楽市楽座というと織田信長である。
彼が行った自由な商売を認める政策である。
歴史の教科書に太字で載っている。
この用語を見ると、何か清々しい語感があり、当時最高の世直し政策であったと考える人が多いと思う。
しかし、規制緩和はどうだろう?
この言葉を聞いて何を連想するだろう?
小泉竹中改革、デフレの助長、タクシー業界、郵政民営化、新自由主義?
どれもはかばかしくない。
しかし、言葉こそ違うがどちらも同じ意味のはずだ。
どうしてこうもイメージが違うんだろう?
そこには大きな誤解があるからだ。
規制を緩和して、自由に新規起業が参入することで何が起こるか?
規制に守られて働いていた労働者には賃下げという試練が待っている。
だから東電解体論や規制の緩和はデフレを助長するから、トンデモない誤った政策とPRされてきた。
今でもそれは根強く残っている。だからイメージが悪い。
しかし、考えてもみよう。
規制緩和で様々な企業が参入すれば、まず絶対に価格は安くなる。
消費者にとっては非常に有難い。サービスだって良くなる可能性がある。
そして新規参入企業の雇用だって増えるはずだ。
設備投資だって起こる。
そうやって、失業が減り投資によっておカネが動く。
賃金を得た者は消費をする、それがまた誰かの所得になり、経済は回るようになるはずである。
また、あるサービスが安くなったおかげで浮いたおカネは、またべつの消費に回すことができる。
そして何よりいいのは、規制の緩和は技術革新の下地になることである。
参入障壁の撤廃による多くの企業の競争がその製品やサービスの質を上げるのである。
規制緩和がデフレを助長するっていうのは、既得権益者の悪質なPRである。
一部の既得権益者のみに法外な高価格を払っても、消費は膨らまない。
薄く広く雇用は拡大した方が消費は伸びるのである。
そしてある価格が低価格になれば浮いたお金は別の消費につぎ込むことができる。
小泉改革の失敗はマクロのインフレ誘導に失敗したから
である。
マクロのインフレ誘導によってわれわれの消費できる絶対額が増えるのである。
ミクロの規制緩和とマクロ政策を混同してはならない。
マクロのインフレ誘導で財布の中身を増やし、ミクロの規制緩和で低価格で良いサービスや製品を享受できるようにすることが政府が実現しなければならない政策課題なのである。
楽市楽座は当然のように現代でも通じる素晴らしい政策なのである。