http://www.asahi.com/health/sanada/TKY201011240159.html
「でさ、その時俺は当直室でテレビを見ていたわけさ。ちょうど巨人が点を入れたときでさぁ・・・」
「T先生は巨人ファンだもんね」
「そう!そう!一応当直の日はワシントンマニュアル(研修医必携のマニュアル本の一つ)を読むって決めてたんだけど、それどころじゃないわけよ。テレビに釘付け!」
「T先生がちゃんと本を読むなんて事の方が信じられないけど、さ」
医局でおしゃべりをしていたT先生と私の間に、そういいながらM先生が入ってきた。
「ま、俺だって一応勉強時間は取ろうと決めてるわけ。特に当直の日はそういう場面に出くわすことが多いから実践として身につきやすいし」
皮膚科のT先生は豪快に笑った。体力自慢の元野球部T先生は、さばさばした性格で元気がいい。
「この病院はさぁ、もう医師不足でしょうがないから俺なんかのような皮膚科を内科当直に当ててるけど、はっきりいってこれって患者にとって迷惑だよな」
T先生は前屈みになりながらこそこそ声でいった。
私とM先生は内密話を聞き入るように体を前に乗り出す。
「自分から迷惑だなんて言うなよ。『皮膚科だけど、一般内科くらいはちゃんと診ます』くらい言えよ」
M先生が眉間にしわを寄せる。
「そんなことないわよ。下手に自信満々で診療に当たられるよりは、T先生のような心構えの方がずっと良いよ。問題があれば必ず専門家に上申するだろうし、そう思うからこそT先生はワシントンマニュアルを復習しているわけだし。いい心がけだと思うけどな」
と私。
「当直の日に実践で勉強されるようなレベルでは、患者としては迷惑だってことだよ」
「M君はよくそういうこと言うけど、M君だって自分の専門外の患者に対して、100%の診療ができているとはいえないはずだよ」
「だから俺は当直の時に責任が取れないような専門外の患者だったら断る」
「うっわ~~!!それはそれで患者にとってはもっと迷惑だよ!!」
私とT先生は思わず声をそろえてしまった。
世代が近い私達3人はよくこうやって医局でよもやま話をする。
「まぁまぁさぁ、俺が内科当直をやるのは迷惑だとしてもさ、その日はテレビ見ながら当直待機してたわけ。そうしたら電話で救急外来から呼び出されたの。救急車の音もしなかったのに、何かな?って思って電話にでたら、これがびっくりよ!!」
私とM先生は身を乗り出す。
「電話口でナースが『58歳の男性、急性心筋梗塞です、意識ありません!』とか言うわけ」
「うわ!内科当直当番とはいえ、皮膚科的にはきついねぇ」
「俺、思わず言っちゃったもん、俺皮膚科だよ?なんでそんなもの受けるの?誰が受けたの?って。そうしたらさぁ、タクシー乗って来ました、とかいうじゃない?とにかく早く救急外来に来てくださいってナースに言われて電話切られちゃったわけ」
「まぁ、そりゃあ、できるとかできないとかじゃなくて、救急外来には行かなくちゃね」
「マニュアル読んで勉強中の皮膚科医に診てもらわなくちゃいけない心筋梗塞患者っていうのは運が悪いよなぁ・・・」
「M君はホントに口が悪いよねぇ!」
私はM先生を肘でつついた。T先生は気にしていない様子。
「俺の方が心臓バクバクよ!でもとにかく行かなくちゃ話にならないから、急いで救急外来に飛んでった・・・。とりあえず、まずラインとって(点滴をつなぐこと)、とか思うんだけど、そっから何して良いかわかんないし。患者やスタッフの前で見るわけにはいかないから、途中のトイレに隠れてマニュアルの心筋梗塞のページ開いて読んじゃったよ」
「ああ、もうダメだ。死んじゃうよ」
「最初に痛くなったのは何時で、一番痛かったときを10として、今どれくらい痛いですか?とか聞くんだろ?」
「発症時間と範囲とか推測できるからね。もう、T先生はそんな事も知らなかったの?」
「だから俺は皮膚科医だっていうの!内科じゃないんだからさ!救急外来についたら、患者らしき男性がストレッチャーの上に寝かされててさ、でも意識ないの。マニュアルには聞けって書いてある事が聞けないわけよ?もうどうしていいやら!」
「あ~。T先生も運が悪いけど、患者はもっと運が悪いな」
M先生がつぶやいた。
T先生のドキドキ話は次号へ続く。