「時間が取れない」ことを言い訳にずっとサボってきたブログですが、どうしても書かずにいられなかったので3年ぶりに投稿します。先日亡くなった作曲家ロッド・テンパートンのことです。
ネットニュースでも「マイケル・ジャクソンの『スリラー』作者が死去」などと大きく載せられていたので、ご存知の方も多いでしょう。
いくつかのブログや、DJ OSSHYさんの番組などでもロッドの輝かしい業績を取り上げられていましたが、ここでは作曲家的な目線から彼の素晴らしさを伝えたいと思います。
僕にとってはずっと「世界で一番好きな作曲家」で、ロッドが作った曲はほとんど聞いています。iTunesがない時代は1曲でも彼の作品が入っていれば即買っていたので、CD、アルバムとも結構あります。
「THE SONGS OF ROD TEMPERTON」と銘打った(かなり恥ずかしい)ノートを作り、気に入った曲のメロディーやコード、リズムアレンジなどを研究したりしました。
亡くなった当初は目標を失ったようなショックで、あまり考えないようにしていましたが、ようやく落ちついてきました…。
Mr. ロッド・テンパートンはイギリス生まれの白人で、最初にヒットした曲は1977年、キーボーディストとして在籍していた多国籍バンド、HEATWAVEの「Boogie Nights」です(右端でコーラスしながらキーボードを弾いているのがロッド)。
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イントロはハープのグリッサンドをバックに、ドラムとベースがジャズの速い4ビートを刻みます。コードはBm7/EとAm7/Dという怪しげな響きで5小節目から「ブーギーナーイツ、オーオーオー」というメンバーのコーラスが…。
この段階で「何だ、この変なイントロ?」とリスナーの注意を引くわけですが、8小節のコーラスに続いて同じBPMで「ブーギ・ナイツ!」とファンキーなリズムが始まります。9thの音が特徴的なベースラインがグルーヴを引っ張り、カッティング・ギターとクラビが絡まって思わず腰が動いてしまうリズム・アレンジですね。これに当時の僕はガツン!とヤラれました(笑)。
中盤のブリッジ「パーティー・ナイト!」の部分では4分音符3つでキャッチーなリフを作っていますが、これはその後のマイケルやパティー・オースティンの楽曲などでよく使われた手法です。リズムはシンプルだけどコード展開が非凡なのでカッコよさが際立っています。
当時の音楽雑誌に載っていた貴重なインタビューを読むと、この「Boogie Nights」を聞いたクインシー・ジョーンズから直接電話が入り、「マイケル・ジャクソンのニューアルバム用のために曲を書いてくれないか?」と言われたそうです。
ワクワクする話ですね〜!(今となってはちょっと悲しいけど)
それで、3曲を書いてアメリカに飛び、「どれが気に入りましたか?」と聞いたら「3曲とも採用!」とクインシーが答え、しかもそのうち1曲はアルバムのタイトルにもなりました。それが、1979年の『Off The Wall』です。
マイケルがスーパースターに駆け上がったスタートの一枚と言っていいでしょう。僕の周りでは『スリラー』よりも名曲が多い、という認識で一致しています。
ちなみに『Off The Wall』CDのリマスター版は上のようにジャケットが変更されています。「整形前の顔を出すのをマイケルが嫌がったから」と某レコード会社の人は言ってましたが、僕は昔の顔のほうが好きです(笑)。
ジャクソン5時代の数々の大ヒットですでにスターだったマイケルが、スーパースターにになるきっかけになったアルバムのタイトルソング「Off The Wall」を改めて聞いてみて下さい。
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聞けばわかりますが、この「Off The Wall」は完全に「Boogie Nights」と同じ手法で作られています。イントロは4ビートではなく1拍目抜きの変則リズムですが、怪しいコードからリズム・バンプに入るカタルシスは全く同じ。
さらにコードの9thをトップに持ってくるベースラインも共通しています。
Heatwave「Boogie Nights」
Michael Jackson「Off The Wall」
「Off The Wall」はベースの音数を増やし、9th(F#の音)を 3拍目頭ではなくウラに来ているのでファンキー度はさらに上がってます(実際のキーはEmではなくEbmなので、ベースは半音低いチューニングで弾いています)。
ベーシストは去年惜しくも亡くなったルイス・ジョンソン(ブラザース・ジョンソン)。この曲以降、クインシーとロッドが制作した曲の9割以上は彼がベースを弾いています。最高のグルーヴですね!
