日本人はなぜおカネを刷ることを嫌悪するのか?~哲学的アプローチ~ | グレッグのブログ

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日本人はなぜおカネを刷ることを嫌悪するんでしょうね。

僕は経済学的なアプローチと陰謀論的なものを書いてきましたが、どうもすっきりしなかった。

いつも投稿してくださる、だめだめわんこ様がなるほどと思える哲学的アプローチを披露していただいたので

ご意見のある方はコメントいただきたいです。

僕は理系なので、こういうアプローチは、てんでダメです。数式をいじってる方が性に合ってるみたいです。

でも日本人というものの習性の核心を突いているような気がします。



>日本人は貨幣を苦労して手に入れることを善として肯定します。そしてデフレ下の現状では実際に望む望まざるに関わらずそうなっています。

つまり労働の精神的苦痛や技術的な困難さや労働時間の多さの割りに収入が少ないということです。

日本人は労働を単に収入を得るための手段ではなく、宗教的な修行の一種と考えているのです。労働それ自体を目的とし、むしろ収入の多寡などお金にこだわる事は卑しいことだとでも言わんばかりです。お金は労働の結果として後から付いてくるもので、それ自体を目的とし追及するものではないと。してはいけないと。

最近の流行の言葉では労働を通じた「自己実現」とでもいうのでしょうか?とにかく日本人は働く事が(苦労が多ければ多いほどそれを克服するのが)楽しく、好きなのです。

これはプロテスタンティズムと資本主義の精神に通じるものがあります(了)




>そんな苦労して手に入れた貨幣を日本人はそうやすやすと手放すでしょうか?

日本人にとって貨幣は「単なる紙切れ」ではけっしてありません。それは聖なる労働の成果なのです。自分の労苦の、自分の人生の貴重な時間を多く費やした、自己が外化したもの、まさに自己の一部、自己の分身なのです。

日本人にとって貨幣はその交換価値よりも遥かに価値が高いのです。そうした労働の成果としての貨幣を愛すること自体は許されるのです。というかその他は許されないのです。(了)



>苦しい労働で得た貨幣のみが、その存在を許される。

ポジティブマネーなど印刷すれば湧いてくるお金など、日本人には論外なのですよ。

(本当はそれは労働の成果である生産力にその価値が支えられるのにね。)

それを認めれば

「じゃあ俺達が苦労してお金を得ていたのはいったい何だったんだ!?」

となってしまいます。

自己の、自己の(労苦の多い)人生の否定なのです。(了)


いかがでしょうか?

僕には大変納得のいくアプローチだと思うんですが・・・。