規制緩和とインフレは矛盾しない | グレッグのブログ

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しばしば規制緩和はデフレ圧力であると言われる。

絶対そんなことはない。

小泉改革が規制緩和を不十分ながら推し進めた。

タクシー業界をはじめ、給与の低下圧力にさいなまれてしまったので、規制緩和=デフレ=悪い者という間違ったイメージが日本に定着してしまったようだ。

しかし、小泉改革は強引な清算主義も伴っていたので、こういうイメージを持たれるのは当然かもしれない。


以前から、何度も指摘しているように個別価格の低下は一般物価の低下を誘導しない。

個別物価は個別の財やサービスの需給関係に左右されるが、一般物価は金融政策で決定されるからだ。

個別価格の低下は金融政策が一定ならば家計の所得が変わらないので、その他の財の購入に振り向けることができるので国民の効用(満足)は上がるのである。

ここをはき違えた議論が非常に多い。

何を隠そう、この僕も2年前くらいまでは、その事実を知らなかった。

岩田規久男先生の「デフレの経済学」を読んでから、この事実を知り愕然とした。


石炭産業、繊維産業を始め、日本にも消失縮小してしまった産業は多い。

そこの従業員はどうなったのだろうか?

ある個別価格が低下した産業は生産性が低く、所得が低くなるので従業員がその産業から離れていく。

しかし、インフレの社会であれば、個別価格の高い産業は他にもあるのである。

そうでなければ全体がインフレにはならないはずである。

もしくは、全体がデフレ状況であれば中央銀行が健全な機関ならデフレを絶対放置せず、何とかインフレにコミットするはずである。

例えば規制緩和で従業員の解雇、給与低下圧力がかかれば、全体がインフレなら他の高付加価値産業に労働供給はシフトするはずなのである。

僕がインフレにコミットせよ、と主張するのは労働供給のシフトを成し遂げたいからである。


先のタクシー業界もそうである。

インフレの社会なら給与低下圧力がかかれば労働供給は他の産業へシフトしたはずだ。

それが問題なのである。 

生産性の高い産業に労働供給がシフトできない環境、それがデフレなのである。

移りたくても移れないのである。

全体がデフレであれば労働需要が旺盛な企業の絶対数が確実に少なくなるからだ。


市場に潤沢な資金を供給することにより、インフレの社会を作り、規制を緩和して競争をさせ、技術力を磨いて生産性を上げていくことは何ら矛盾しないのである。

そしてそれは何も製造業に限らず、サービス産業も同じなのである。