅すぐ🏯大阪・1月20日(日)17:00-・梅田駅すぐ@ドルチェ楽器アーティストサロン 演奏会詳細&チケットご予約はURLから↓↓yutamaki.com/matsuriゆたまきドットコムスラッシュまつり😆

  • 04Dec
    • 玉木優Trb感謝祭*②音楽と朗読の共演

      ②音楽と朗読の共演このブログのタイトルがまさにそうですが、僕は普段から常々「はなすように」演奏したいと思っています。 楽器での演奏に言葉はないけれど、「思いがもっとダイレクトに伝わる方法は?」と考え、今回の感謝祭では「言葉」との共演に挑戦します。 シューマンのリーダークライスOp.39を題材に、朗読と音楽の共演が実現します。当日のサロンにどんな世界観が生まれるか、とても楽しみです。この朗読という重要な役割、僕の人生にとって、すごく重要なお二人にお願いしました。 *****【東京公演】は、東京佼成W.O.の元同僚で、スライドジャパンのメンバーでもある、佐藤敬一朗君に依頼しました。 佐藤君は日本を代表する素晴らしいバストロンボーン奏者ですが、彼の魅力は「温かさ」にあると思います。心の動きを大切にされていて、彼の人柄や音楽の魅力はそこからにじみ出ているように感じます。とても天然なところがあるので、僕は普段ついつい冗談を言っていじってしまいがちですが、愛すべき人物、とても素直で優しく、貴重な音楽家だと感じます。今回はあえてトロンボーンではなく、朗読での共演。多彩な才能を持つ佐藤君、きっと温かで素晴らしい朗読を聞かせてくれると思います!朗読の朗の字は彼の名にもあって、何か不思議な縁を感じます。*****【大阪公演】は、ソプラノ歌手の太田裕子さんにお願いしました。太田先生とは、もうかれこれ20年以上のお付き合いになります。 僕の母校、兵庫県立西宮高校の音楽科では、週一で実技レッスンがありました。レッスン日には1時間ほどの空き時間があり、生徒たちはその時間、練習したり自習したりするわけですが、僕は必ず太田先生のレッスン室を訪ねて行きました。声楽を習っていたわけではないので、とても不思議な感じがしますが、毎週太田先生としゃべりに行ってたんです。なぜかわからないですが、ご縁があったんでしょうね。当時からいろんな話をさせてもらって、思春期から、30代のこんなおっさんになっても、それはずっと続いていて、 今では、一年に数回、西宮市夙川の絶品イタリアンレストラン、「アルテシンポジオ」へ行くのが、もはや習慣になっています。 美味しい食事をしながら、音楽の話、人生の話をしてきました。そのくらい僕の人生には近く、ずっと見守ってくださっているのです。 オペラ出演の経験で培われた太田さんの世界観。僕ら器楽奏者にはなかなか目にすることのない世界だと思います。必見!*****大きなコンサートホールではない、ドルチェ楽器のサロンというアットホームな空間でこそ、実現する「温もりのある」共演になるのではと、このお二人との共演が、今から本当に楽しみです。

  • 03Dec
    • 『玉木優Trb感謝祭*①カラーズの魅力

      🗼東京・1月6日(日)15:00-・新宿駅すぐ🏯大阪・1月20日(日)17:00-・梅田駅すぐ@ドルチェ楽器アーティストサロン 演奏会詳細&チケットご予約はURLから↓↓yutamaki.com/matsuriゆたまきドットコムスラッシュまつり - です!😆*****日頃からの感謝の気持ちと、さらなる感動を求めて、『感謝祭』と名付た今回のコンサート。「注目ポイント」をまとめてみました。①カラーズの魅力←今回②音楽と朗読の共演:佐藤敬一朗さん、太田裕子さん③表現の幅広さ:1st CD"Love and Chaos"から④ピアノ音楽の魅力:城綾乃さん今回は、①カラーズの魅力なんてポジティブな音楽なんでしょうか!!カラーズ、新しい年の初めにぴったりな曲。 アッペルモント作曲のカラーズは、いまや世界中で大人気。最近は特によく演奏されてます。4つの楽章には、4つの色の名が充てられ、作曲者は色から受けるインスピレーションとして、👑 黄(知恵・光)🔥 赤(勇気・意志)💧 青(真実・平穏)🍀 緑(均衡・調和)と説明していますが、あなたはどんな印象を受けますか?標題音楽は数あれど、「色そのもの」を表現したものは珍しいですよね。僕はこれまで割とシリアスな音楽ばかり演奏してきました。避けてきた訳ではないですが、ポップな感じの曲は、自分の引き出しにはあまりないかなあと思っていたんです。でも、この曲の持つ明るさとエネルギーに毎日触れていると、自分の細胞が活性化される感じがしています。新境地かも!今回聞いてくださる皆さまにもそのエネルギーを感じていただきたいです。僕個人としてはこの曲、今回ピアノと初共演です。素晴らしい城綾乃さんとの共演が本当に楽しみ!!! 前回の演奏は2012年3月。長崎県諫早市にて長崎日大高校吹奏楽部と共演しました。もうすぐ7年になるなんて信じられないですが、懐かしく思い出します。青春だったなあ。その節は本当にお世話になりました。 (↓ブログ記事を見つけました「長崎日大高校吹奏楽部のみなさんへ」https://ameblo.jp/yutamaki-trombone/entry-11190888079.html) またいつかバンドとの共演が叶うと良いなと思っていたら、こちらは1月5日の茨城県水戸市でのリサイタル公演で実現します! 日本全国の吹奏楽やオーケストラ、アンサンブル関係者の皆様、この曲はもちろん、いろいろな形での共演が実現できたらと思っています。共演者をお探しの際は、お気軽にお問い合わせください。どこへでも飛んで行きます。

