葬送のフリーレン第27話を見て | 【ユウの第三の眼】

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透析患者で障害者としての思いを書いていこう

今回は「ゆらぎ」に関して思ったこと

 

昔、放送大学で企業統治の授業を受けていた時

その担当の先生がおじいさん先生だった

どこにでもいそうな、しわくちゃで静かな物腰の

小柄なおじいさん

 

でも授業のビデオを見た時のおじいさん先生は

背広を着て、フランス・アメリカ・ドイツだったか

現地を訪れて、三か国語で話し、凄い人だなと思った

 

一度だけ学校でそのおじいさん先生の授業を受けた帰り

遠目で何気なく先生の後姿を見ていたら

先生がふっと振り返り、視線が合い

先生は軽く会釈をして去っていった

めちゃくちゃカッコいい、おじいさん先生だった

 

「ゆらぎ」って現代ではどういうことをさすのだろう?

 

多分、本当の実力の時の人物像と

実力を抑えているときの人物像に違いがあり

時折見せる実力のある喋りやクセ、視線や話の内容が

垣間見えるものが「ゆらぎ」として感じ取れるのでは?と思う

 

じゃあなぜ、実力を抑える必要があるのか?

 

たぶん、日常の生活では社会で身につけた「力」は必要ないから

闘争本能もいらない、生活は戦いじゃないから穏やかに生活をしたいと思う

戦いに勝つには「欺く」は確かに必要だ、道化を演じることで得られるものが

あることは歴史が記している

 

 

でも、「花を咲かす魔法」はいいね

実力のある人って、よく花の写真を撮ったり描いたりするね

どんな小さなことでも、自分の身の回りで花を咲かす魔法

できたらいいね

またな