長々と、つらつらと。 | 平安寺ゆうすけのブログ

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日々日常の戯言をひとつ。

今日渋谷を歩いていて思った事。

東急本店の横を過ぎ、ちりめん亭の角を左に曲がって円山町に入る。

坂道を上って、club asiaを過ぎてO-EASTの向かい、ampmの7階。

それが俺が約8年働いた店7th FLOOR。

何度もこの道を通り、たくさんの人を見てきました。
(ちなみに、あそこの道「ランブリングストリート」っていうんだよ)

今日はちりめん亭を曲がったとこあたりで前に親子が歩いてた。

20歳に行くか行かないかくらいの娘と、その母親。

始めてこのへんに来た様子で辺りをキョロキョロ。

すると母親が一言。


「ねぇねぇ、ここ辞めよう。」

と、娘の手をひいて引き返してった。

恐らく東急本店で買い物をして、駅に向かうのか、ただの冒険心か、なんとなくちりめん亭の角を曲がったのでしょう。

確かにあそこらへんはあの角を逆に曲がれば松濤って高級住宅街だし。

でもこっちは、入ってみたらあるのはラブホテルの看板ばかり。

娘と2人で歩くには少し怖かったのだろう。




そう。

ここは円山町。

数々の飲食店とクラブとライブハウス、そして日本一を誇るラブホテル密集地。

(あそこのampm、実は日本で一番売上げがいいらしい。そして万引きも日本一。)

街には血気盛んな若者が溢れ、不良も多い。

でもこの街ではその不良達が主役。

その不良達が数々の日本のストリートカルチャーを産んで来た。

エネルギーを持て余した若者が多い分、治安も決して良いとは言えない。

でも、そのカルチャーを体感したい者は勇気を出してその街に入る。

入るとそこには日本では最先端のサブカルチャーがあった。

ここで幾多のシーンが産まれてきたんだな、と思わせる程のエネルギー。



















だった、、、。



少なくとも俺が東京に来たばかりの10年前は。

もう少し前はもっとスリリングな街だったって聞いた事がある。

俺が田舎から出て来たときは怖い街だった。

かっこいい不良がたくさんいた。


でも今は時代も流れ、随分安心して通れる街になった。

それは俺がこの街に慣れたのかもしれないけど、それだけじゃないと思う。

893マンションは軒並み無くなって、風俗店も随分営業し辛そう。

客引きのおぢさんたちも随分減って、クラブやライブハウスはことあるごとに風営法、風営法。

国なのか都なのか区なのか、自治体かどっかの大企業なのか、何なのか解らないが、そいつらは臭い物に蓋をし始めた。

別に悪いとは思わないけど、事実ここ10年で随分この街は変わった。

ま、一つの街の変化を目の当たりに出来た事はいい事だと思ってる。

一つの街にずっと居続ける事もそうそうないだろうから。

ただ、一つ言いたいのは、少なくともエネルギーを持て余した若者のはけ口としては随分役立ってくれたはずのこの街。

それが無くなったらエネルギーをもて余した若者達はどこへ?

無駄と言われるかもしれないストレスを抱えた奴らの遊び場は?

ここで遊んでる奴らは誰かに殴られた回数と殴った回数は人より多いかもしれないけど、

少なくとも昨日までの友人を「むかついた」ってだけではさみで刺し殺したりしない。

人にはそれぞれ思想や趣味があるから、酒を飲んだり、大きな声で叫んだり、人に負けないよう虚勢をはったり、行き過ぎたら押さえつけられたり、、。

こうして自分のバランスを保つ者もいるんだ。

それは甘い物食べまくって、ブランド品を買いあさって、カラオケでストレスを発散する人と同じように。

俺は不良ではない。

ただ、ブランド品買っても特に満たされることも無い。

カラオケ行ってもストレスは発散できない。

ただそれだけなんだ。

かといって言いたい事面と向かって言っちゃって人と喧嘩してスカッともしない。

でもそうゆう奴は嫌いじゃない。

でも、人の悪口をひたすらキーボードめがけて叩き付けるような根暗な奴は好きじゃない。



だからこの街に居たんだと思う。





時代なんて結局は人が変えてくんだよね。

この街だってこの10年で色んな人が出たり入ってりして、その人に合わせてこの街も変わって。



全然話し変わるけど、今日久々にうちの店で「チキン南蛮」食った。

元々この店はチキン南蛮は名物メニューで、とても美味しかった。

前の料理長がいた3年くらい前まではとても評判が良かった。

ライブハウスなのにそれだけを食べにくるお客さんもいたくらい。

でもその料理長が辞めてから、チキン南蛮はいつのまにかメニューの片隅に追いやられてた。

今日たまたま宮崎県出身のシンガーソングライターのライブで、チキン南蛮をフューチャーした。

ついでにと思い食べた。






3年前のうちの看板メニューでは無くなっていた。



美味しかったけどね。

やっぱ人が変わると「それ」も変わる。

でもその変わった「人」に付いてくる「人」が居る。

そうやって時代って流れてくんだろうな。と思った。

だからといって昔が良くて今が悪いとは全く思っていない。

今は今で昔になかった良いところが沢山あるし。

でも、その失った物だけを考えると淋しくなった。

ま、失った物だけを考える事自体が間違ってるのは承知なんだけど。

でも、何故か勇気も湧いた。





これから俺はこの店とこの街を出て、新たに店を始めるんだけど、その店でまた一から作れる。

あるものの色を変えるんじゃなくて、無いものから色をつける。





俺の中で円山町はもう終わった。

こんな田舎っぺばっかの街!!!!!
(淋しさで無駄に悪態ついてみる)

これからは宇田川町だ!!

宇田川町に新しいシーンを作る!!





その意気込みで頑張る。

新しい店には新しい店で面白い奴らが集る。

そいつらの駆け込み寺になる。

いつかそいつらの中からでかくなった奴がお金を落としてくれるさ。(笑

金持ちになるのはそれからでいい。





いい店になるから皆も遊びにきてね。

「そういや宇田川町っていつからこんな街になったっけ?」って言わせてみせる。


というように、いつの間にか、どっかでこうやってこんな気持ちをもった人が円山町に来て、円山町を変えてったんだと思う。



そうやって時代とか世代とかって流れてくんだと思う。


だって、今の歳でももう世代が違う良い物が出て来てる。





焦ってもしょうがないけど、のんびりしてらんないよね。


さ、頑張ろ~。


長々と失礼。(笑