  • 23Nov
    • 時間と音楽について

      この前の続き。時間と音楽について。これからの社会とクラシック音楽については、またそのうちまとめたいと思います。*********「音楽とは時間の芸術」とは、誰が最初に言ったのかは知らないが、良い言葉だと思う。生演奏でも、録音された演奏でも、音楽に集中しているときには、音と自分を中心に世界が存在しているような感覚になる。それはとても個人的な空間。 何かの作業のBGMとしてではなくて、音楽と自分だけの空間を純粋に楽しむことができるというのは、本当に特別なことだと思うが、いまの時代ハードルが高いようにも感じる。この夏にお台場でチームラボがやっているボーダーレス・デジタルミュージアムという映像の展示を観に行った。大人気なので訪れた方も多いと思う。大きなスペースに広がる映像は美しく、とても良い展示だったけど、それよりも客層の大半を占める高校生や大学生ぐらいの層が、スマホで写真を撮ることに夢中で、展示をその目であまり見ていない様子だったことが、強く印象が残っている。確かに、スマホのカメラ画面で見た方が、裸眼で見るよりもキレイに見えたので、仕方ないのかもしれない。そういう風に狙って作られたものでもあるのだろうか。その人たちの様子を見て「ちゃんと見ているのかなあ?」と思った。今この瞬間の目の前の出来事よりも、インスタ映えの方がよほど大切なのだろうなと、なんか皮肉っぽく、不思議な気持ちになった。音楽も同じことだろうと思う。その瞬間の音色や音楽がどんなものなのか、しっかり耳をそばだてて聴くことは、この世界ではさらに難しくなっていくのだと思う。バーチャルなもの、利便性、安易に手に入る結果や結論の追求の先に、アナログでアコースティックなクラシック音楽、金管やトロンボーンの居場所があるのだろうか。このままでは不便で不器用なものの価値は下がり、どんどん見放されるような気がするけど、ある地点から人間味のあるものが、逆に貴重なものになっていく気もする。そう願いたい。演奏家は人の温かみを忘れずに活動することだろう。音楽にはその瞬間の音というのがある。知っている曲を聞くときに、自分の好きな箇所を待ち構えて聴くようなことがあると思う。金管奏者ならもはや悪いクセで、高い音や難しいパッセージに注目することがある。数秒後、数分後の音を待ち構える。これ自体は悪いことではないと思うけど、その音までの音楽が完全に無視されていることに気づかなければならない。日本のテレビ番組でカラオケをやっていて、「ここ難所!」みたいな、注目ポイントが出てくる。わかりやすくしたいのだろうけど、そうやって聞き手の意識を限定することに何の意味があるのだろうか。変な決まりを決めないで、個人の感性に委ねた自由さがあるのが、音楽の本来の良さだと思う。その瞬間の音とは別に、音楽には脈略がある。脈略を理解するには、例えば、ソナタ形式を知っていた方が、ソナタや交響曲を聞くのも演奏するのも、より楽しくなるし、理解が深まる。そう思うと、音を聞くというシンプルな作業がどんなに難しいことかに気づく。良し悪し、正しいか間違っているかを判断することは、そんなに難しいことではない。でも、いま耳に入ってくる音を、いまこの瞬間の自分がどう感じるかに注目して音を聴くことができれば、きっと世界が広がるはずだと思う。音楽を聴く行為と、音楽を演奏する行為は、まるで違うことなのだと思う。でも、音楽の聞き方が広がれば、当然演奏の方法も変わる。無限の可能性に満ちた、自由なものとして捉えたい。

  • 19Nov
    • 旅のススメ

       僕は旅が好きだ。旅には3つの段階があって、それぞれに魅力があると思う。①旅の計画②旅立ち~旅の最中③旅の終わり~家路へ旅は心を軽くしてくれる。日常にハマると、あれこれ考えすぎてしまうけど、旅に出ることで凝り固まったり、停滞したりする部分が解される。趣味とはそういうものだろう。 トリップという言葉は、麻薬とか危ない薬で意識が飛んでしまうことも指すけど、今いるここではないどこかに飛んで行き、非日常的な体験をするという意味合いは、旅も同じだと思う。 非日常的な体験や風景、味覚や文化を楽しみ、そこに生きる人たちの生活に触れる。とても刺激的だ。非日常のなかに、自分自身を再発見するような感覚がある。  僕の父はアメリカかぶれだったと思う。英語は全く話せないくせに、酔っ払ってはハリウッド映画のセリフをマネしたりしていた。なぜか彼にはスクリーンのなかのアメリカ文化が、すごくカッコよいものに映っていたんだと思う。 父には小さい頃から「日本なんかにいたらあかん。海外に出ろ」と言われて育った。一生を国内で終えた彼の言う日本の何がダメなのか、具体的には未だに理解できないが、きっと日本という国がすごく狭い世界に映っていたんだろう。 そのせいかどうかはわからないけど、僕はいま海外で生活している。どこの国にも、母国を出てみたい人たちというのが、ある一定数いるのだと思う。僕とは逆のパターンで、ヨーロッパやアメリカを出て日本に移り住む人もいる。「非日常」な土地が面白く、興味深いのだと思う。日常が冒険になるし、たまに毎日が旅行のようだなぁと感じることもある。 わざわざ外国に住んで不便だろうに、と思う人がいるかもしれない。僕は、この世に不便でない国なんて存在しないと思う。それぞれ違った不便さがある。通常その程度の日常の便利さなんて、たわいも無いことだ。それに、何かが豊かになれば、そのぶん別のところが枯渇する。このことに気づいていない人が多いと思う。 旅を終えて、家路に着く瞬間も僕は好きだ。人によっては、停止していた地点に戻ってきて、旅以前の暮らしを再開するような感覚があるかもしれない。それが安心感だったりするのだろうけど、僕には違う感覚だと思う。 僕にとっては、旅に行こうが日常を進もうが、それは同じ一本のレール上で起こることなのだと思う。時間は常に前に進んでいくから、日常に戻ってもある意味別の新たな旅が続いていく。そう思うと先が見えない不安はあるけど、常にワクワク感がある。旅には自分を変化させる何かがあるように思う。 これまでは、航空券を取って、ホテルを予約して、事前に行き先を確認して、レストランを予約して、みたいな旅ばかりやってきたけど、次の旅は違った方法でやってみたい。いつかキャンピングカーであちこち回ってみたい。 次の旅は、ノルウェーの北端、チベット、オーストラリア、カトマンドゥ、東南アジア、マダガスカル、アフリカのサファリのどこかに行きたいなぁと思っている。

