火野正平 若くなるには、時間がかかる 

 

 時間と年齢の貯金

 

 火野正平の自転車で、人々の思い出の場所を旅する番組、『にっぽん縦断 こころ旅』。

 

 この中で、彼は「人生下り坂がいい」と言っていたのを覚えている。

 自転車での旅なので、上り坂は辛い。当然、「下り坂」のほうが良いに決まっている。

 それで自虐的にボソッと言ったんだろう。

 

 最近、「老いる」とか「年を取る」とかを考えてしまう。

 今更だが、「年を取る」ということは、自然の摂理だということは十分わかっている。毎日、体の方は年を取って行く。でも頭が年を取ることがよく分からないんだ。「人生下り坂がいい」ではないけど、「下り坂の思考」についていけないので、「老いる」ことを受け入れることができないのだ。

 

 「もうそんなに若くない」と思う年になるかはその本人次第なので、30歳後半で「もうそんなに若くない」なんて思っちゃう人もいれば、70を過ぎても「まだ若い」と思う人もいる。90歳になってやっと「もうそんなに若くない」なんていう人だっているんじゃないかな。

 

 一昨日、ひめかちゃんが来た時、私のことを「おじちゃん」と呼んでいたのが、その日から「おじさん」に変わった。

 彼女は、この4月から高校生になることもあって、話す言葉も敬語を使う場面が多くなった。「少年→青年→中年→老年」となっていく順序の今まさに「青年」だろう。

 そのうち、私のところに来なくなっちゃうんだろうなぁと思っている。

 

 彼女は、私のことを「おじいちゃん」と心の中では思っているかもしれない。

 「老い」というものを認める場合、「自分はもう年だ」と思って「老い」を認めたとしても、それで老人になれるわけではない。

 それじゃあ自分は今どこに位置しているんだ。

 「少年→青年→中年→老年」のこの4段階の最後に当たると思うが、自分はまだ認めていない。

 だって、ただの外形的な変化だけで老年(老人)と呼ぶのは違うだろう。

 

 娘は、「おとうさん、往生際が悪いよ」なんて言うだろう。

 

 時間と年齢の貯金は、あとわずか。

 できることなら、30歳代に戻りたい。

 

 火野正平 「若くなるには、時間がかかる」