日本一タフな質量分析屋のブログ

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日本で唯一、質量分析に関するコンサルタント、髙橋 豊のブログです。エムエス・ソリューションズ株式会社と株式会社プレッパーズの代表取締役を務めます。質量分析に関する事、趣味の事など、日々考えていることや感じたことを綴っています。

大分ブログを書くのをさぼっていました。久しぶりに質量分析ネタで書きます。

6月頃に、「分析目的と質量分析計の種類について-1」と言うタイトルで書きましたが、今回はその2回目、イオン化にフォーカスした内容です。

 

本論に入る前の前提として、イオン化は試料導入法と密接に関係している事を知っておく必要があります。例えば電子イオン化(electron ionization, EI)は、直接試料導入やGCを介する試料導入(GC/MS)には使えますが、LC/MSには現在は使えません(以前はLC/MSに用いるEIが市販されていたが)。また、LC/MSに用いられているエレクトロスプレーイオン化(electrospray ionization, ESI)や大気圧化学イオン化(atmospheric pressure chemical ionization, APCI)は、GC/MSには一般的には使えません(GC/MSにAPCIを組み合わせた装置を販売しているメーカーはある)。

つまり、最初に書いた事をひっくり返すようで恐縮ですが、分析目的に応じてイオン化を選択するというよりは、先ずは試料導入法を選択してその上でイオン化法を選択する、と言う事になります。試料導入に関しては、前回の記事を参考にしてください。

今回は、各試料導入について、どのイオン化を選択すれば良いか、について解説していきます。

 

1.      直接試料導入(DI)

DIについては前回の記事でも少し解説しましたが、現在市販されている全てのイオン化法で用いる事が可能です。DIによる試料導入において、イオン化法に何を選択するかは、試料の形態によって大きく変わります。

例えば単離精製された試料の分子質量を確認したり、またそのマススペクトルを標品と比較して同定したりする場合、FAB(fast atom bombardment、高速原子衝撃法)のように、[M+H]+などの分子質量関連イオンが生成し易く、且つ適度にフラグメントイオンも生成するイオン化が適しています。揮発性があり構造が安定な試料であれば、EIが良いでしょう。EIはGC/MSに主として用いられるイオン化法ですが、多くの装置で直接導入プローブがオプションとして選択可能です。EIやFABは低分子化合物に適するイオン化法なので、高分子化合物であれば、ESIやMALDI(matrix assisted laser desorption / ionization、マトリックス支援レーザー脱離イオン化)が適しています。両者ともソフトイオン化で、高分子化合物のみならず低分子化合物にも有用なイオン化法ですが、フラグメントイオンが生成し難く、“単離精製された試料の同定”のような用途には、適さないという訳ではありませんが、EIやFABの方がより適していると思います。MALDIはクロマトグラフィーとの接続は出来ないので、元々DI専用のイオン化ですが、ESIは、LCと接続せずシリンジポンプなどから試料溶液を導入すれば、DIとして用いる事が可能です。

試料が混合物であり、「最終的にはGC/MSやLC/MSでの測定が必要だがとりあえずどんなイオンが検出されるか確認したい」という目的においては、フラグメントイオンを生成し難いソフトイオン化が適しています。揮発性成分が主の試料であれば、化学イオン化(chemical ionization, CI)や光イオン化(photo ionization, PI)、電解イオン化(field desorption, FD)、あるいはイオンアタッチメント(ion attachment, IA)が適しています。CIは多くの装置でオプション設定が可能ですが、PI, FD, IAなどを使える装置は、かなり限られると思います。自分の装置で何が使えるのか、これから装置を導入して揮発性化合物のDI測定を行う可能性がある場合、どんなイオン化が使えるのか、メーカーの人に確認すると良いでしょう。

 

2.      GC

 

図1 テルブカルブのEIマススペクトルとライブラリーサーチ結果

 

GCからの試料導入については、ほぼ100%標準のイオン化法はEIです。EIで得られたマススペクトルは、ライブラリーデータベースとして市販されており、自分で測定した試料中の成分のマススペクトルを、ライブラリーサーチを行う事で、ある程度の成分同定が可能です。ある程度と書いたのは、同定出来ない事も多々あるためです。代表的な例は、分子イオンが観測されない場合です。EIのイオン化は、加熱・気化した試料成分分子に対して、通常70 eVの熱電子を照射して行われます。70 eVというエネルギーは、殆どの有機分子のイオン化ポテンシャルに比べて大過剰であるため、多くの分子でフラグメントイオンが生成します。分子イオン(分子から電子が1つ脱離して生成する正イオン(M+))とフラグメントイオンが適度なバランスで生成すれば、ライブラリーサーチによる同定確度は高くなります。図1に、分子イオンが観測されないために、ライブラリーサーチでの同定が困難だった例を示します。テルブカルブの実測マススペクトルでは分子イオンが観測されておらず、ライブラリーサーチの結果、ジブチルヒドロキシトルエン(BHT)が正解より上位でヒットしました。このように、EIによるマススペクトルで分子イオンが観測されていない場合、ライブラリーサーチを実行しても正解以外の化合物がヒットする可能性が高いです。この化合物の分子質量が分かれば同定できる確率はかなり高くなるため、ソフトイオン化の併用が有効です。

 

