イメージ 1

 
↑あらすじ・配役はこちらを参照ください。
 
 
ヨーコさんと、10歳の”私”のひと夏。

好評なので、見たかった作品です。

今更ですが
▼~▼なんとなく雑感です。

▼▼▼

 
母が出て行った夏休みの間、父の愛人のヨーコさんが、家に来た。
 
 
自転車にカッコ良く乗って、ふくらはぎが硬くて
さりげなくタバコの煙をくゆらせて
サバサバして後腐れない感じもまた、カッコ良くて
しかも
ゆるふわパーマのロングヘアに、女性らしい柔らかさまであって
そんな大人の女性になれたらいいなあ~☆
と、バリバリに思わせるお姉さん♪なんですよ。
 
 
竹内結子さん=ヨーコさんが、ピカイチ☆にカッコいい。
 
 
一瞬、愛人?とは思わせない爽やかさがある。
(見様によっては、そこに女のズルさもちょっと感じてしまう私の心は、曲がってマス……
そんなイイ女だから、ブースカと不満だらけの妻がそっぽを向かれてしまうのかも…orz
妻の言い分的には、夫へのブースカも、当然なんですが……
世の中は、正しいかどうかではなくて
都合のいいほうに、流れてしまうもので……orz
 
 
ともあれ、母のいない夏に
他人のオネエさんがやってきて、刺激的な風に吹かれたことが
“10歳の私”には、一皮むけた経験になる。
 
 
そんな、刺激的な風に吹かれるように、佇まうのが、
「サイドカーの犬」☆
 
 
ヨーコさんは、あるとき、“私“に聞いた。
犬みたいに飼われるのがいいか、飼うほうがいいかと。
 
 
“私”は、犬なら、始めからそこに付いていたように
サイドカーに乗った犬になって、気持ち良く風を感じたい……みたいなことを言う。
 
 
子供の“私“は、まさに、両親のサイドカーに乗った犬のよう。
ひとりで、まだ何か出来るわけではないから
親が運転するバイクの横に座って、一緒に、進むほかない。
 
 
もし、親(たとえば母)が、一人でバイクを降りてしまっても
サイドカーに乗った子供は、代わりに、運転することはできない。
もし、親(たとえば父)が、自分のペースだけで運転して
トンデモない場所に向かっても、サイドカーもくっついて行くほかない。
子供のうちは、サイドカーに乗ってるほうが安全だし、そうするしかない。
楽ちんな風に吹かれているようで、
案外、不安で不自由なその場所は、子供時代の象徴か……
 
 
だから、他人ということもあって
親にはない責任の重圧からの解放を感じるような、ヨーコさんが
バイクならぬ自転車を、颯爽と漕いでいるとき
“私”は、心地よい、サイドカー気分を感じていたんだろうナ~と思う。
 
 
(その感覚は、子供の頃、夏休みに、一人で
祖母の家に、泊まりにいったときの解放感に、似ているかもしれません。
いつもと違う生活習慣が新鮮で、違う生活だから、いつもの義務がない(^_-)-
そういうのは、気持ちがちょっと休まるんです。)
 
 
しかし、ずっと、夏休みが続かない様に
ヨーコさんとの生活は、母が帰宅したことで終わるし
父との関係も、いつまで続いていたのか……………………………………….
 
 
印象的だったのは
その家が、バラバラ(離婚)になるときに、“私“が、父のドテッ腹に
黙って、想いをぶつけたこと。
みんな、“私”の乗ったサイドカーを、切り離して行っちゃうのは
お父さんが元凶なの?
と言ってみては、ニュアンス違ってしまいますか?^^;
 
 
そして、私にも、きっと“私”にも、忘れられないヨーコ語録が
「好きなものを嫌いになるほうが難しい」
 
 
たとえば
好きでも、離れる運命なら
“嫌い”になることで、納得しようとしたいのかもしれない。
けれど、“嫌い”になることが、すでに、納得できないことだから
その矛盾に、苦しむことにもなる……
 
 
ヨーコさんの場合は、
父との関係や、“私”たちとの生活の終わりのことかもしれないし
あるいは
出て行った母を、もう嫌いだ!と思ったとしても
それは、好きの裏返しだという“私”のことか……
 
 
いずれにせよ、心の痛いところを、微妙につつく名言です。
 
 
▼▼▼
 
 
子供のときには
大人になると忘れている、不自由さや不安定さ、寂しさがあるものかもしれませんが
初めて知るドキドキや喜びが、その後の自分の強さ?になるほどの
経験と想い出をくれることが、ありそうです。
特に、夏に☆
 
 
……というわけで
夏はノースリーブだな、と思います(^_-)-