”慰安婦問題“原点の島”で調べてすぐわかった詐話師 吉田清治の『嘘』”1 | ゆたかの「愛天愛人愛国」ブログ

ゆたかの「愛天愛人愛国」ブログ

〜 神様ありがとうございます! 神様愛してます! 〜

ようこそ、ご訪問いただき、誠にありがとうございます。
このブログでは、
神様と、真の父母である文鮮明・韓鶴子ご夫妻を証しし、
我が愛する日本や世界についても述べてみたいと思います。



いかがでしょう。
5年前の記事で
昨日のブログと重複するところがありますが、
重要な事実なので、
再掲載します。





慰安婦問題が生まれた地

韓国 “済州島(チェジュ島)”


吉田清治はこの島で

慰安婦の強制連行が行われたと訴えた。


訪れたのは昨日の朝9時19分、

朝日新聞が32年かけて出した結論を

確かめたい。


強制連行について

島の人達に話を聞きたいと思った。


手がかりは吉田清治が書いた


“私の戦争犯罪”(三一書房)。


この本の中で度々登場する

“海人”という文字。


チェジュ島は昔から海女漁が盛んな場所。


ある漁村を訪ねた。


海女さんがチェジュ島で採ったアワビを

さばいていた。


首都ソウルでは毎週のように

慰安婦をめぐる反日運動が行われている。


その発端となった

チェジュ島の島民なら

強い思いを持っているはず。


だが、取材を進めてみると…。


Q   かつて この島で大勢の海女さんが

連れ去られたことってありましたか?


済州島の海女さん(77)当時6歳


「そんな話  今まで聞いたことないよ

親からだって聞いたこと ないね」


「狭い町だし  そんなことがあったら

誰も黙っていないよ」


貝工場の隣に住む女性(84)当時10歳


「そんなの私

  聞いたことないよ」


(詐話師 吉田某の本には、貝のボタン製造の女工と書いてあったが・・・)

Q  工場ではどんな人が働いていた?

「男の人だよ❗️」


貝工場の隣に住む男性(80)当時9歳


「7、8人の男の人たちが

この位のサザエを磨いて

ボタンにして

日本に送っていたんだよ」


貝工場で働いていた男性(74)当時3歳

「貝のボタンを作るのは

とても力がいるんだ」

「貝を足で踏んで作るんだ」

「女性になんか

できる仕事じゃない」


吉田氏が強制連行したとされる1943年


吉田氏は「1000人近くを慰安婦に」して、

「徴用されて監禁されて連日、

日本兵に強姦された済州島の女たちは

私を見つめる」

といった日々だったと著書に書いているが、

済州島の人は誰も知らない。


合計18人に話を聞いたが

誰もそのことを知らなかった

(『河野談合』を作る際に聞き取り調査をした慰安婦の人数は16人です。

フジテレビの番組の方が河野談合より聞き取り人数が多いという……。)


海女をしていた女性(87)当時16歳


「聞いたことない 

村から何人も連れて行かれたら

私が知らないわけないでしょう」


「この本が

  でたらめなんだよ❗️」



1989年、済州新聞が

「強制連行の証言は得られなかった」

と報じている。


ご参考)

1989年8月14日付済州新聞現地記者による反証


-------

おいおい、朝日新聞が誤報訂正を出した数日後に、

フジテレビが、パッと行って

取材しただけで

上記のことが確認できたのです。


朝日新聞は、

どういう裏付け取材を

したのでしょう!


取材・報道において

基本中の基本でしょう!


これは、日本および日本人に対する

冤罪です。


朝日新聞は

偽証に加担したのです。

罪におとしめるための嘘・捏造に加担し、

プロパガンダを行ったのです。


数日の取材で確認できることを

全く行わなかったのです。


朝日新聞の取材力、ネットワークを使えば

いとも簡単にできることを

あえて行なわず、

32年間放置。


いまだに、徹底した取材、検証がされていないのです。


明らかに、何かの意図を持って行っている

(わざと行っていない)

ことがわかります。


さすが、

中国様、北朝鮮様、

韓国従北勢力様の

朝日新聞です。

中国様の朝日新聞


訂正記事は、以下のように

見立たないように小さく書かれているのです。




(続く)