俺の第二の故郷、青森県弘前市と縁深い、ここ、斜里町の人たちと交流をはかること。それは、旅を始めた当初から俺が漫然と抱いてきた希望だった。
きっかけは、昨年度の弘前ねぷた祭りに参加したときの、囃子組のおじさんが俺に言ったひとこと。
「まっち、北海道さ行くなら斜里も寄ったらいんでねの?あすこにもねぷたっこあるはんで」
斜里と弘前は友好都市とのこと。その時まで全然知らなかった。
そもそも、なんで弘前と斜里が友好都市かというと、、(以下、道の駅のポスターから抜粋)
、、今から200年前の文化4(1807)年に津軽藩は北辺警備の必要性から江戸幕府より斜里地方の警備を命令されました。
100余名の津軽藩士が7~8月頃に斜里に到着したものの11月中旬からの寒さと栄養不足により病人が続出し、ひと冬で72名の藩士が死亡するという痛ましい事件になってしまいました。
このような史実に基づき、昭和48(1973)年に津軽藩士殉難慰霊碑を建立し、毎年町民の手で慰霊祭を行っていたことが縁で昭和58(1983)年に青森県弘前市と「友好都市の盟約」を結び、その記念として同年7月に「弘前ねぷた」が伝授されました云々、、
とのこと。その縁が続いて今日に至ってるんだよね。すごいよね(^^)
今年は弘前との盟約30周年の節目の年ということもあり、市民ホールでねぷたを題材にした町民劇をやる予定だそうだ。
(斜里町は弘前市の他にも、沖縄県の竹富町とも40年来の姉妹町盟約関係にあって、きっかけは、斜里町が最東端の知床国立公園を抱えることから、南西端の西表国立公園のある竹富町と交流が始まったとのこと。)
弘前市と斜里町、両市町は友好都市の盟約を交わす間柄。
でも、弘前において、その認識は(弘前に暮らしたことのある俺が知らなかったように)まだまだ住民レベルまで浸透してるとはいい難く、せっかく日本一周の道程で斜里町を通るなら、両者の交流が深まるような何かしたいと思って、今年の弘前のねぷた祭りで実際に運行された山車の端切れを、毎年俺が参加させていただいている町内会から頂いてきた。
そして、安直ながら、この端切れをきっかけに斜里町民の方たちと話したり、写真を撮らせていただいたり、図書館、博物館とかでこの町のことを勉強して、それらを弘前へ持って帰って、弘前の俺のコミュニティーの中で紹介したいなーなんて考えるようになった。
大げさなことじゃなく、いち個人の趣味、好奇心の範囲でそんなことをしようかなと。
、、、そして、
ライダーハウス「クリオネ」に世話になりながらの斜里町滞在。
その一週間ほどの間に沢山の町民の方たちとお話でき、写真も撮らせて頂くことができた(_ _)(_ _)(_ _)
スーパーの屋台や、道の駅、観光センターでの広報活動。図書館の特設コーナー、ポスターなど、町中のいたる所で「弘前」を感じることができ、今も昔と変わらず、縁を大切にしてくれてるんだって思った。初めて来た町だけど、全然そんな気がしなかったもんな。
交流を通して、斜里町の皆さんの暖かい心根を感じた滞在だった。
JR知床斜里駅ホームのミニねぷた。
道の駅の扇ねぷたと会計に付いてきた記念切符。
毎年7月下旬、斜里町で行われる「知床斜里ねぷた」と保管庫の扇ねぷた。
姉妹町友好都市交流記念館内の山車。
総合庁舎入口に展示してある盟約書。
「津軽藩士殉難慰霊碑」と俺持参のねぷたの端切れ。
図書館の弘前コーナーの一角。