  • 03Nov
    • 正しさと独創性

      正しさと独創性*【「アーティストがやるべき」と思うことをやるんじゃなくて、自分がやりたいことにフォーカスすべき】アメリカ人の画家/彫刻家、ジェフリー・ギブソンの言葉。僕も毎日同じようなことを考えている。『 正しさ 』*僕が目指してきたトロンボーン奏者像とは、世界の名門オーケストラに所属し、そこをベースにしてソロや室内楽の活動などをやる人のことだと、これまで長年思っていた。この道は、多くのトロンボーン奏者が目指す最もスタンダードなものだと思うし、僕たちは皆ある意味、このフォーマットというか、「枠」のなかで、成功を模索してきたような感じがあると思う。オーケストラで吹くトロンボーン奏法の美学、オーケストラ表現の芸術というものがある。それは、職人的であり、大きな機械のなかでどういう風に自分の役割を果たすか、というような捉え方だと思う。オーケストラは最大規模の室内楽であり、いろいろな個性や役割が絡み合った、社会の縮図のようだと思う。社会はどんな形態であっても、規模が大きくなり、働きが高度になればなるほど、個人の役割はより集約化され、効率化されるように思う。だから、オケトロンボーン奏者の役割は、レベル向上と共に、より職人的な方向へ向かうと思う。この職人的な役割を考えたときには、「正しさ」をクリアすることが最初の課題であり、不可欠だと思う。正しく演奏できないことには評価される訳がないし、「正しさ」=「水準」というのは最もわかりやすい指標だと思う。でも、「正しさ」を追求するだけで僕らの仕事は十分なのか?『 トロンボーンを教えること 』*トロンボーンを教えるということは、90%ぐらいは「正しさ」を教えるということになるのだと思う。レッスンやワークショップなどで、僕のところに来る人は、ほとんど全員が「プロオケに入りたいです!」と言う。それなら「正しさ」をマスターする必要がある。当たり前の正しさ、正統派ができない奏者にオーケストラ奏者は務まらないし、多くの卵たちはそこで躓くのだと思う。僕も長いあいだ超一流のオケマンを目指してきて、まだ叶っていないことを考えると、立場や技術は違えど同じような課題を抱えているのだと思う。ただ、少し違和感を感じることがある。皆が一様に声を揃えて「オケマンになりたい」と言っていることだ。なりたいことに問題があるわけではない。もっと多様化することができないものか?もっと他に選択肢があっても良いのではないか?もっと様々な道に目を向けるべきではないのか?それは無理なのか?月給を稼ぐことは現実的だし、名前が売れないことには仕事の単価を上げるのが難しいらしいので、生活を考えると真っ当な意見だと思う。本質的に音楽とは何の関係もないけど、目指しているのは「お金」ですとキッパリ言えるなら、それは潔くて良いと思う。それならそれで練られる戦略があると思う。(でも、実際にはプロオケの仕事のことはおろか、オーケストラのことを知らない学生、興味を示さない学生が多いと思う。プロオケやプロオケ奏者の演奏に興味がない人も多い。なのに、目指していると言う。正気か?)僕は、ほぼ全員が同じような方向性で同じようなことを目指すよりも、それぞれが一番得意なことを発揮して世の中に貢献できた方が、結果的には社会のためにはなるのではないか?と思う。多数が目指すことでトップや全体の水準がアップするとは思うけど、現実的に見てどちらが、個人にとって、また社会にとって、有益なのだろう?検証モデルがないからわからないけど。『 トロンボーン奏者にとっての独創性 』*「正しさ」から離れた場所に位置しているのが、「独創性」とか「創造性」ではないかと思う。「独創的」に物事を考えるなら、「なんでもあり」のはずだけど、トロンボーン奏者にとっての「独創性」は、現状ではとても限定された状態だと思う。最初に述べた「枠」が大きく関連していると思う。みんなクリスチャン・リンドバーグという人を知っているけど、誰も目指さない。スタンダードを体得していない者が、ルールを無視して好き勝手なことをやっても、大抵の場合は精度が低く、独りよがりなものになるのだろう。特に一般には受け入れられ難いと思う。「独創」と「独りよがり」の境界はどこか。ベートーヴェンが、ゴッホが、生存中に理解されず、貧困に喘いだことを考えると、独りよがりと言われようが、評価されようがされまいが、自分がやろうとしてることを突き詰めることにも意味があるのだろう。先立つ物は才能か、それとも覚悟か。例えば「オタク」という言葉。僕が小学生ぐらいの時は、強い軽蔑の意味がこもった言葉だったと思う。今でもマイナスのイメージがないことはないけど、意味合いがかなり違う。少なくとも、世間の人気者のアイドルが、自分を「オタク」なんて言えるような感じではなかった。生まれ変わった言葉のように感じる。今では文化となり、世界的にも認知され始めた。形が変わること、認知が変わること、常識が変わること、その先にある多様性。これが僕らの世界にも、どうにか繋がっていかないものか。可能性はあっても、具体性がないのか。『 自分の道 』*「正しさ」を追求することと、「独創性」を追求すること。相反しているようで、実はとても近いところにあると思う。そんな感じがするけど、まだフワフワしている。「枠」があると、閉塞感を感じるし、「枠」がないと、野放しにされたような気持ちになる。では、枠を広げる方向で考えるのはどうか?僕は全く新しい枠を創り出すことよりも、その方が合っている気がする。トロンボーンという楽器の特性や、社会から与えられた役割に絶望感を抱いた時期があった。今はそこから進んで、ある程度の自由を手にしたと思う。楽器の上達もあるけど、何より発想の転換ができるようになったことが、大きいと自覚する。では、僕が本当にやりたいことは何なのか?では、僕ができる貢献とは何なのか?この2つも相反しているようで、近いのだろう。このトロンボーン吹きの、ここからの景色を1mmでも広げることができたら。僕はそう思って活動を続けていこうと思う。*今アメリカに来ています。圧倒的にデカすぎる大自然を前にすると、頭の中がクリアになる感じがします。最高の癒し!

