以前書いたエレクトロスプレーイオン化(electrospray ionization, ESI)におけるイオン化抑制に関する記事について、「エネルギー供給を絶たれた帯電液滴」からのイオン生成プロセスが、イオン化抑制の原因になると言う解説をしました。今回はその続編、以前の解説を補足する記事を書いてみます。
山梨大学の平岡先生が開発された「探針エレクトロスプレー」という技術があります。そのイオン生成機構が、そのまま前回解説の補足になります。探針エレクトロスプレーは、英語ではprobe electrospray ionizationとなり、PESIと略されます。PESIについては、平岡先生の総説1)をご参照ください。ESIは、コンベンショナルからナノまで、サイズによって量は大きく変わりますが、キャピラリー先端部分では試料溶液は連続流体として供給されています。一方PESIは、探針の先端に試料溶液を付着させ高電圧を印加する事で、探針の先端に形成されたテイラーコーンから直接イオンが生成するイメージです。コンベンショナルESI、ナノESI、PESIの比較と、PESIに用いた探針先端のSEM画像を図1に示します。また、PESIの構造と動作の様子を図2に示します。
探針に付着する試料量は数pLと極微量であるため、試料に対して電圧(エネルギー)が供給される確率はコンベンショナルESIやナノESIに比べて極めて高く、テイラーコーンから生成する帯電液滴のサイズは極小さく電荷密度は非常に高くなります。そのため前述したように、帯電液滴を経ずに直接生成するイオンも存在すると考えられます。
図1 コンベンショナルESI、ナノESI、PESIの比較と、PESIに用いた針先端のSEM画像1)
図2 PESIの構造と動作1)
PESIでは、通常のESIの様に試料溶液が供給し続けられる事がないため、高電圧を印加し続ける事により、試料溶液は帯電液滴となってあるいは直接イオンとして、探針表面から放出され徐々にその量は減少していきます。通常のESIでは分析種のイオン化抑制の原因となる物質が試料溶液に含まれているとしても、探針に電圧を印加し続ける事により、イオン化し易い物質が先にイオン化し、その後残りの物質がイオン化される、という現象が起こります。それが顕著に示されている例を図3に示します2)。これは、界面活性剤であるトリトンX100とタンパク質であるシトクロムCの混合溶液を、ナノESIとPESIで測定した時のマススペクトルです。濃度は、トリトンXの方が100倍高い条件です。界面活性剤はイオン化抑制の原因物質の一つなので、この試料はトリトンXの混在によってシトクロムCのイオン化が抑制されて検出されない事を想定したものだと思います。そして、その想定通り、ナノESIではトリトンXのイオンのみが検出され、シトクロムCイオンは検出されていません。一方PESIのデータでは、最初はトリトンXのイオンのみが検出されていますが、その後も探針に電圧を印加し続けるとシトクロムCのイオンが検出されるようになり、最終的にはシトクロムCのみのイオンが検出されています。この現象は、PESIでは探針に電圧を印加し続ける事によってシーケンシャルなイオン化が起きている事を示しています。また、以前の記事に書いた通り、ESIにおけるイオン化抑制の原因が、エネルギー供給を絶たれた帯電液滴からのイオン生成プロセスにある事も併せて示しています。探針に試料を付着させて電圧を印加した状態を、ESIで生成する帯電液滴に見立てます。図3に示したPESIのデータにおいて、上段のトリトンXのみが検出されている状態は、ESIにおいて生成したエネルギー供給が絶たれた帯電液滴からイオンが生成している様子と同じです。PESIにおいても、この状態で電圧印加をやめてしまえば、その後シトクロムCが検出される事はありません。トリトンXのイオン化によって、帯電液滴内の過剰電荷が失われてしまうからです。
ESIにおいても、テイラーコーンから放たれた帯電液滴に対して、追加でエネルギー供給をする事が出来れば、原理的にはイオン化抑制は低減されると考えられます。Watersが開発したUniSpray TMにはその効果があると期待していたのですが、今のところそのような効果は見られないとのことです。
図3 ナノESIとPESIの測定データ比較2)
文献
1) 平岡賢三、分析化学、59, pp. 95-105 (2010).
2) 平岡賢三、2013年度第二回TMS研究会講演会要旨集 2013_2_05_Hiraoka.pdf (tms-soc.jp)
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エムエス・ソリューションズ株式会社
代表取締役 髙橋 豊
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引用元:ESIにおけるイオン化抑制とPESI