こんにちは![]()
愛媛の毎週土曜日にツーリングスポットを紹介する
愛媛88箇所 「ようおいでたな」の更新の時間です![]()
今回紹介するスポットは西宇和郡伊方町にあります
三机港を紹介させていただきます![]()
三机とは前回紹介した国道197号線のメロディラインを佐田岬へ向かう途中に
ある湾のことで、戦争中の西宇和郡三机村から西宇和郡伊方町となっている。
三机が有名なのは、太平洋戦争開戦の2年前の昭和14年ごろから日本海軍は
秘密兵器、特殊潜航艇の訓練基地として選び、極秘で訓練を開始したことにある。
三机湾が訓練校に選ばれた理由としては諸説あるが
1.当時の三机は周囲から隔離されたような漁村で、人の出入りも少なく
秘密保持に適切であったこと
2.須賀の森が県下最大の砂嘴(さし)であり、そのため内湾外湾を備えた
波静かな良港であり、かつ湾内への船舶舟艇の航行量が少なかった為
訓練に最適であったこと
3.伊予灘の佐田岬よりは、大型船舶の常用航路から外れており
訓練に最適だったこと
4.三机湾が真珠湾の地形と良く似ていたこと
などいろいろな理由があったといわれている。
そして当時、三机湾の沖には母船「千代田」が停まり、潜航艇は厳重に布袋をかぶせ
超極秘の訓練であったため地元の人たちは知る由もなかったという。
三机湾沿いに歩いていると湾の南側に須賀の森という場所がある。
写真のように大きな木が生い茂っており、夏はキャンプや海水浴や釣りができるため
非常に人気のスポットとなっている![]()
駐車場もかなり大きく、家族や友人たちと集まって楽しむことができそうだった!
そして須賀の森を抜けるとある場所にたどり着く
そこには慰霊碑が建てられている。
三机より出陣し、真珠湾攻撃で戦死した9人のために建てられた。
昭和16年11月に太平洋戦争へと出陣し、三机に戻ることはなかった。
その4ヶ月後の昭和17年3月6日9人の戦死が報じられた。
この戦死した士官たちを「九軍神」と言われているが、10名の士官が
人間魚雷として真珠湾の米戦艦に体当たりし、戦死したが、そのうち1名は
米軍情報収集を目的として潜航し生還している。
戦死した士官が9名なので「九軍神」と呼んでいる。
慰霊碑のそばには戦争で使用した戦闘機のプロペラがそのままの形で残っている。
銃弾の後が生々しく残っているため、これだけでも戦争の様子が想像できる。
昭和16年12月8日、ハワイ真珠湾攻撃で特殊潜航艇に乗り込み、湾内内の米軍艦隊に
肉弾攻撃を行い戦死した「九軍神」が日夜猛訓練に励んだ縁の地で昭和40年
九軍神の遺族が三机を訪れたのを機に、「広く世界の平和を呼びかける礎石とすべく」
須賀の森の一角に昭和41年8月に佐藤栄作総理の揮毫で慰霊碑を建立した。
その9名の全てが20代で、そのうち5名が20代前半で戦死していることを知った。
自分が現在25歳、5名は自分より年下ということになる。
自分が同じ状況になったことを想像すると、待ち構えている「死」への「恐怖」しか
考えることができない。
果たしてこの9名の若者たちはどういう心境になったのかと思うと
その写真の前から動くことができなかった。
それほど「戦争」というものを考えさせられた場所となった。
こちらでは戦争というものを考える機会になる場所だった。
他にも夏には海水浴やキャンプを楽しめるとあってとてもオススメだ。
ぜひレンタルバイクを利用して出かけませんか。
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アクセスは
国道197号線のメロディラインを佐田岬に向かって走ります。
道の駅瀬戸農業公園を越えて最初の曲がり角を左折し県道254号線に入ります。
あとは道なりに走っていき、三机湾沿いに走ると須賀の森に到着です。
バイクハウス阿部からの所要時間は約2時間ほどです。
ぜひ行ってみてください!
では今回の更新はここまです。次回の更新をお楽しみに!
レンタルバイク松山 たけうち ゆうすけ






