鳥山明先生の訃報に際して
心よりご冥福をお祈りいたします。
ドラゴンボールは僕の少年時代の全てでした。
僕は鳥山先生に憧れて漫画家になりたくて
小学校4年生から中学生になるまでずっと夢でした。
僕の中でまた一つピリオドがついた気がしています。
ドラゴンボールを集めて先生を呼び戻す野暮なことは致しませんから、どうか、どうか安らかに。
本題
最近、大人になるということはこういうことなんだなと感じることがあります。
それはこの世を去った人の情報に触れる度、「あ、この人知ってる!」という人が増えていくことです。
小さい頃、有名な方の訃報を見ても「誰だ?」となっていましたが、今では馴染みの顔がちらほら。
当たり前のことですが、少年だった僕が成人しているのですからみんな歳をとるわけですね。
人間ですから、みんな平等に死んでいく。
馴染んだ顔や声、名前もよく耳にすることになっていくのでしょう。
大人になるって嫌ですね…。
今テレビやネットで有名な大御所と言われる人たちもいつか…なんて不謹慎なことを考えてしまう、そんな弥生の金曜日でした。
ふと思い返すに僕は周りの存在をいつも当たり前だと思っちゃうんですよね。
明日も会えるって、明日も居るって、「また」があるって思っちゃうんです。
でもやっぱりこの世中には当たり前のことなんて無くて全てに儚さを感じています。
平家物語の一説『ただ春の夜の夢の如し、ひとえに風の前の塵におなじ』は見事にこの世の儚さと万物流転を言い現していると思います。
日頃の挨拶も変わらず今日を迎えられたことに感謝し、明日も変わらずまた会えますようにと願いを込めて交わしているのだと考えたら無碍にはできませんね。