いきいき快適生活 被災地 心のケア(1)医師でなく隣人として | 勇者親分(負けず嫌いの欲しがり屋)

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 震災から3か月。被災地の復興とともに、心に傷を負った人々の回復が急がれる。その鍵とされる「心のケア」とは何か。かつて医師として精神科医療に携わったことのある記者が、被災地で考えてみた。(編集委員 南 砂)

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津波で壊れた家のあとを訪ねた松崎江里子さん(左)と桑山紀彦さん(5月22日、宮城県名取市で)=笹井利恵子撮影 「あの頃は身も心もつらくてたまらなかった。今はずいぶん落ち着きました」

 5月の連休明け。電話口から聞こえてきた松崎江里子さん(23)の声は驚くほど明るかった。

 私が初めて彼女の姿を見たのは、震災からひと月近く過ぎた4月上旬。宮城県名取市にある東北国際クリニックの桑山紀彦院長(48)と一緒に、同市内の避難所を訪ねた時だった。その時、桑山さんが話し込んでいたのが江里子さんだった。血の気がうせ、疲れ切った姿。抱えるつらさは私にも伝わって来た。

 3月11日、勤務先の仙台市内で被災した彼女は、歩いて名取市閖上(ゆりあげ)の自宅に向かった。だが、津波に行く手を阻まれ、たどり着けない。2日後、捜し回っていた母と偶然に再会、家族の避難先で祖母、弟と合流するが、父は行方不明と聞いた。眠れぬ夜が続き、保健師さんの勧めで桑山さんに会ったという。

 巡回の度に桑山さんは家族の中に座り込んで話に聞き入る。「雑談ができる珍しい先生。私が壊れた自宅に行くと話したら、『一緒に……』と言うんです」

 江里子さんの言葉を引き取って、「壊れた家の片隅に赤いシクラメンの花を見つけて、思わず泣いてしまいました」と桑山さんは明かす。「その姿に先生も被災者だったと気付き、申し訳なくなりました」。江里子さんの心には人を思いやるゆとりが戻っていた。


 クリニックの診察室。家族や家を失って悲嘆に暮れる人。肉親を救えなかった自責の念に苦しむ人。言葉が減った子に戸惑う親。壊滅した古里に呆然(ぼうぜん)とする高齢者。そこにはあらゆる筋書きのドラマがあり、第二第三、いや無数の江里子さんがいた。肩をさすったりうなずいたりして、じっと耳を傾ける桑山さんは幼子に接する親のようだ。

 地域の人が訪れやすいようにと、2年前、専門の精神科でなく心療内科として開業した。「阪神大震災の時も診察に駆けつけたが、医師と患者の関係を超えられなかった。でも今は、私も被災者になったことで分かりあえる」。桑山さんはそう話しながら、「寄り添えるのは専門家ではなく隣人。隣人として人助けをしたい」と結んだ。


 新居に移り、江里子さん一家の新しい生活が始まった。桑山さんは時々往診して見守る。寄り添い――。そこに、心のケアの一つの形を見た気がした。

(2011年6月13日 読売新聞)