この人を聞きたい(第177回)今松ひとり会(その47)終了 | 遊心亭のブログ

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若手二ツ目の会、聞きごたえのある真打ちの会を開催。

先日は「この人を聞きたい(第177回)今松ひとり会(その47)」にご参加いただき有り難うございました。
今松師匠の「夏の医者」は枝雀師匠からの上方版で、噺の構成が少し違っていました。
今回の演目は
柳家小はぜ  かぼちゃ屋
むかし家今松 夏の医者
むかし家今松 お化け長屋
でした。
次回の今松ひとり会は8月3日(土)17時から新宿無何有での開催です。


「むかし家今松」という名前
噺家には出世名というものがあった。将来生のある弟子に名乗らせ、真打になるときには大きな名前に改名させるのである。
むかし家今松もその一つで、古今亭志ん生一門の出世名であった。
初代今松は、後に三代目志ん生になった人である。志ん生一門の二代目古今亭今輔の弟子で、はじめは古今亭今松だったが、明治21年にむかし家に変えた。今松から五代目雷門助六で真打になり、明治43年に志ん生を襲名した。
二代目は、初代と同じ二代目今輔門下で、今之助から明治29年に改名した。その後、小助六を経て、明治48年古今亭志ん馬で真打ちに昇進、六代目金原亭馬生から大正13年に四代目志ん生になった。鶴本の志ん生と呼ばれ、昭和の名人、五代目志ん生の師匠である。
その後は、鶴本の弟子の今之助が大正9年に今松を名乗ったが、この人は古今亭今松だったので、代数に入れるかどうか難しいところ。後の三代目柳亭痴楽である。
三代目(四代目)は、現今松の師匠十代目馬生が入門したときに名乗った。二ツ目でスタートしたが、仲間から「先の今松はもっとよかった」と言われて、古今亭志ん朝と改名。また今松に戻っている。
四代目(五代目)は先代の金原亭馬の助、五代目(六代目)が古今亭圓菊で、どちらも二ツ目時代に名乗っている。
その次が、当代の今松で、はじめて今松の名前で真打ちになり、今松を出世名から看板名に昇格させた。師匠馬生の芸を単位継承するだけでなく、独自の工夫をこらし、また師匠のやらなかった大ネタにも挑戦している。今松は今や立派な大看板だ。
柳家一門の出世名を大看板にした、当代の小三治に匹敵すると、私は思っている。
(出展、筆者不明)