  • 10Oct
    • 緊張したくない

      レッスンやワークショップなどで「緊張して失敗してしまうのですが、どうしたらいいですか?」と頻繁に聞かれる。日本人に限らず、あがり症で悩む人は多い。 率直に「ごちゃごちゃ考えてないで、目の前のことをやるしか仕方ないでしょう」と思うけど、結果が出ないと深刻だと焦っている人には無意味な意見かもしれない。 プロの奏者はそれぞれに対処法を持っていると思う。「対処法をあえて持たない」という対処法を持っている人もいる。結局は素でいるしかないと思うけど、素の自分が嫌いであれば、演じるしかないのかもしれない。 人前で自分の力を発揮したいと思う限り、緊張との付き合いは続いていくのだと思う。「緊張が何なのか」「どうして緊張するのか」について、考えたことがない人はいないだろう。緊張に押しつぶされて力を発揮できない人は現実にたくさんいる。 大学時代、英語の授業で、イギリスのクラシック音楽誌の記事を読むというのがあった。その中に、トロンボーン吹きなら知らない人がいない、クリスチャン・リンドバーグの記事が登場して、その内容が「ステージフライト=Stage Fright」だった。ステージフライトとはあがり症のこと。 記事の内容を100%正確に覚えているわけではないけど、一番重要なポイントは「緊張の存在を自認すること」と言っていたと思う。 当時大学生の僕は「緊張を自認して大丈夫なのか?」「自認したら潰されてしまうんじゃないか?」「緊張が拡大するんじゃないか?」そんな感想を持った。今思えば、正確な意味を理解していなかったと思う。 緊張にも色々あるけど、「良い緊張」と「悪い緊張」があることは誰もが自覚していると思う。「良い緊張」は自分の力を発揮させ、「悪い緊張」は自分の力を潰してしまう。 「自意識過剰」という言葉がある。自分の意識が過剰に働いて、心身が過剰に反応している状態のことだ。多く相談を受ける「悪い緊張」とはこのことだと思う。例えば、個室で一人で発表するのと、大勢の前で発表するのとでは自意識が異なる。大勢の前で発表するときに現れる自意識。これが多くの人が悩む緊張だろうと思う。 選択肢は2つ。①一人でやるように、大勢の前でもやる②大勢の前でやるように、一人でもやる まずはこの2つの差を埋めることが必要だと思う。大勢の存在を無視することはまあ不可能だから、普段から大勢の前で発表することを前提に練習に励むしかないのだろう。練習が過密化していくほど、自意識はフォーカスされていく。フォーカスされすぎると硬くなる。多少のバランスが必要だと思う。 でも、ここを抜ければ自己の力を塗り替えるような、ものスゴイものがあるのも確か。オリンピックとかスポーツを観ていて、集中力の高さ、ブレイクスルーの瞬間にすごく感動する。 あともう一つ。常に力を発揮していれば、人がいようがいまいが、根本的にやろうとしていることは普段とはそんなに変わらないはず。だから練習が大切と言われる。 他人がいるかいないか、それだけの違い。他人に聞いてもらうこと、他人の存在を、自分はどう捉えているのか自問してみる。悪い緊張、恐怖感について、僕はトラウマの原理と似ているんじゃないかと思っている。思い出したくもない過去の嫌な思い出が傷となって、現在の自分を苦しめる。トラウマになるような経験には、その人の中で大きな意味があるのだと思う。大きな意味がなければ記憶の中に留まることはない。昨日の朝何食べたかみたいに、容易に忘れるはずだ。おそらく、その嫌な経験を避け、安全に生きていこうという対処がトラウマとなって現れるのだと思う。 緊張も同じだと思う。成功させたいという意欲があるから緊張する。緊張するということは、大切に思っている証拠だ。リンドバーグが書いていた「自認」とは、このことだと思う。 ただ、緊張から来る恐れや不安にフォーカスしても意味がないから、緊張を自認=「ああ、これからやろうとしていることは自分にとって、とても大切なことなんだなあ」と思って、そこに置いておく。そして、ジタバタしないで自分がやろうとしていることをピュアに取り組む。 緊張と本来自分がやろうとしていることには、何の関係もないことに気づかなければならない。 神経は過敏になるだろう。でも、だからどうした。 あと、うまくいかなくても死なない。うまくいってもそう。人生はどっちみちその先もずっと続いていく。ああだこうだと言い訳を探しても仕方ない。その場でやれる最善を尽くすしかない。発揮するしかない。 バウスフィールドに、成功する人とそうでない人の違いは何か?と聞いたことがある。「パーソナルクオリティ」だと言っていた。これはどういうことか。また気が向けば書いてみようと思います。

