おはようさんです
夜中はCHAT GPTに関するユーチューブを見ていた
自分の拙い文章をGPT先生にリライトしてもらったら
ぶったまげるほどブログ記事らしくなって驚いた
でも、多分使わないかも、今はね
さて本題
透析生活が続く中で
スタッフの入れ替わりも有ったりして
そんな日常のワンシーンなんだけど
透析室のベッドで横になって
さあこれから次々と穿刺されていく
いつもの流れで寝ていたら
パーン!
と若手技師さんが手をたたく音
隣の患者さんが
「びっくりしたー怖いよー」
若手技師「気合ですよ気合!」
さっと流れた一幕なんだけど
とても根深い問題だと思っている
比較的にできるスタッフさんはあまり
みられないことだけど
若手の男性スタッフは良悪どちらの意味でも
勢いがあり、それが時に怖く感じるよね
できる看護師さんや技師さんは
患者の前に来ると動きや気持ちが静かになって
できる限り患者にプレシャーを与えないように
強気ややる気は内面に治めているように感じる
それでいて気さくに雑談できる
若いと気持ちがあるのは頼もしいけど
穿刺に勢いとか怖いですから
俺みたいなおっさんでも
若いあんちゃんが怖く感じますから(>_<)
みんな優しいのだけれどね
気にしすぎれば窮屈に
気にしなければ患者はコワゴワ透析人生で
QOLの低下に
昔から思うけど20代で
悟りの境地までたどり着いて
お願いします
って、無茶なのは分かるけど
人間についてもっと向き合って考えてって思う
看護師は比較的人間に向き合う仕事だけど
技師さんは機会に向き合うのがメインだと思うのだけど
機械に向き合うペースで患者に向き合うと
争いの種になると少し感じている
偏見というか俺の実感をあえて書いておく
「物」にこだわった人生の人と
「人間」にこだわった人生の人
後者のほうが人間的な成長が
圧倒的に早い気がする
それは世の中的に観ても
「物」を扱う営業マンは別にしてね
医療スタッフ様々いるのは承知の上
でも傾向として思う
患者は透析という鎖につながれているのが現実
逃げられない
そして基本、時と共に弱くなっていく
身体も気持ちも視野も
「弱い人の極み」
一度、真剣に考えてほしいと思う
面倒な患者、怒鳴る患者
その根底に流れている本能は
「死」への恐怖に対する
自己防衛本能かもしれない
「命の危険」を感じさせるスタッフは
必ず一定数いてそれはしょうがない
透析患者としては
「大切なことに気づいて!」
と願いつつ向き合うしかないんだよね
言うのは簡単だけど人間の成長は
言葉の理解を超えた感覚だったりすると
時間がかかるのはしょうがない
さてと、透析だけど
あ、いい天気だな
今日は・・・穿刺、誰かな?
またな