日本酒で昔、なつかしい経験談をお話しします。
唎酒師の資格を25年前に取得しました。当時の資格取得条件の一つに、蔵元(酒造元)に行き、酒造りの体験を義務つけられていました。
私が向かった蔵元は、栃木県大田原市の「天鷹酒造」でした。
その時の参加者は4名だったと思います。
麹菌を振りかけたり麹造りをしたりの体験をさせてもらいました。
また数種類の唎酒もさせて頂きました。
その唎酒が素晴らしかった。
数種類あったと記憶しています。
新酒や古酒もありました。
かたわらで天鷹酒造の方が熱心に説明してくれたのが印象的でした。
唎酒をする際、利いた分のお酒を口から出します。相撲の「力水」のように口元を隠してはきだします。
その際、用意されている「はき」というバケツがあります。
みんなその中にするのですが、中に杉の小枝が入っているではありませんか。
そうすることで自分の唾液で他の人が不快な思いをしないですむ。
初めて知りました。
この思いやりには感動をしました。
その時です。
一人のおじいさんがのこのこ入ってきました。
見るからにみすぼらしい恰好でした。田舎でよく見かける黄色のJAマークの入った帽子をかぶり、ぶつぶつ言いながら近寄ってきました。
天鷹酒造の方々が、このおじいさんに丁寧なお辞儀をしていました。
「大恩ある人です」と紹介してもらいました。
このおじいさん、私たち体験者にお酒の説明をしているのですが、訛りがあまりにもひどく聞き取れません。単語で何とか理解するしかない状況でした。
でもお酒の飲み方や継ぎ方を教えてもらえて感謝でした。
それが今、私が移住した那須で「天鷹」のお酒がどこのお店にも置いてあり、唎酒をした当時よりも種類が多くなっていることにも感激です。
綾小路きみまろが「あれから40年」とよく言いますが、「あれから25年」があっという間に経ちました。
日本酒とビール(私は、蒸留酒はめったに飲まない)、いままでどのくらいの量を飲んだんだろう。
竹内まりやが歌う「人生の扉」の歌詞で、
「満開の桜や 色ずく山の紅葉を
この先いったい何度 見ることになるだろう」
この先、いったい何年生き、またお酒を飲むことができるだろう(笑い)