1年前のちょうどこの日、親友で人生の師と仰いでいた人がこの世を去った。
本当に突然のことだった。未だにまだ信じられない。
その人(JB)は、僕より20歳近くも年上のおばちゃん研究員のアメリカ人だった。
僕がアメリカに来た時はJBは違うラボで働いていて、ほとんどJBのことは知らなかったので、デパートメントのメーリングリストに仕事と関係ない情報などを流していたりしているなんか面倒くさそうな「おせっかいおばさん」だなぐらいに思っていた。
アメリカで働きだして4年ぐらい経った頃、JBはうちのラボに移籍してきた。そこから密に関わるようになって、あぁこの人は「おせっかいおばさん」なのではなくみんなの「お母さん」なんだっていうことがわかってきた。
その頃の僕は、典型的なシャイな日本人で気を許した人としか喋らず、殻にこもっていた。
「仕事ができればそれでいいでしょ」的なオーラをバンバン出していたと思う。
それを見たJBは、僕の良さが周りに伝わっていないことを危惧して、デパートメントの人たちとランチをセッティングしてそこに僕を連れ出してくれたりして、社交性を教えてくれた。
今の仕事に就けたことの理由の一つがこれだと思っている。
その頃僕は、アシスタント・プロフェッサーの職を探し始めインタビューを受け始めたのだが、行くとこ行くとこ落とされた(おそらく、インタビューの時に全然喋れなかったのが大きな原因だったと思っている)。
しかし、JBとランチに行くようになってから、アメリカ人数人と食事に行ったり、しゃべったりするのがそこまで苦痛にならなくなっていて、それからというもの、インタビューでも知らない人となんとなく会話を続けることができるようになっていた。
そして、果たしてこれは偶然なのか何なのか、JBがもう直ぐ定年退職すると決めたぐらいの時に僕のノースカロライナの仕事が決まった。そして、僕が前の職場を辞めるちょっと前にJBは定年退職した。ちなみに、JBが辞めるときには、それまでの功績が讃えられとても大きな賞をもらっていた(単なる研究員でここまでしてもらえる人はなかなかいない)。
実はその後も交流は続いていて、ノースカロライナに来てからも、週一回はスカイプをしてラボの立ち上げのことや独立に関しての不安など色々と相談していた。
それが突然JBは昨年の1月ぐらいに体調を崩したと思ったら、あっという間にこの世を去ってしまった。ほんと直前まで、スカイプしたりメールでやりとりしてたりしてたのに。。。
もう本当にJBにはお世話になりまくった。ここでは書ききれないぐらいあらゆることを教えてくれた。今の僕がこうしていられるのは、JBのおかげであることは間違いない。
また、JBはうちの子達のこともすごく可愛がってくれて(JBは残念ながら自分の子供ができなかった)、旅行先からうちの子どもたちに手紙を送ってくれたり、うちの子どもたちの写真をオフィスに貼ってくれていたり、僕の家族のことも本当に大切にしてくれた。
僕もうちの子達もJBのことは親友だと思っていた。僕は今でもそう思っている。
もう今後、家族以外であそこまで僕らのことを大事にしてくれる人は出てこないだろう。本当に惜しい人を亡くしたと思う。
全ての出来事には理由があるって言葉じゃないけど、JBは僕がここにアシスタント・プロフェッサーとしてくるために現れたんじゃないかと思うときがある。
そして、JBがいなくなったのは僕に「私からもっと自立しなさい」ってことだったのかもしれない。
僕のラボを見せることができなかったのが心残りだけど(近いうちにこっちに遊びに来たいっていつも言ってた)、JBがいなくなった意味を考えながらこれからも頑張ろうと思う。
JBが遠くの空から見守っていてくれていると信じて。
こちらをポチッと応援お願いします。