おはようございます!
芸術の秋ってことで、文学について書きます。
「失われた時を求めて プルースト」
フランス文学の最高峰の作品です。特徴を二点に絞ると、
・描写
僕は、カンタン、単純、単細胞なんです。笑
むっちゃ素直。
気持ちも、嬉しい、元気、頑張ろう、とか数パターンしかありません。
ところが、プルーストの人間描写はすごい。
例えば、人を好きになる時って、その人の物理的な肌が好きでも、おはようって言葉が好きなわけでもない。
同じ言葉でも“想像力”によって相手の気持ちをイメージできるし、そこに温かさや優しさを感じられるから好きになるんですよね。
いろんな感情や複雑な内面世界を描写してるので、想像力、感情や感性が豊かになります。(これは文学全般に言えますが)
・自信
この作品を読んだら、世界中どの本でも読めるって自信がつきます。
ハタチ過ぎの頃、毎日少しずつ読んで半年くらいかかったかも。超大作。
読み通すことは、ある意味、精神の修行とも言えるかも。
【まとめ、仏文について】
さて、視点を上げて(抽象度を上げて)フランス文学全般を俯瞰します。
僕みたいな若造がすいません。
フランス文学が多く扱ってるテーマとは、【中年の危機】だと感じました。
(失われた時を求めて、ボヴァリー夫人(フローベル)、谷間の百合(バルザック)など、、)
中年の危機とは、贅沢な不幸のこと。
飢えてたら美味しい食事で満たされる、貧しかったら稼げばいい。
しかし、地位も名誉もお金もあり、毎日美味しい食事を食べ、愛する家庭も持っている。なのに満たされない。
全て満たされてるのに、満たされない。
この状態はどうしょうもない。解決策がない。
これが中年の危機、贅沢な不幸だと思いました。
ボヴァリー夫人のエンマは、この贅沢な不幸の解決を“刺激”に求め、破滅し、贅沢な不幸から本物の不幸に落ちました。
カミュやサルトルは別ですが、仏文は上流階級の社交を扱うことによって、この永遠のテーマに真正面から取り組んできたのではないでしょうか。
ふと、思い出しました。
ある大リーグの選手が引退の会見で、ぼろぼろ涙をこぼしながら、
「私は幸せです。ずっとずっと憧れてた大リーガーになれて、この舞台でプレイすることができて私は本当に幸せでした」
顔をくしゃくしゃにして絞りだしたその一言、一言に感動してしまいました。
デビューしたのが遅く(30近く)、たしか活躍した期間は数年だったはずです。
気持ちが痛いほどわかる。
この選手は、原風景を忘れてないんです。
小さい頃から大リーグに憧れてた、ハタチ過ぎても芽が出なかった、何度も諦めかけた、そしてついに夢だった大リーガーになれた。
そういった下積み時代の原風景を忘れてなかった。
だからプレイすること自体が幸せだし、感謝、ありがたいって気持ちでいっぱいだったのでしょう。
恋愛でもそうですよね。
片思いの期間が長いほど、付き合えたら一緒にいるだけでも嬉しいし、側にいるだけで幸せを感じるはず。
仕事でも、自分の才能を活かした仕事をしたいと決断して、
すぐに見つかるわけがなく、苦労して遠回りして、やっと自分にあって社会に貢献できる仕事を作り出した。
そしたら、仕事ができる毎日が幸せですよね。
原風景が大切。つまり初心を忘れないとも言えるかもしれません。
フランス文学を読んで、中年の危機、贅沢な不幸、すべて満たされてるのに満たされない心の状態があることを知りました。
これを解消するには刺激ではなく、感謝の気持ちだと最近気づきました。
そして原風景を忘れないこと。僕は今、確実に原風景(成功する前)なので、よく考えるとこの時期も「目指す自分に向かっていく宝物のような時期」かもしれませんよね!
うん。そうかもしれない。
では三連休の最終日、皆さんも素敵な休日を♪*