153日目 「偕楽園」 | USKの旅日記

USKの旅日記

26歳からの青春の記憶


2013.12.19
日立市(茨城)→水戸市(茨城)

 

マック店内は外とあんま変わんないくらい寒かった。浅い眠りを繰り返す。



6号を下り、水戸に入る。


飯食おうとしたら、いきなりパンク。

「幸楽苑」目と鼻の先なのにorz



隙間からチューブが飛び出てる。昨日タイヤ替えた時、うまく収まってなかったんだろう。

腹減りマックス&風激寒でイライラ。

2箇所の穴を塞ぎ、ホイールにタイヤはめるとき、無理くりしたらまた穴あいてイライラあ゛ーー ((((゚(゚Д゚゚Д゚)゚)))



飯くって水戸駅で地図get。




桜川沿いから、千波湖畔のコースに合流し、湖を眺めながら走る。

色んな種類の水鳥がたくさんいた。

餌を貰えると思ってんのか次々寄ってくる。





湖の西端には黄門様でお馴染み、水戸藩2代藩主、徳川光圀像。







常磐神社に参拝し、偕楽園。

名前の由来は、孟子の「古の人は民と偕(とも)に楽しむ、故に能く楽しむなり」という一節からとったもの、とのこと。


東門入ってすぐ、目の前に広がるのは、色に乏しい寂しい感じの広場。


巨大な「左近の桜」も黒々とした枝ばかりが寒空に伸びてる。

広場のツツジも、本園に約100種、3000本あるといわれる名物の梅の花も当然ない。



わかってたけどさ、、なんだろ、この感じ。





「好文亭」

徳川斉昭が、ここで文人や、家臣、領内の人々を集めて詩歌の会など催したりしたとか。連なる、奥の御殿は城中出火があった時の避難場所としてつくられ、主に婦人や付き人が使用したという。

建物自体、水戸城防衛のための見張り櫓としての役も担ってたんではないかともいわれてる。





「好文」は梅の異名で、中国の故事に基づいて名付けられたもの。


戦時の空襲や、先の震災で甚大な被害を受けながらも、その度、往時の姿に忠実に材料も吟味して、丁寧に復元され、今日俺らにその佇まいを見せてくれてる。




中のつくりは、結構地味で、落ち着いた印象。質素なんだけど、襖絵が部屋の名(「菊の間」なら襖絵は「菊」)になってて、それが空間に彩をもたせてる。

戸や障子は見学者の為、当然開け放たれてるから、寒い。


説明書きや時々流れるアナウンスに耳を傾けつつ巡る。









ここ偕楽園は、藩校「弘道館」と一対の施設として構想されたと云われてる。文武修業の「弘道館」に対し、偕楽園は修業の余暇に心身を休め楽しむ場として建てられたそうな。

なるほど、衆衆と詩歌を詠み交わす、嬉しそうな斉昭の顔を思い浮かべながらwひたひた冷たい廊下を歩む。







3階の「楽寿楼」からは、かなり見晴らしが良く、遠くまで広がる庭園が一望できる。花の季節はすごい綺麗なんだろうな。



杉林、竹林、「吐玉泉」など、雨の中を半ば消化試合のような感じでサクッと周り、再び千波湖畔を通って駅方面へ向かう。









「水戸東照宮」にお参りし、「弘道館」に行ってみるが、暗くてよくわからんかった。驚いたのは、学校や図書館が同じ敷地内(藩校跡地)に同居してること。こんな渋い環境にあって、児童生徒諸君はさぞや学業に身が入ることだろう。羨ましいねぇ(^^)









県立図書館にて『ジェロニモ』鑑賞。石巻で触れた『009』がいまだ頭の中を飛び回ってる。

開拓時代のインディアンの族長と、新米の陸軍士官がメインキャスト。若きマット・デイモンはじめ、キャストがいい演技しとる。


独善的で、自らの行いを顧みることの稀有なアメリカにしては珍しい?第三者的視点で描かれてる作品。面白いわ。




満喫泊まろうと思ったけど、遠いし、雨ふってるしで、飯食ったら眠くなって近くの橋の下でダウン。



天気:雨
走行距離:47.9km
橋下テント泊