「Boogie Nights」と手法は同じでもマイケルのヴォーカル&コーラスの上手さ、ベース、ドラム、クラップ音などの音質など全てが上回っており、自分の作品のアップグレード・バージョンと言っても差し支えないと思います。
余談になりますが、100万倍くらい規模は違いますが、実は僕もKey of Lifeとして最初に出した「ASAYAKEの中で」がそこそこヒットと呼べる程度まで売れたので、ビクターと正式契約することになりました。そこで求められたのは「最初に買ってくれたファンの期待を裏切らずにグレードアップした曲」でした。
サンプリング手法で作る、という条件があったので、山下達郎さんの「クリスマス・イブ」をサンプリングして曲を完成し、自分でも「これは前作を越えた!」という自信があり、スタッフの方々も乗ってくれたのですが、許諾の問題でNGに…。
それで、締め切り間際で作ったのが小田和正さんの「ラブストーリーは突然に」をサンプリングさせて頂いた「Love Story〜時をこえて今も〜」でした。
サビのメロディーが明確にしっかりしているぶん「ASAYAKE…」よりいいんじゃないか?と思っていたのですが、売り上げ的には越えられませんでした。
このように「似て非なる曲を作る」というのは誰にとっても難しいことだと思います。
興味を持たれた方はYouTubeに音源アップされているので探して聞いてみて下さい。今回の趣旨と違うのでリンクは貼りませんが…。
そしてそして、僕より100万倍の才能を持つロッド氏は「Off The Wall」と同時に、とんでもない超・名曲をマイケルに提供してしまいました。
それがコレ、「Rock With You 」です。
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アイズレーなどと並んで、スイートでメロウなR&Bの代表曲ですね! アップテンポでもなくバラードでもない、ミディアムの絶妙なメロウ感。そして最小限のサウンドで最大の効果を上げるアレンジ。なかなか日本人には出せません。
この曲のBメロ「feel trhe heat」の部分では上に書いた「キャッチーな4分音符3つ打ち」が出てきます(コード的にはEbm7-Fm7-GbM7の平行移動)。
そこでリスナーにアテンションしつつ、次の「And we can ride the boogie」でドラムだけになるアレンジがニクいですね。
マイケルのスター感を際立たせていると思います。
さらに素晴らしいのがサビで、得意のマイナー9thコード(Ebm9)を使いつつ、4小節め「sunlight」の部分ではAbm7/Dbと部分転調しています。これがものすごくオシャレで、マイケルの持つ青春の甘酸っぱさと、アダルトなカッコ良さを同時に引き出してます。
ちなみにあのベービーフェイスもこの曲に強い影響を受け、自身のアルバムやボビー・ブラウンへの提供曲などで、同じ部分転調を使ってヒット曲を量産しています。
「Rock With You 」の素晴らしさはこれにとどまらず、2番の後の大サビが最高の展開になっています。
まずBbm7の後のEb7(セカンダリードミナント)でムーディーな印象になり、次の「live survibes」が効果的が盛り上がります。さらに同じメロディーなのに「we can rock forever」の時はBM9とコードを変えることで浮遊感を出しています。
日本語的に言うと「僕たちは永遠にセッ○スできるよ」という意味の歌詞ですが、ロッドが書いてマイケルが歌うと全然イヤらしく聞こえません(笑)。
めちゃめちゃ素晴らしい愛の歌になっています。
そう、ロッド氏のスゴいところは自作曲の全てをアレンジするだけにとどまらず、歌詞も書いてしまうところです。だからこそ、歌詞とメロとアレンジがリンクして相乗効果を生むわけですね。
これも当時、すごく影響受けました。作詞は苦手だったのですが「ロッドが書いてるから自分も頑張って書こう!」と思った記憶があります(^_^;)。
当時死ぬほど書いたアニソン系は逆のポリシーで作詞は一切してませんが、それ以外の自作曲ではだいたい作詞もやっています。
ロッドはダンス・ミュージックのヒット曲以外に、「Rock With You 」などのメロウ曲やバラードもこの世にたくさん残してくれました。
一番最初は1977年、Heatwaveの「Always and Forever」です。
これはオーソドックスな8分の6拍子の美しいラブバラードです。
カバーするアーティストもたくさんいる名曲なので「ブギー・ナイツ」に続いて大ヒットしました(ジャケットでは一番右に写っています)。