  • 04Oct
    • 「時間」のコンセプト・1

      CDの売り出し好調のようで、ありがとうございます。僕の音が、少しでも皆さまのその日のプラスになれば嬉しいです。販売に当たってご協力をいただきました皆さま、厚く御礼申し上げます。 また最近考えていたことを文章にまとめようかと思うのですが、今回のテーマはとてつもなく難しいので、ゆっくり書いてみようと思います。「時間」のコンセプト・1 この夏頃から、脳の働きについて学び始めました。右脳と左脳の機能、そこから生じる様々な問題や課題、音楽や演奏にまつわることだけではなく、日々の生活や生き方に及ぼす影響について考えてきました。その中でも最近は「時間」というコンセプトがものすごく面白いなと感じています。 「時間」とは、時の流れのことであり、その長さ、生きていく上で枠となる概念だと感じます。でも実は、人間が真に「時間」を実感することは、絶対にないのだと思います。 人は、常に「現在の今この瞬間」を経験していて、その連続を体験しながら生きていると思います。たとえ時計で10分を計ることができたとしても、それは結果として「現在の今この瞬間」の連続としての10分です。 私たちが実際に体験できるのは「今この瞬間」のみであり、それは過去や未来のことを想像しても、それを「今この瞬間の私」が「今この瞬間」考えていることには変わりありません。 まさに「この文章を読んでくださっている今この瞬間」、自分はここにしか存在していないのです。 過去とは、脳に蓄えられた記憶を取り出してきて、体験を思い出すという形で実感できます。でも、実際に自分が体験しているのは、今この瞬間の自分の「記憶」です。 未来とは、過去や現在の体験を元に何が起こるかを予想したり予測したり想像したりすることです。未来や将来は常に自分より一歩先にいて、現在の自分が追いつくことは決してありません。 大まかには左脳が持つ「認識する」という機能によるものだと思います。人間が感じる不安や不満、大きく言うと「精神的な不安定さ」とは、この時間のコンセプトが要因になっているものが多いように感じます。 何年も前から「マインドフルネス」という言葉を聞く機会が増えてきました。「この瞬間に生きる」ことがマインドフルネスであり、あちこちでその重要性を訴える文章や記事を、かなり前から幾度も目にしてきました。僕自身は、理屈として理解していても、実感としてピンと来ていなかったのが実際のところかなあと思います。 大なり小なり日常に問題を抱えていない人など、この世界には存在しないと思いますが、この時間のトリックによって必要以上に悩まされることがあるのではないかと思います。自分が存在している今この瞬間ではなく、過去の経験から来る傷や、未来への不安、それが恐怖となって襲いかかって来る。 それが人々の不安に繋がり、結果的には社会的な不安や政治的な問題に繋がっていくように感じます。世界のあちらこちらの国々が保守的な方向へ向かっていて、扉を閉めることで安全を確保しようとしていると感じます。人々の不安を煽ることで自分の立場を強固にしていくような流れが、アメリカだけではなくヨーロッパや日本でも見られると感じます。 ちょっと話が逸れてしまいましたが、この世の中では、ますます音楽が重要な要素になって来ると感じています。 この話が音楽にどう繋がるのか、また次回書いてみたいと思います。

  • 24Sep
    • CD “Love and Chaos”リリースに寄せて

      ついに初めてのソロCDがリリースされました! 自分のCDを出すというのは、学生時代からの夢でした。これまで山あり谷あり、いろんな土地でいろんなことをやってきましたが、とても感慨深いです。 このCDを作るに当たっての思いは、CDジャケットに掲載しているメッセージに込めました。 - なぜ自分は音楽をやっているのか?- どうしてトロンボーンなのか?- 一人の人間として何を表現したいのか?- どう生きていきたいのか? こういったことを毎日考えているわけです。やはり、音楽を通して自分自身を見出す瞬間が多く、音を出しているとき、特に舞台で演奏しているときに気づくような、自分を再確認するような、自分が何者であるかを感じるような、そんな感じがします。 これはきっとどんな形であろうと演奏に触れる人であれば、必ず実感することだと思うし、音楽の魅力の一つだと思います。 正直こうやって自分のCDを聞いていると、自分の未熟さを思い知ります。音楽というのは時間の芸術だと思います。ライブ演奏は瞬間の芸術であるから、過去のものになるというのは考えにくい。でも、CDだと過去の瞬間が永遠に封じ込められる。自分にとってはどうしても過去のものなので、「そこそう吹くのかー!」とか思ってしまいます。おそらく演奏者本人にしたら、自分のCDなんてほとんど全部がそうだと思います。人間は進化するもの、演奏は進化するものなので。もっと洗練させること、もっと突き詰めた表現を目指さなければと思います! でも同時に、完璧な音楽など存在しないし、自分の一つの思い、一連の思いがこうやってCDになったことを、素直に、率直に、光栄に感じています。 いろんな心の動きが詰まったCD作品に仕上がったと自負しています。ぜひ聞いてみてください! また、聞かれた方がどんな印象を持たれるのか知りたいです。ぜひご意見お寄せください。Email:info@yutamaki.comPVOnline Shop - JoyBrasshttp://joybrass.jp/shop/item_detail?category_id=59106&item_id=2458927

