横浜を作った男

 

 東京五輪前年の1963年に横浜市長に選ばれた飛鳥田一雄、その飛鳥田が横浜の都市づくりの構想を発表したのが1965年。

 その時の内容が、

 ■都心地区(MM21)整備計画
 ■港北ニュータウン計画
 ■富岡・金沢地先埋め立て計画
 ■都市高速度鉄道(市営地下鉄)計画
 ■都市高速道路計画
 ■横浜ベイブリッジ計画
 

 当時は、「夢のような話だ」と言われた。

 それが今、すべて成し遂げられている。

 今横浜で一番人気のある街はみなとみらい地区。そのみなとみらい地区は、大昔は海だった。変われば変わるもんだ。

 

 その6大事業のもっと前の時代、横浜を作った男がいた。

 名前は高島嘉右衛門という人だ。

 

 私の好きな作家に「高木彬光」(1920~1995)がいます。

 彼は推理小説家であり、占いに通じていた。彼の描いた「横浜を作った男」を読んで、その当時の横浜の出来事を知りました。

 横浜に住んでいる人はもちろん知っていると思いますが、横浜駅の次に高島町という駅があります。

 この高島という名前は「高島嘉右衛門」に由来します。

「 高島嘉右衛門」は高島易断の創始者でもあります。

 

 この「横浜を作った男」を読んでみた感想は、

 男の一代記としては非常に面白い。波乱万丈という言葉がとてもしっくりくる。こんなに近代日本の発展に貢献した人物なのに、あまり知られていないのは、やはり易者というものに何かいかがわしいイメージが付きまとうからなのかもしれない。

易者というと、その能力で危機回避したり、人を占って収入を得て生活していくというイメージを持ってしまいます。もちろん将来を判断するのに易を使います。本を読むと、彼の判断や行動力は、実業家そのものだということがよくわかります。明治の横浜は外国人が数多くいたのですが、新しい町である横浜には金持ちの外国人が泊まれるような高級旅館がないと見るや、作ってしまう。料理人や下女も歴史のある料亭や旅館からスカウトしてきてしまうのですね。そうやって伊藤博文や大隈重信、陸奥宗光と言った明治時代のトップと親交を深めていきます。他には鉄道を引いたり、ガス灯を作ったり、風俗街まで(!)作ります。自分の利益も狙いますが、同時に明治期の日本の発展を願って、さまざまな事業に手を出していきます。
占いの精度もすごいですが、それを信じきる心の強さは並大抵ではない。高島嘉右衛門のダイナミックな男の生きざまが感じ取れる一冊です。

 

 横浜の歴史は、1859年7月1日に、現在の横浜市中区の関内付近に開港された。

 まだ165年しか経っていない。

 今では日本で一番人口が多い市になっています(2位は大阪市)。

 

 是非、必見の一冊です。