ただ作曲家目線で言うと、ロッドの作品としては刺激が足りない印象がありました。60年代のポール・アンカやニール・セダカの作品でよく出てくる普通の循環コードで、歌詞は素晴らしいと思ったのですが…。
同じHeatwaveなら、僕はこちらをオススメします。
濃いファン以外はあまり知らないと思いますが、5枚目のアルバム『CURRENT』に収録された隠れた名曲です。
(そんな曲でもYouTubeで簡単に見つかってしまうのがスゴイ…)
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この「Look After Love」は「Always and Forever」と同様、ハチロク(8分の6拍子)のバラードですが、ロッドらしいヒネリのあるコード進行が特徴的です。
Aメロは割と普通にEのキーで展開しますが、A'(Aダッシュ)でいきなりGのキーに
なります。アップテンポの曲なら短三度上に転調するのはよく見られますが、遅いテンポのバラードではかなり珍しい。
そしてサビの厚いコーラスにガツンと僕はヤラれました。ソウルグループでは王道のファルセット・コーラスですが、ホントに美しい!
コーラス好きの僕としてはたまらないわけです。
そしてサビの終わりでさりげなくEのキーに戻るところもオシャレ(笑)。
そして個人的に泣けるのはロッドがHeatwaveを脱退してからも「自分を育ててくれた特別なグループ」として、こんな素敵な楽曲を提供し続けていたことです。
ロッドはクインシー関連の作曲依頼が激増して、グループとしての演奏ができなくなったために1978年には脱退しています。
そして上の「Look After Love」は1982年の作品。
そう、マイケルのお化けアルバム『Thriller』が出た年です。
こういうところにもロッドの人間性が出ていると思います。
『Off The Wall』でも『Thriller』でも3曲ずつ作詞作曲したということは、それだけでものすごいお金を手に入れたことになります。
そんな時でも自分の昔の仲間、しかも82年当時はすでに売れなくなっていたHeatwaveに素晴らしい作品を提供したロッド……。
自分に置き換えて考えると、ものすごく迷ってしまうと思います。超多忙で、割りの良い仕事がどんどん飛び込んでくる時期に昔の仲間からの依頼を受けられるか?
それも捨て曲じゃなく、良い曲を提供できるのか…?
自己中心的な発想をしてしまいがちなので「ゴメン、忙しいから」って断ってしまうかもしれません。
だからこそ、余計にロッドの素晴らしさがわかるわけです。
クインシーの右腕として、ほとんどのヒット曲に関わっていたのに、裏方に徹していました。自作曲ではなくてもリズム・アレンジだけやったりコーラス・アレンジをやったり…。
なので、僕はクインシーの名声の半分はロッドによるものだったと思います。マイケルの成功がなければ、その後の「We Are The World」も生まれておらず、ブラックミュージック界はここまでポピュラーになることもなく、全く違っていたと確信しています。
そして、クインシー自身もロッドの凄さをちゃんと認めているところが素晴らしいところです。僕はFacebookでずっとクインシーを追いかけてきましたが、事あるごとに「私の偉大なる親友、ロッド・テンパートン」と持ち上げていました。
今回の訃報を誰よりも悲しんでいるのは御家族とクインシーだと思います。
個人的でクダラナイ妄想を書くと、いつかイギリスに再び行く機会があったら、ロッドのいる街まで何とか会いにいって、「僕はあなたの作品から多くのことを学んでプロになることができました。Thank you very much!」と言うのが夢でした。
そして、拙い楽譜ノートを見せ、笑ってもらえたらいいなと秘かにたくらんでいました。残念ながら叶わない夢になってしまいましたが……。
ベースラインと違い、曲名とメロディーをブログに載せると著作権的に問題が出そうなので該当するジャケットで隠しました。
日本ではロッドの知名度はかなり低く、亡くなってから「『スリラー』や『ロック・ウィズ・ユー』ってマイケルの自作じゃなかったんだ〜」って驚く人が多かったようですね。
それだけ作曲家なんて裏方だということになるのですが、マイケルがあるインタビューで「ロッド・テンパートンが作るベースラインに影響を受けた」と語っているのを聞いて自分のことのように喜んだ記憶があります(アホか…)。
そんなマイケルのお気に入りの1曲が『スリラー』のラストを飾る「Lady In MY Life」なのですが、実はあれはショート・バージョンだって知っていましたか?