  • 18Aug
    • コンクールやオーディションに挑むとき

      日本に着いて早速、管打コンクールを受ける生徒さんたちのレッスンをしています。日本管打楽器コンクールはトロンボーンのソロコンクールとしては国内最難関。それぞれが力を存分に発揮して、満足のいく演奏、結果に繋がればと心から願っています! 僕なりのアドバイス、精神的なところを中心に書いてみました。少しでも役に立つ内容があれば嬉しく思います。①緊張しないなんてありえない→大切に思うなら緊張して当然コンクールやオーディションは、コンサートととは明らかに違うものであるなと感じます。どんな状況でも演奏家に課せられたことは良い演奏なので、本質的には変わらないはずですが、結果を残すことを目的としたコンクールやオーディションは、コンサートとは意味合いが大きく異なると思います。精神状態も普段とは同じようにはいかないはずです。全く緊張を感じない人っていないんじゃないかと思います。だから「リラックス」ってすごく大事。普段通りにしてると思っていても、日に日に緊張は増します。コンクール数日前から当日まで、どう過ごすかも大切なポイントだと思います。僕の場合は煮詰まりすぎることが多かったので、できるだけリラックスできるように、練習し過ぎず、好きなもん食べて、好きなように過ごす、っていう風にしてました。少なからずストレスは感じるし、緊張は必ずする。それを否定しないで、和らげられるように。②そもそも何がしたいのか→演奏の目的は? これはコンサートやコンクールに限らず、日々尋ねるべきことかなと思います。 「良い演奏?」だとしたら、そのために必要なことは?「勝つこと?」だとしたら、勝つために必要なことは? その場の気分にフラフラ振り回されることほど不安な舞台はありません。奇跡的に良い気分でうまくできればいいのになあーなんて、そんな無計画なプレイヤー、一流の音楽家に見たことがありません。自分のイメージする良い音や良い演奏に必要なことはなんなのか。それを自分が持っているツール使ってコツコツと発揮する。 あと、舞台まで一緒に来てくれる共演ピアニストの存在はものすごく絶大。頼れる人には頼るのが一番。 ③みんな不安なのは一緒コンクールやオーディションに挑戦する参加者は全員、自分の結果がどうなるか、演奏がどうなるか、不安に思いながら挑戦します。だからあなたが感じるその不安は、別にたいして特別なことではありません。みんな同じ。 人間の脳は危機管理をするようにデザインされています。その反応として、不安や緊張が生み出されるという側面があります。当然のように感じている不安や緊張が、実は幻想だったりすることもあります。 でも、そもそもの課題は「良い演奏をすること」。緊張に打ち勝つことではありません。頭の中で作り上げた不安という幻の敵と戦ってもどうしようもない。やるべきことは目の前の楽譜を真摯に奏でること。 ④余裕は作れる物事に真剣になればなるほど、自分自身と対象の距離が近づいていく感覚があります。まるで虫めがねや顕微鏡で覗いているかのように、音楽や楽譜と自分の距離が極端に近づいて来て、細かいことばかりに気がとられ気を揉むことがあると思います。逆に余裕のある状態というのは、「距離」が保てる状態であり、物事を俯瞰して見ることができる状態かと思います。 想像してみてください。自分が楽譜に対面して、自分の目の前1cmのところにある状態から、ぐーーっと自分を遠ざけていきます。Google Earthで自分のいる位置を見たことがある人も多いかと思います。まさに、宇宙から地球上の自分を見下ろすみたいな感じ。ぐーーっと自分を遠ざけて全体像が見渡すことができれば、楽譜の見え方が変わってきます。自分自身の見え方が変わってきます。音楽への思いが変わってきます。そうすれば自分の意識の場所がどの辺にあれば良いのか、エネルギーがどんな感じで広がっていくのか、感覚としてわかってきます。余裕や余白について、自分で作り出すことができることを知っておくというのは、すごく大切なことかと思います。ぜひ納得のいく良い演奏を!Good luck!!

