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なんてこと無い私の日常ですが
読んでいただけると嬉しいです
私&主人:30代
長男:5歳
次男:3歳
只今、第三子妊娠中
学生の頃にした一人旅の備忘録
前回の記事…
一人旅を決意した経緯と、最初の目的にフランクフルトでの号泣の出来事…
フランクフルトの印象は、背の高いスーツを着たビジネスマンが沢山いたこと。
ユーロ、EUのマークが至るところで目についたこと。
そんな中、普通に路面店でアダルトショップが何店舗かあったこと。
そして、どんより曇り空だったことを、いまでも鮮明に覚えています。
チェックイン日を間違え、鍵の開け方がわからず、一人号泣した後、すぐにチェックアウトをして、そそくさとフランクフルトの駅に戻り、次の目的地は…ヴュルツブルク!!
そうです、ロマンチック街道でミュンヘンまで目指す予定でいました
一ヶ月のこのヨーロッパ旅では、フランクフルト空港への往復フライトと、初日のホテルのみしか予約しておらず、憧れのドイツを中心に周辺国も周ってみようという無計画な旅でした。
英語は、大学受験で割と頑張ったので、まあ、なんとかなりました。ドイツ語は、大学の授業で選択していたので、読むことはできました。
ただ、やはりドイツ語のリスニングはほぼ無理でしたね。金額や時間の表す数字も、頭には入っていましたが、口頭で言われると早すぎて聞き取れませんでした。
ヴュルツブルグ
ローデンブルク
アウクスブルク(ちょっと記憶なし…)
ミュンヘン
ローデンブルクのユースホステルで出会った同い年の女の子と、ローデンブルク〜ミュンヘンまで4泊くらい一緒に過ごしたんです
ミュンヘンで一緒に白ソーセージを食べたり、有名なノイシュバンシュタイン城にも一緒に行きました。
とっても楽しかったし、一人旅と全然違って、気持ちに余裕が持てたのを覚えています。
その後、彼女とは、就職してから一度東京で再会し、おうちに一泊させてもらいました。
あれから11年…連絡は取っていませんが、FBで繋がっており、いま男の子2人の母という共通点があります
勿論、そのミュンヘンで彼女と別れるときは号泣でした…笑
彼女は、ミュンヘンからイタリアへの寝台列車に乗る予定だったので、夜、駅までお見送り…
別れる寂しさは勿論ですが、また一人ぼっちになるんだという心細さが半端ではありませんでした…
自分で決意した一人旅ですが、私の場合、元々そういうタイプではないので笑
普段は、夜に出歩くことはしませんでしたが、お見送りの後は、夜道を一人とぼとぼ泣きながらホテルまで帰ることに。。。
そこで、泣きながらだったし、行きは友達とだったので気持ちが大きくなってたため、帰り道、迷子になったんです
本当に絶望でした笑
あ、当時スマホ無いですよ〜笑
やばすぎて、逆に涙が止まりましたが、夜だし人がいなくて…と思ってたら、自転車に乗った若いお兄さんが!!
いましかチャンスはないと、思い切って引き止め、近くに映画館のあるホステルに泊まっていたんだが迷子になった旨を伝えました。
道を教えてもらって、感謝。
そのお兄さんがすっごく良い香りしてたんです。シャンプーみたいな石鹸みたいな。
あの香りも未だに覚えています。
もう13年前の一人旅の話ですが、人間の記憶って面白いですね。
そして、そんなミュンヘンは、一ヶ月のヨーロッパ旅で一番気に入った都市でした!!
ヨーロッパで暮らすならミュンヘンと、憧れてしまいました。色んな人種がいて、とても過ごしやすそうな印象を受けました。
特に、ミュンヘン市庁舎のあの広場、すっごく気持ちのいい場所だった記憶があります。
一人旅中でしたが、なんだか馴染ませてもらえたような、居心地が良かったな。
私はミュンヘンに3−4泊したような?
ミュンヘンを拠点に、ドイツに興味を持ったきっかけであった、ユダヤ人収容所のひとつ、ダッハウ強制収容所に行きました。
小5のときに、ユダヤ教、そして第二次世界大戦での迫害を知ってから、なぜかその歴史が気になって、積極的に調べていたんです。
ダッハウは、とてもきれいなところでした。
植木、芝生が管理されていました。
その反面、展示されているものや、資料の生々しさ…
元々興味があって調べていたので、真新しいことは少なかったけど、
”ここで強制労働、人体実験、虐殺が行われていたんだ、いま私のいるこの場所で”
という衝撃、波動みたいなものが、物理的に体にぶつかってきたような感覚でした…
さて、次男は玩具のプラレールに夢中なので、おでんを煮込みながら、記事を書いていましたが、長男の園バスのお迎えの時間だ