GCへの試料導入は加熱気化のプロセスが伴うため、GC/MSでは気体状の分子に適するイオン化が用いられています。EIを中心に、CI, PI, FIなどを分析種に依って選択します。また、LC/MSのイオン化法として知られているAPCIが選択できるメーカーもあります。前述した通り、GC/MSにはほぼ100%の確率でEIが標準的なイオン化として用いられています。EIだけ用いて、ライブラリーサーチに頼る解析を行う場合が多いと思いますが、EIでは分子イオンが観測されない事も多々あるため、分析種の性質に応じてイオン化法を使い分けるというよりは、EIとソフトイオン化のどれか1種類との併用を、ルーティーン分析とする事を推奨します。

 

3.      LC

LCからの試料導入即ちLC/MSでは、イオン化法としてESI, APCI, APPIなどが市販装置では選択可能であり、最も汎用的なのはESIです。これらは何れもソフトイオン化に分類され、分子にプロトン、アンモニウムイオン、ナトリウムイオンなどが付加したイオンが生成します。生成するイオンの種類は、イオン化法、検出極性、移動相溶媒などに依って異なります。ESIとAPCIのイオン化機構については、それぞれブログで考察しています。

ESI https://www.sitsuryobunsekiya.com/blog/256642.html

APCI  https://www.sitsuryobunsekiya.com/blog/316544.html

 

 

先ずESIとAPCIの使い分けについて、上で“最も汎用的なのはESI”と書いている通り、ファーストチョイスをESIにしている人は多いと思います。私もそうで、特に全くの未知試料を測定する場合にAPCIを用いると、液滴を加熱・気化(脱溶媒)させるプロセスにおいて、試料成分(分析種)が熱分解を起こさないという保証はないので、どうしてもESIがファーストチョイスになります。また、タンパクなどの生体高分子が分析種である場合、ESI以外の選択肢は有り得ません。

 一方、分析種が低分子化合物で且つ熱にそこそこ安定だと分かっているような場合、ファーストチョイスをAPCIにする事は、全く妥当です。特に定量分析では、APCIはESIに比べるとマトリックス効果を起こし難いため、かなり有利になると言えるでしょう。ESIとAPCIの使い分けについては、図2をよく見ると思います。

 

図2 ESIとAPCIの使い分けの目安

 

 これはあくまでも目安ですが、ある程度分子量の大きな化合物群は、APCIの範疇からはどうしても外れてしまいます。分子が大きくなると、揮発性が低くなり、液滴を加熱・脱溶媒する過程において、熱分解を起こす可能性が高くなるためです。合成ポリマーがESIの枠に1/3程入っています。これはポリエチレングリコールのように、繰り返し構造に極性基をもつポリマーです。極性基をもたない合成ポリマーは、ESI, APCI共にイオン化は困難です。生体高分子、合成ポリマー共に、ESIでは多価イオンが生成し易くなります。多価イオンでは、m/z = 質量にはならず、マススペクトルの解析には注意が必要です。

 

金属錯体は、構造に依っては金属と他の元素との結合が弱く、APCIでは金属が外れてしまい全体としてイオン化出来ません。その場合、ESIの方が適しています。非常に不安定な金属錯体は、ESIでも脱溶媒の加熱で分解してしまう事があります。それを防ぐためには、脱溶媒の温度を下げる事が有効です。脱溶媒温度を下げる事でシグナル強度は減少しますので、その分試料濃度は上げる必要があります。

複合脂質は、種類によってはESI, APCIの両方でイオン化できるもの、ESIでのみイオン化できるものに、分かれます。例えばセラミドは両方でイオン化出来ますが、リン脂質や糖脂質などはESIでのみイオン化出来ます。

さて、ここまでの文章中で、“イオン化出来る”とか“イオン化出来ない”とか書いていますが、この“イオン化出来る”とか“イオン化出来ない”と言う意味は、実はGC/MSとLC/MSでは、一般に違って捉えられています。つまり、LC/MSで“イオン化出来る”とは、分子が開裂していない状態でイオン化する事、即ち、[M+H]+, [M+Na]+, [M+NH4]+, [M-H], [M+HCOO]などの分子質量関連イオンが観測される事を言います。それは、GC/MSでは分析出来ない不安定な構造をもつ化合物でもLC/MSの分析対象となり得る事、およびLC/MSに用いられているイオン化法はそのような不安定な構造をもつ化合物でも壊さずにイオン化するために開発されたソフトイオン化である事、があるが故だと思います。一方GC/MSのEIでは、分子イオン([M+)が検出されようがされまいが、何らかのイオンが生成すれば、イオン化すると言います。

 GC/MS (EIによるイオン化)では、“ライブラリーサーチがあるから分子イオンは検出されなくても同定が可能”、と言う風潮が少なからずありますが、図1の例で示したように、分子イオンが検出されていないとライブラリーサーチで正解がヒットしない可能性は非常に高いです。マススペクトルから得られる最も重要な情報の1つは、“分子の質量”です。GC/MSでは分子イオンが検出される事、LC/MSでは[M+H]+, [M+Na]+, [M+NH4]+, [M-H], [M+HCOO]などの分子質量関連イオンが検出されイオン種が同定出来る事で、元の分子の質量を推測する事が出来ます。未知成分の同定や構造推定の第一歩は、“分子の質量を知る事”ですから、イオン化法の選択は非常に重要だと思います。