「人間」生きる、「社会構造」は生きてる? | 【ユウの第三の眼】

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透析患者で障害者としての思いを書いていこう

寝起き、おはようさんです( 一一)

じゃがりこ噛り付きつつ、パックのミルクティー一気飲み

美味い・・・

手首周り細いので大丈夫な範囲

だるい、眠い、かったるい

 

黒サバユーチューバーが丁度ライブしていたので

ボケっと聞きつつ意識の覚醒を待つのと

何しよっかなってのと、ほかの人のブログを拝見しつつ

色々思いを巡らせたり、タイトル何にしよって迷ったり

 

ある程度、社会で生活で動いてきた人は比較的、活動的に動けていて

仕事を継続している人や、買い物やイベント行ったりできているんだろうなと

思うが、俺は筋力落ちて動けん、つらいがもう日常の事

 

でも、多くの透析をしている人は様々なダメージで行動力や社会的な活動力そして

精神力が削られていき、生きるしかばねのようになっていく

ネガティブなことを書いているがたぶんそれが事実

で、昔から死に際の人の話とか死と向き合うということ

死を受け入れることがどのようなことか、医療ドキュメントなども見ていた

 

やっぱり、「精一杯生きる」ということに尽きるんだろうね

で、人生後半は自分の思考・感情・身体と向き合うこと

意識と向き合うことが中心になってくる

いろんなことが、思い道理にいかなくてイライラしたり

それが自然な流れなんだと思うけど・・・

「精一杯生きる」って難しい、思いと現実の体の状態が乖離していると

精一杯楽しめず、生きれず、死ねず

どんどん病気による制約が多くなっていく

全身鎖でグルグル巻きにされ重い枷をつけられているよう

 

そんな中で思うのは

世の中で頑張っている人を見ていると少しだけ気持ちが明るくなる

病院のスタッフさんもそうなんだが、何気ない努力を感じると嬉しいなって思うし

希望の光に感じる、温かい気持ちでいられる

 

俺はこの制約の中で何ができるのかな?

 

麻痺性障害者はパターンが分かれば活動の規模拡大ができるが

内部障害はパターン化が難しいため活動したくても

約束を守れないことがあると考えると自分で社会活動にブレーキをかけてしまう

 

透析医療のページで「フレイル」?だったか社会活動力低下に関して書いてあるが

寝たきりとかもそうだが、何のために生きるのか?気力がわかない問題は

時代の問題もあれば、様々な要因があり難しい

でも、一つ思う真実は「人間」それが答えのキーであることは間違いない

そして、「人間」を活かすのは人間なのだが面倒なことに

社会の仕組みと構造が人間を活かす状態にないと感じてしまう

まだ何か時代が早いのか、リソースがないか、

かといって、「じゃあ何が必要なのか?」と言われると「分からない」

なんだよね・・・

でも、この流れは歴史をたどっても多分ずっと同じ・・・

 

やっぱり、寝たきりになる前に人生一度きり

一歩踏み出して、思い切り生きることが大事なんだろうね

乙武さん頑張っているなと思う、彼も言っているが自分の代わりがいないって

彼も同じように障害者としてきっと強い思いがあり動き暴れている

遠回りに観えるが、あれでいいと思う、見えていることが大事

障害者にとっての精神的な支柱の一つになりうる存在だと感じるから

そのような障害者は昔からいた、すごいエネルギーが必要だろうね、俺には無理だ

 

さてと、一行目から3時間たってしまった^^;

ウーロン茶飲みたい、やべ、じゃがりこ食いすぎて喉乾いて焼けそうだぜ

またな