454日目 「北へ」 | USKの旅日記

USKの旅日記

26歳からの青春の記憶


2015.9.16
宮古島市



空模様を窺いながら出発。

巨大な一枚岩、大和ブー大岩の脇をぬけて、橋の先から牧山展望台へ。

展望台は、10月上旬くらいにこの島に飛来する渡り鳥(サシバ)を形どってる。

一昨日渡ってきた伊良部大橋、宮古島と2つの島を結ぶ、池間大橋、来間大橋を一望できる島唯一のスポット。


眼下にはさっき通った道と、大和ブー大岩がみえた。名前の由来は、昔、岩の真ん中くらいに窪みがあって、それが赤い日の丸模様にみえたからで、「大和」が日の丸、「ブー」が入江で、日の丸の入江という意味だそうだ。



橋渡って宮古本島に戻る。少しずつ天気がよくなって晴れ間がみえた。


朝飯の乾麺のせいで体がダルい。栄養つけるために、ランチは宮古食堂で、カツ丼!!


店内は満席。カツ丼(450円)と、宮古そば(300円)を注文。

たっぷり野菜と、カツが卵で閉じてある。味が薄く、飯がベタベタでいまいちだったけど、宮古そばは普通に美味かった。てか、こーれぐーすかけたら、そばは大抵うまい(笑)


宮古神社は、静かで落ち着いた。


仲宗根豊見親(16世紀はじめの宮古の支配者)の墓の前で、スコールに遭遇。15分凌いで少し先、ぶばかり石(人頭税石)。この石(143cm)より身長が高くなったら人頭税を課せられたと伝わる。

近世では数え15~50歳までの男女に税が課せられ、男は粟、女は布を納めた。税を確実に納めさせる手段として、各村に「五人組」を設け、この組中の誰かが年貢を納められなかった場合、その組で責任をもたされ、組で無理なら村、村で無理なら島全体で賄うという連帯責任のシステムがとられた。

それは過酷な税制度だったそうで、1888年の大飢饉を機に人頭税廃止が訴え始められ、1893年代表団が国会に請願書を提出。こうした運動が実り、1903年、新税法施行に伴い、260年余にわたる人頭税は廃止された。

人頭税にまつわる碑は八重山諸島でも各地で見てきた。いかにこの悪しき税制が島民の生活に暗い陰を落とし、苦しめたか窺える。


砂山ビーチ

砂山の上からみただけ(笑)シャワー浴びて先へ。


西原の集落の近くで男衆の掛声が聞こえてきた。ミャークヅツだ!

通りをスーツきたおっさんたちが列を成して歩いてくる。「五穀豊穣」の旗頭もいる。トラックでは三線を弾いて唄う人、その後にはおじいの行列。

この時は池間島に渡るつもりだったから、すぐに離れた。


あんちーかんちーさんのwebマガジン参照

西原のミャークヅツ


海中公園寄るだけのつもりが、その近くの公園がかなりいい感じでここに宿ることとした。園内をうろつき、シャワー浴びる。


夜、公園の外灯の下に10匹くらいカエルが集まってた。よくみるとそこらへんにいてうっかり潰さないように気をつけた。  

星もすごーく綺麗!おまけに蛍も飛んでる!


静かな公園でひとり、波の音を聞きながら、ベンチでまったりリゾート気分♪♪



天気:晴れ時々雨
走行距離:-km
公園ザコ寝泊