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↑あらすじ・配役はこちらを参照ください。

安寿と厨子王」です。

説教節『さんせう太夫』とも
森鴎外・作『山椒大夫』とも違った、オリジナル内容でした。


『さんせう太夫』は、人買いに売買され、ひどい目に遭う安寿などあり
厨子王の復讐劇が、色濃いようです。


鴎外のは、残酷さは抑えられ、更に
本作は、絶賛の映像美で、不幸な人生の回収にとどまらず
1つの生き方を、与えられたようでした。


▼~▼ 以下、内容にふれて雑感です。

▼▼▼

1.お父様の教え


貴族(平氏)役人である父が、左遷させられることから
妻子の悲劇が起こります。
本作は、父が領民をかばうあまり、上司の命に背きました。


父は、貴賤の別なく人は等しく扱われるべきーとの信条を持つ人。
厨子王も、その教えを持ち続けます。


理想的な思想ではありますが、例えば
そのために、妻子が苛酷な犠牲を払うことの言い訳は
どこかにあるのでしょうか……
結果は仕方ないのか……orz
(『わが命つきるとも』にも似たような思いが……)


2.人をモノとして扱う…orz


父の元へ向かおうと、旅する母子は
人に騙され、母子別々に、売り飛ばされてしまいます。


丹後の山椒大夫に買われた安寿と厨子王は、奴婢に。
奴婢は、労働力としかみなされず
働けなくなったら、息があっても、山へ捨てられる
逃亡を図れば、額に、焼きゴテが……(>_<)


佐渡へ、女郎として売られた母は、逃亡中つかまり
足を、斬られました!


人を道具としか見られない人間の感覚は、どんなものなのでしょうか。

(親を金づるとしか思っていない親不孝もいるし(_)!!
自分に関係なければ、人は他の人のことには無関心なもの――
というセリフもありましたが
“慈しみ“無く、人を人とも思えない人こそ”人でなし”です。


3.太郎さん


地獄にも仏はいるもので
山椒太夫の息子:太郎さんは
親の所業に、心痛める人でした。


安寿と厨子王にも、心寄せてくれるのですが
なすすべない太郎さんは、悩ましく、ひとり出家します。


そんな太郎さんは、厨子王が、逃亡して隠れた寺にいました!
太郎さんのおかげで、厨子王は
身を立てるべく、関白に拝謁するための添え状を、
住職から書いてもらえました。(よかった!)


太郎さん、親の罪滅ぼしですね…(T_T)


4.厨子王、丹後守になった!…のに……


平氏の身元を認めてもらった厨子王は、
丹後守に任ぜられ、山椒大夫を懲らしめ、母と再会――
と思っていましたが……


ここでは、
丹後国内での、人身売買・奴婢を禁じる“お触れ”を出した厨子王は
上司格の貴族に背くことになったことを、自らとがめ
丹後守を返上します。


まさに
上司の意向に逆らってまで、領民に味方した父の子です。


されど、無官の状態での母との再会には、さみしいものが……
けれど、母は
「父の教えを守ればこそ、再会できた」と言い切ります。


あくまでも、夫の美徳を称え
そのために、妻子が、苦難に翻弄(安寿は自死す!)されたとしても
まげない正義の先には、それなりの光はある――かのような
信念を持ち続けられる、この奥方はスゴイと思う。


▼▼▼


海に向かって
「安寿~厨子王~」と、我が子の名を呼ぶ母の姿には
身を切られる思いがします。



作品は、受難の痛ましさや復讐より
美徳や信念に生きた人たちの
格調高い余韻を、残すようでした。


とはいえ
『さんせう太夫』のように
勧善懲悪の復讐劇に徹したほうがスッキリしたかも….
と思うのは、私が俗っぽいからでせうか……