本来あったはずの2番がバッサリと切られて、いきなり大サビに行き、そしてラストサビに向かっていくわけです。
つまり音楽業界でいうところの「ワンハーフ」ですね。1番終わったら間奏に行かず、もう一度サビ(もしくは大サビ→サビ)を繰り返して終わり、というテレビ番組でよく使われるショートバージョンです。
『スリラー』のアルバムにショートバージョンが入ってしまった理由は、「B面が長すぎて音質が落ちるから」だそうです。
若い人にとっては意味不明でしょうけど、アナログ盤の片面は曲の長さが短いほどカッティングが深くなって音質的に有利になります。片面が23分以上だとダイナミックレンジや低域の質感が相当悪くなります。
なので昔のカセットは「46分テープ」が主流で、アルバムがちょうど一枚分コピーできたわけですね。
最初に『スリラー』のアナログ・マスターを聞いたクインシーやレコード会社幹部が「音質的に使えないから長さをカットする」と急遽決めてしまいました。
歌詞カードの印刷はすでに終わっていたため、アナログ盤や初期のCDにはフルコーラス分の歌詞が記載されていました。
僕は1982年当時から「何で1番のサビから2番のサビに飛ぶのだろう?」とずっと疑問に思っていましたが、後になってそういう理由があったと知るわけです。ウチにはアナログ盤2枚とCDが2枚(初期とリマスター盤)ありますが、最後のリマスター版では歌詞が音源と同じく割愛されて載っていました。
ところが…!
数年前に偶然YouTubeで発見して狂喜乱舞した音源がコレ。
「Lady In MY Life」の幻のフル・バージョンです!
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収録元は英クリサリス・レコードのアルバム『The Songs Of Rod Temperton』。
なんとレーベルの枠を越えたロッド・テンパートンの作品集です。
こんなCDが2002年に出ていたとは…!
しかも僕が学生時代に書いていたノートと同じタイトルでした(笑)。
幻になった元の1番サビではスネアではなくリムショットが使われ、2番サビで登場するキラキラ・シンセのカウンターメロディーも出てきません。
つまり、バラードの王道っぽく、徐々に盛り上がるアレンジだったわけです。
それをバッサリ切ってあるから、歌詞カードを見る前から「あれ? なんか急にサビから盛り上がったなあ」と違和感を持ったわけです。
『スリラー』のリマスターにもベスト盤にも入らなかった幻のフル・バージョンがロッドの作品集にだけ収録されたということは、やっぱり本人はショートバージョンで出されたことにずっと切ない思いをしていたんだろうな〜と想像してしまいます。
そのへんも直接聞いてみたかったなあ…。
……なんてことを書いてるうちにものすごい長文になってしまいました。
実はまだ書きたいことの半分も書いてません(笑)。
ロッドの作品として、一般ではほとんど黙殺されたハービー・ハンコックのアルバムとか、オクラ入りになったカーペンターズのカレンのソロアルバムなどたくさん紹介したいので、また時間を見つけて続編を書こうと思います。
マニアックで拙い文章でしたが最後まで読んでくれた方がいたら、感謝します。