139日目 「松島町→七ヶ浜町」 | USKの旅日記

USKの旅日記

26歳からの青春の記憶


2013.12.5
松島町(宮城)→七ヶ浜町(宮城)

 

日の出とともに起きる。


そして、日が登り温かくなってから、テントとフライシートを堤に干し、飯。







せっかく良い天気なので、再び福浦島や五大堂へ。

蒼い空と海。そして沖にいくに従い淡くなってく島影の色合いが美しい。









塩釜駅を通って、七ヶ浜へ。







2年前は瓦礫の山だった公園が、新しい宅地建設のための土砂の集積所になってた。





震災直後は色んなものが散乱し、異臭も凄かったが、それらがきれいに片され、草木が茂り、表面的には何事もなかったかのような印象に。



規模が縮小されたボランティアセンター。

ドアを開けると、懐かしい顔。


前はいちボランティアだったG古くんは、ここで役職を得て仕事人に(^^)







「みお七ヶ浜 とうふ屋らーめん」で2人で飯。


ここでは魚だしの醤油ラーメンと、出来たての釜揚げ豆腐が食べられる。


豆腐のバイキングがあって、大皿に盛られた豆腐料理が食べ放題。お好み焼き風の揚げ豆腐、麻婆風あんかけ揚げ豆腐が美味かった。


G古くんは、いまや町の顔。ひっきりなしに顔なじみの方たちと談笑してた。





飯の後はドライブ。彼に様変わりした町のあちこちを案内してもらった。


2年以上経つけど、現場の変わりようにただ驚く。

全て人の手が成し遂げたことなんだ。

すごいね、



かつて瓦礫で溢れてた畑。





海辺を歩く。

木材や、漁具、コンテナなどの漂流物が散在し、何から手をつけたらいいのか、途方に暮れてしまうようなカオスが広がってた菖蒲田浜は、たくさんのボランティアの尽力で、かつてのような綺麗な姿を取り戻しつつある。







波を正面からまともにくらった火力発電所のあたりはかなり片付いて、海苔の加工工場など、新しい施設もできてる一方で、時が止まったような場所も。



多聞山の毘沙門堂へ登る。


ここは松島四大観に数えられる絶景spot。

今朝みたのとは、ひと味違った松島を眼下に、G古くんの話に耳を傾ける。




馬放島には狸がいて、餌を求めてわざわざ海を泳いでやってくるらしいw




お堂の脇では鐘の復旧工事をしていた。





震災直後は、不謹慎ってことで釣りするのもはばかられたらしいが、今は堤に立って竿を垂らすお父さんたちがいた。


能天気でおめでたい俺には、到底想像もつかないような辛い経験をして尚、立ち上がり、必死に前を向いて、少しずつ歩き出した人がいる一方で、1000日前から時が止まり、未だ悪夢の中で立ち止まってる人もいる。


新しい家を建てて住んでる人がいる一方、いつまでも仮設から出られない人もいる。

仮設で仲良かったお隣さんとも、そういうことで確執ができ、疎遠になることもあるという。



何をもって復興とするかは、それぞれ。ていうか、復興って何?


そんなことを2人で話しながら、ボラセンに戻ってきた。

車の中で次々飛んでくる質問に真摯に応えてくれ、通る場所通る場所で丁寧に案内してくれたG古くんに、感謝!

凄く有意義な時間だったよ(^^)ありがとう。





ボラセンでは、畑仕事から戻ってきたボラさんたちと円卓を囲み団欒。

蕎麦の実ができたから、臼で挽いて二八蕎麦をつくろうという話になった。そのうちに、S木さんというその道に詳しい方が来て、指南してくれることに。

誘っていただいたし、すごい面白そうなので明日手伝わせてもらうことに(゚∀゚)!



その夜、S木さんにお呼ばれし、彼のバンタイプの自家用車で呑む。


S木さんは、震災の翌月からずっと七ヶ浜の再建に関わり、支えてきた最古参のボラさん。元大工で職人気質。顎髭をたくわえたかっこいいおじいちゃんだ。
 
カセットコンロの火で暖を取りながら、カップ酒をちびちびやりながら彼の話に聞き入る。


お好きだという旅や帆船や文化財のお話など、いっぱい聞けた。楽しい時間だった。

彼のように、いい生き方をしてる人にはオーラがある。そのオーラに惹かれて自ずと人が集まってくる。



したこま酔って各々床につく。



天気:晴れ
走行距離:26.0km
キャンプ場泊