サヨナラじいちゃん
と、いっても僕の血族のじいちゃんは母が中学生の頃、親父方のじいちゃんは次女が生まれる年に亡くなっているので、嫁さんの方のじいちゃん。
幽門部胃がんでわかった時にはステージ4、リンパにも飛んでいて食堂も腫瘍で潰れており、手術は腫瘍の癒着で出来なかったので、ステントを入れこそしたけれど、満足に食べることが出来ず、8月30日に逝ってしまった。入院したと聞いてから二ヶ月も経っていないです。
手術も最後は水分しかとれず、最後は僕の釣ってきたチヌの潮汁だったはず。二口飲むのが精一杯だったと聞きましたが、飲んでくれたんやな…。
片親の嫁さんなので、僕からみればじいちゃんは育て親にあたるので色々と悲しいものがありますね。ついこの前まで会話してたのに。
本人は判ったときには色々諦めたようで、病院を出てから生前戒名やら話したい人にあって話するだとか色々したみたいで、やり残すことは無いと言って見立てどおりのタイミングで逝ってしまいました。
がんは残りの命がある程度読めてしまうので、心残りの整理とか、そういう意味では何時何時までに何をするべきか、はっきりするのでそういう意味では幸せな病気とも言われます。
年取ってからならそうなんかもなぁ…と、じいちゃん見て思いましたが、冷たくなった後、眉間の皺を見る限りお疲れ様だったなぁと思わずにはいられませんでしたね。
うちのチビも通夜から骨上げまで参加して何となくその意味するところがわかったのかなと。
光明真言
うちの実家は真言宗で、檀家になっている寺の大本をたどれば仁和寺に行き着くそうですが、嫁さん所もたまたま真言宗でした。
正直、通夜の読経はほぼわからんのですが、御宝号と光明真言だけはわかりました。
御宝号は南無大師遍照金剛ってやつですね。
光明真言は
オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン
ってやつですね。これはなんかもう刷り込まれちゃってて忘れない気がする。
お経をあげるにあたっての祝詞である開経偈である無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇 我今見聞得受持 願解如来真実義とかいうのもわかるのですが、今回の葬儀ではわからなかったなぁ…
本葬の方では般若心経も詠んでました。般若心経は昔、母方のばーちゃんが僕の受験の時に写経したのをもらったけど、何処に置いたんだか…
別に僕自身の信心は深くないのですが、僕の長男や僕のじいちゃんも墓に居ることだし、僕も四十九日までに写経してみるかなぁ…
こうやって段々仏さんにすがるようになるんですかね?わからんもんですね。
筆ペン
香典の表書きとかはぺんてるの筆ペンを使うんですけど、僕は字がめっちゃ汚いので写経はその練習がてらですかね。
ほんと、字が綺麗な事で人生損しませんからね。
39年間、漢字や習字というのは読めりゃええやん精神でしたが、そろそろ恥ずかしくなってきまして、この前は香典の表書きの前に画用紙一枚に「御霊前」書きまくってました。
筆ペンが書き心地が良いのもあるんですけど、無限に書いちゃいますね。上手くはならんけど。
嫁要らず観音
昔、軽トラの荷台で爆発音をさせるポンポン菓子売りが良く来てて、僕も大好きだったんですが、ポンポン菓子を買ったときに時々小さな観音様が入っている事がありました。
嫁要らず観音というもので、「嫁さんの手を煩わせること無くポックリ逝ける」観音様だとじーさんばーさんが教えてくれて、幼心では「そんなポックリなんて嫌すぎる!誰がこれ欲しがるんや?」と思って庭に投げ捨てた記憶があるんですが、今なら大事に仕舞っておくかなぁ…
そんな事を思い出しました。
それを教えてくれたじーちゃんも逝ってしまったし、ばーさんも5月に脳梗塞で倒れ、一命は取り留めたものの今は経鼻栄養で生を繋いでいる状態です。
まぁばーさんも92ですからね。大往生ではあるんですけど、そうなってから親父が日々般若心経詠むようになったとか。