大震災・茨城から(1)療養型病床 北部で激減 | 勇者親分(負けず嫌いの欲しがり屋)

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 激しい横揺れがしばらく続いた。3月11日、茨城県北茨城市にある広橋第一病院の病室。同市の入院患者A子さん(90)はベッドにつかまり身を震わせた。気管支ぜんそくの持病が悪化し1か月前から治療を受けていた。

 「早く逃げたい」。そう叫ぶと職員が落ち着くように声をかけた。それで冷静さを取り戻した。

 地震で同病院の建物には何か所も亀裂が入った。壁も一部がはがれ落ちた。

 同病院は慢性期の患者を専門に受け入れる療養型の医療機関だ。ベッド数は97床。震災時は満床に近い93人の患者が入院していた。

 本震の後も余震が続き、建物はさらに壊れる危険があった。診療面でも東京や福島から通っていた非常勤の医師が、交通事情の悪化で通勤できなくなり、十分な診療態勢を維持できなくなった。震災の翌日、病院長の紅露(こうろ)恒男さんは入院患者全員の転院を決断した。

 比較的症状が軽い患者は、約3キロ離れた高台にある系列の精神科病院、広橋第二病院(同市)に移った。歩行器を使えば歩けるA子さんも第二病院に転院した。

 第一病院にいた時は、病院のそばに住む娘が3日に1度、見舞いに来てくれたが、今は週1度に減った。A子さんは「第一病院に戻りたい」と漏らす。

 重症患者は災害派遣医療チーム「DMAT」が受け入れ先を探し、他の医療機関に搬送された。

 その一人、大腸がんを患い寝たきりの北茨城市の男性(84)は、県西部の下妻市にある医療機関に転院した。

 震災前は、北茨城市内に住む親戚の女性(64)が車で約20分の第一病院に週1~2回通っていた。だが、下妻市の病院までは約130キロあり、車で片道3時間程かかる。親戚の女性は「仕事があり月2回ぐらいしか会いに行けず心苦しい。一日も早く近くの病院に連れてきたい」と話す。

 広橋第一病院は取りやめていた外来診療を7月に再開する。しかし、入院患者を受け入れることはまだできない。「当直勤務を行うだけの十分なスタッフを集められない」(紅露さん)からだ。

 県北部には療養型病床が計約270床あった。広橋第一病院が入院患者を受け入れられなくなり、その約3分の1を失った計算だ。

 通常、患者は高度な医療を行う急性期病院で治療が終わると、自宅療養が困難な場合は、療養型病院に転院する。地区の多賀医師会会長、横倉稔明さんは「療養型病床が減り、急性期病院が患者を移せなくなっている。救急医療にしわ寄せがきている」と危惧する。

 東日本大震災は、関東地方の茨城県の医療にも大きな影響をもたらした。その現状を報告する。

(2011年6月27日 読売新聞)