  • 21Jul
    • ひとりごと・世界との繋がり

      最近考えていたことがありました。文章にすれば少し自分のなかで腑に落ちる気がして、自分の為に書き留めています✈️💺 舞台で演奏するという行為は、ものすごいことだなと改めて感じます。大勢の聞き手の注目を一身に浴びて、個人的なストーリーを音で語る。舞台の人間が発する声に、皆が耳を澄まして聞き入るのです。単純に、ものすごいことだと思います。 音楽や演奏の意味とは何なのか?、それは「人生とは」みたいな質問と同じで、自由な答えがたくさんあると思います。僕にとっては、他人に聞いてもらうことで初めて成り立つ行為であり、前にも書きましたが、エネルギーの交換、魂の共振なのだと思います。 世の中には自分の主観に偏る人が増えているような気がします。そういう世の中なのでしょうか。どう生きようが個人の勝手ですが、主観ばかりを主張する人に会うと辟易してしまいます。本当は誰でも他人と触れ合って、多角的に総合的に生きているはずなのに、一辺倒に自分の価値感を主張し、自分の周りに壁を作って、他人や自分の知らないことから身を守っているような、生き辛そうな人を見かけます。 僕はこれは深刻な現代病じゃないかって思うのです。日本人だけじゃなくて、アメリカ人にもこの傾向があるような気がします。だから何か愛情がないというか、フレンドリーなのか、よそよそしいのかよくわからんというか、そんな感じがします。 逆に客感性とか他人との繋がりを大切にする人というのは好奇心に溢れていて、繊細な部分があるかもしれませんが、僕の周りの尊敬すべき人たちからは、全員共通してそんな印象を受けます。あくまで僕が好きだなぁ、と思う人たちのことですが。 自分に正直でいることが何より大切だと思います。それを踏まえた上で、僕は共感とか共鳴ということを大切にしたい。僕はそれが幸福感にダイレクトに繋がる喜びであり、そこには巨大なパワーが宿っているように思います。 でも、ますます個人と個人の間の壁が厚く大きくなっていくような気がしています。政治が悪いのか、時代が悪いのか、世界情勢なのか、僕には詳しいことはわかりませんが、どこか漠然とした不安を感じます。 世間には物質的なものが溢れていて、お金とか高級品とか、肩書きとか、それ自体は中身が空っぽなのに、それに固執させるような風潮があるように思います。お金がなきゃ何もできないけど、そんなに執着して(させて)どうするんだろう。僕はこれは罠じゃないかと思うのです。そんな物質的なものにこだわって、その先には一体何があるのでしょうか。物質的なものに囲まれると、きっとそこには人が集まるでしょうが、それはその人じゃなくてその物質たちに群がってくるだけのことで、そんな寂しいことありません。僕は魅力的な人には、そんなものさしでは計れない温かさがあると思うのです。これは年長者でも若者でも関係ありません。僕のレッスンを受けに来る若者たちのなかにも、そういったピュアで力強いエネルギーを発信している人がたくさんいます。 もしかしたら、このエネルギーって、自分の主観にばっかりフォーカスしていると、やがては出てこなくなるんじゃないかって思います。すごくうまいけど、何にも感じない演奏って、まさにこれじゃないかなぁと。主観を磨くことは必要だけど、盲目になるのは危険な気がします。きっと安心感や安定感を実感できるのかもしれませんが、そんなのねぇ。 演奏に限らず、日常の全ての行為が自分の表現だと思います。全部が密接に関わっている。これは循環する川のようなものだと思います。理想はクロールでビュンビュン進みたいけど、犬かきでもプカプカ浮いてでも、のんびり前に進むのが良いと思います。日常の表現がもたらすこと、それは職業とか音楽とか以前の話だと思います。誰もが毎日表現をしながら生きている訳だから、心が触れる瞬間を感じて生きていくことが大切なんじゃないかと思います。そうやって世界と繋がっていくことが必要なんじゃないかって思うのです。 実は自分の演奏に関して、この半年間ですごく伸びたなあって実感があるんです(って言ったって、まだまだ未熟ですけど)。何でだろうって考えてたら、上記みたいなことと密接に繋がっている実感があるのです。大切なことだと思います。  僕は今、道野正さんのエッセイ「料理人という生き方」を読んでいます。大阪福島のミチノ・ル・トゥールビヨンというフレンチレストランのオーナーシェフの著作。少し読んでは立ち止まり考え事をして、の繰り返しで、半分ぐらいは進んだかな。音楽の世界とも共通すること、なるほどなぁ、ということをたくさん書いてくださっています。特に若い人に読んでほしい。(道野さんすいません、勝手に紹介しました😅)

  • 14Jul
    • 見つけた!、、、たぶん

      最近はちょっと自分のなかで迷走していました。デンマークのオケに辞めることを告げ、自分の身が自由になった途端、「はて、これからは何をやって生きていこうか?」となってしまったわけです。 楽器を使ってやりたいことはたくさんありますが、これまで現実と照らし合わせて、できることをやって来ました。それが思いの外、自分自身で制限をかけていたことがわかったのです。自分のことを比較的、というか、日本人においては類い稀なぐらい自由人だと思っていたので、ある意味ショックでした。 人というのは、おそらく、やらなきゃならない課題が目の前に山積されていれば、(というかそれも実は思い込みや幻想の場合も多いと思うけど)、それを淡々とこなすことを続けるのだと思います。でも、そうではなく、好きなことを好きなように何でもどうぞとなった瞬間に、「好きなことってそもそも何だっけ?」と、掴みどころのない不思議な落とし穴にハマったのでした。 今思えば、今後の具体的なプロジェクトや将来の組み立て方というよりも、自分が生きる上での軸になる、土台とか方針みたいなものが定まっていなかったのかなと思います。 ここ2ヶ月ぐらいは常にどこかフラフラした気分でいて、それがすごく嫌だったので、他人を観察してみたり、本を読んだり、映画やドラマを見たり、会話をしたり、自問自答したり、自分の思いや意見を書き留めたりしていました。 で、結局わかったこと、一番言いたいことは、「答えは自分の内面にしかなかった」ということです。 心が共鳴するようなことをあちこち探し回って、それをどこかでどうにか見つけて、どうにか自分に取り入れたい。そういう思いでした。自分に何かが足りない気がして、迷うというよりも、さまよっている感じでした。 でも、実際には、外からの影響に自分の内面がどう反応するか。これしかない。 「内なる声に耳を傾ける。」 自分から離れたところに自分自身を見出すのではなく、自分の内面で起こる感動を具現化することが、僕にとっての表現であり、生きていくということなんだと感じました。それを身近なレベルで続けていくことができると、僕なりに充実した毎日を過ごせるのだと思います。 内なる声に耳を傾ける。衝動、直感、情熱に対して鈍感にならないこと。無意味な心配、取るに足らないことに気を散らさないこと。 自分が何者であるのか。どこから来て、どこへ向かうのか。どんな分野であっても、自分自身の本質を理解している人は、本物だと思います。 また少し発見できたかなと思います。なんか掴めた感じがします。 明日のアルテシンポジオでの「音楽と料理の晩餐会」はどんな表現ができるか!ワクワクです。 写真の絵はスイスで実物が見れて嬉しくて撮ったバスキア。

