今回は「ゆらぎ」に関して思ったこと
昔、放送大学で企業統治の授業を受けていた時
その担当の先生がおじいさん先生だった
どこにでもいそうな、しわくちゃで静かな物腰の
小柄なおじいさん
でも授業のビデオを見た時のおじいさん先生は
背広を着て、フランス・アメリカ・ドイツだったか
現地を訪れて、三か国語で話し、凄い人だなと思った
一度だけ学校でそのおじいさん先生の授業を受けた帰り
遠目で何気なく先生の後姿を見ていたら
先生がふっと振り返り、視線が合い
先生は軽く会釈をして去っていった
めちゃくちゃカッコいい、おじいさん先生だった
「ゆらぎ」って現代ではどういうことをさすのだろう?
多分、本当の実力の時の人物像と
実力を抑えているときの人物像に違いがあり
時折見せる実力のある喋りやクセ、視線や話の内容が
垣間見えるものが「ゆらぎ」として感じ取れるのでは?と思う
じゃあなぜ、実力を抑える必要があるのか?
たぶん、日常の生活では社会で身につけた「力」は必要ないから
闘争本能もいらない、生活は戦いじゃないから穏やかに生活をしたいと思う
戦いに勝つには「欺く」は確かに必要だ、道化を演じることで得られるものが
あることは歴史が記している
でも、「花を咲かす魔法」はいいね
実力のある人って、よく花の写真を撮ったり描いたりするね
どんな小さなことでも、自分の身の回りで花を咲かす魔法
できたらいいね
またな