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5月16日。宮城県立石巻北高飯野川校の体育館に、幅1メートル、長さ30メートルの白いキャンバスが広げられた。津波で校舎を失った石巻市内の雄勝中と船越小の生徒、児童約60人が、色鉛筆を手に描き始め、思い思いに絵筆で仕上げていく。
「ここは私が描くの」
「はみ出さないで」
先生たちが見守る中、時に自分を主張しながらも、一生懸命に手を動かしている。多くの子供たちが家を失い、避難所から通っていることなど、にぎやかな様子からは想像できない。
被災した子供たちの心のケアを支援するNPO法人「子供地球基金」(鳥居晴美代表)の企画で、たくさんの笑顔が見たくて訪ねてみた。だが次の瞬間、思いもしなかった事実を知らされることになった。
「実は、ここは遺体安置所だったのです」
子供たちを見入っていた私に、雄勝中の佐藤淳一校長が明かしてくれた。しかも今、キャンバスに向かっている生徒や児童の中には、この場所で親の死を受け入れざるを得なかった子供も何人かいるという。
そんな場所で行われている授業。子供の心を揺さぶるに違いない事態を学校はどう考えたのだろうか。
小、中学校とも4月20日過ぎから、石巻北高飯野川校を間借りしての授業が始まった。だが、放課後の部活で体育館を使う中学と違って、小学校は体育館を使ったことがなかった。
今回の企画は、「子供たちが絵筆を振るって、少しでも気持ちが晴れるなら」と、雄勝中の佐藤校長が受け入れ、船越小の児童も一緒に加わることになった。
だが、体育館で実施することに先生たちの多くは否定的だった。「大丈夫かな」「慎重にした方がいい」……。それでも同小の菅原信彦校長は「先生が家族と一緒にずっと子供たちを支えている。今なら大丈夫だ」と決断したという。
◇
数日後、子供たちの様子が気になって菅原校長に連絡してみた。
「子供たちの変化を見落とさないように心がけています。でも今は、教職員みんなで『やって良かった』と話し合っています」
電話口から聞こえてくる菅原校長の声はほっとしているようにも聞こえた。
児童精神科医の斉藤万比古(かずひこ)さん(国立国際医療研究センター国府台病院部長)は「初めは子供に近い肉親や先生たちが寄り添い、日常を回復することが大切」と話す。子供たちの笑顔を見守る先生たちの姿がよみがえってきた。(編集委員 南 砂)
(2011年6月14日 読売新聞)