早朝の霧中にて人はつくづく見たい世界しか見ていないということを最近感じる。 ヨガ的にいうと自分にとって都合の良い世界を見ている意識を自己と感じている、と言うことか。 見るものと見られるものの倒錯。 アシュタンガヨガのはじめのマントラを唱えているとき、何となく霧中の彷徨いからの解放を願っている自己を感じる。 まだまだ、長いながい旅の途上。 霧がかった早朝の道を愛犬サスケと歩きながらそんなことを思った。