  • 01Jul
    • 「玉木優x荻堂桂輔 音楽と料理の晩餐会」3つの注目ポイント!

      来たる7/15に初の試み、「玉木優x荻堂桂輔 音楽と料理の晩餐会」を開催します。Facebookイベントページhttps://www.facebook.com/events/232251517324822/?ti=iclお越しいただくお客様のために、僕目線からワクワクポイントをまとめてみました!❣️あと一席ご用意が可能です!アットホームな雰囲気のイベントになります。お一人様でもご心配なく、十分楽しんでいただけるかと思います。お問い合わせください。<3つの注目ポイント!>①魅力的な荻堂シェフの料理②初!音楽と料理の共演③小さな空間での響き。ハープとのアンサンブル。①魅力的な荻堂シェフの料理*荻堂シェフFacebookページより僕は食べることが音楽に次ぐ生きがいなので、演奏の合間に美味しいものを探して世界中を旅しています。行きたいレストランの予約に合わせて、ホテルの予約をするぐらい。そんな中でも「荻堂シェフxアルテシンポジオ」は、常に特別な存在です。ミシュランガイドにも載っているこのレストラン、一番の魅力は何か?僕はこう考えます。  1つ1つの料理を口に運ぶ度に「あぁ~、美味しいなぁぁ!」と、じんわりと幸せが拡がります。僕は15年前から数えて30回以上は訪れたことと思いますが、毎回必ず、新鮮な幸せと驚きを与えてくれます。それがまた、仰々しくなく、すごく自然に美味しいものを提供されるので、身体にすーっと入ってくるのです。豪華さやギミックで圧倒するのではない、シェフの誠実な姿勢を感じます。 アルテシンポジオの特徴としては「スペシャリテがないこと」が挙げられると思います。同じ料理、定番を提供し続けることの難しさはあると思いますが、食材の扱いから調理、提供方法まで、常に進化を続け、進み続けることの難しさはそれ以上だと思います。 つい「荻堂シェフにとって料理とは、、、?」みたいな質問をしてしまうんです。お話を聞いていると、恐れ多くも「僕自身と全く同じだ!」と共感するのです。音楽家は長い年月をかけて、1つ1つの音、1つ1つの表現を磨いていきます。まっすぐ前に伸びた、完結することのない道です。荻堂シェフの料理はまさに芸術表現であり、一人の人間の生き方なんだと思います。でも!正直こんな野暮な説明は必要ありません。一度リラックスした気持ちで味わっていただきたいです。②初!音楽と料理の共演*先日の打ち合わせの様子 音楽と料理との共演と聞くと、どんなことを想像されますか?クリスマスの時期なんかになると、ホテルのディナーショーみたいなものは巷で見かけます。でも、今回はあくまで「音楽と料理」のコラボレーション。 ワクワクが薄れるのは良くないので、ネタバレは控えますが、「音楽と料理で巡る時間の旅」「音楽と料理・異なる表現方法を用いた共演」「リラックスして楽しんでいただく時間」という3つが柱かなと思います。 いろんなものが飛び出すと思います。サプライズもきっとあるでしょう! ③小さな空間での響き。ハープとのアンサンブル。*ハープとトロンボーンの響きが店内に響きます 今回は全15席。アットホームな空間でのイベントとなります。トロンボーンはご存知の通り、ものすごく大きな音が出せる楽器ですが、この空間でそんな巨大な音は必要ありません。 奏者の息づかいが直に伝わるような距離ですので、まさにライブ感溢れる演奏になると思います。それもコンサートホールの響きではなく、目の前で生まれる直の振動です。その距離感でどれくらいじっくり聴いていただけるか、僕にとっても初めての挑戦です。 ハープとの共演も初。どのような音楽空間になり、それが料理とどう絡んでいくのか。どんな夜になるか、自分自身としても興味津々です。 当日の音楽、お料理はいろいろな時代のものを用意しています。これまで全く吹いたことないほど昔の音楽、西洋音楽の始まり「古代ローマ時代」の音楽も演奏します!それぞれに異なる時代背景があり、そこに生きた人たちの語法がありました。現在でこそいろいろなジャンルの音楽が確立されているものの、当時はそれがその時代の最新であり「現代音楽」だったのです。それを明確に音で表現し、その時代の空気を感じていただけるような演奏ができればなと思っています。 一点だけ、残念なことがあります!それは当日音楽を聴きながら、料理をゆっくり満喫できないこと。演奏に専念しますので、お腹いっぱいになっては吹けませんし、美味しそうだなあ~って羨ましそうに眺めていることと思います(笑)でもお客様がたに楽しんでいただくことが、一番ですので!お楽しみに!!Facebookイベントページ↓https://www.facebook.com/events/232251517324822/?ti=icl