三連休の真ん中の日曜日です。

 

広島市南区にある離島の似島(にのしま)に行って

 

きました。

 

似島にある安芸小富士に登りますが、今回は似島の

 

悲しい歴史の戦争遺跡を巡ってこようと思います。

 

 

話は変わりますが、広島は前年より何故か熊の目撃件数

 

が減少しているらしいのですが、ゼロではないのです。

 

毎日生々しい熊ニュースを見ていると”ぼっち登山”には

 

気になります。

 

前回に続いて今回も離島を選択。

 

このマインドはいつまで・・・・・。

 

 

 

 

 

朝、沖合3㎞に位置する似島の安芸小富士をバックに

 

フェリーが広島港(宇品)に入港してきます。

 

見た通りの富士山に似た小山なので安芸小富士と呼ぶ。

 

 

 

 

 

フェリーには日曜日ということもあり、自転車を持参

 

している二人連れ、釣具を持った親子連れが目立つ。

 

楽しそうです。

 

 

 

 

 

沖から見る広島の街。

 

 

 

 

 

20分の船旅で似島港に入港。

 

安芸小富士への山登りスタートです。

 

 

 

 

 

前回も島々の景観を堪能しましたが、今回も海です。

 

対岸は広島市街、左端に宮島、貨物船とカキ筏が

 

見えます。

 

 

 

 

見覚えのある大きな竹林、ミモザの群生地を通り抜けて

 

登っていく。

 

 

 

 

 

似島港が眼下に広がる。

 

登山道周辺に砲台跡と思われる直径5~6mの窪みが

 

複数あります。

 

山頂付近で若い先生数人に引率された中学、高校生

 

30名程の団体さんが続々と下山してきた。

 

まだ朝9時台なのですが、早や登頂して下山している。

 

挨拶は元気に大きな声でしてくれるので、元気に

 

返しました。

 

 

 

 

 

似島港から1時間程で標高278.1mの安芸小富士山頂

 

に到着。

 

山頂に着いたときには誰もいませんでした。

 

 

 

 

 

広島市街地方面。

 

山頂からは今まで登った山々が遠くに見える。

 

 

 

 

 

 

峠島(とうげじま)の周りにも沢山のカキ筏。

 

ニュースで安芸津付近のカキ養殖は海水温が高い

 

せいなのか9割のカキが死んだと報道されていた。

 

ここら辺のカキ養殖は大丈夫なのでしょうか。

 

 

 

 

【戦争遺跡】

 

これから戦争遺跡を巡っていきます。

 

予備知識(歴史背景)を仕入れたので紹介

 

「軍都広島」を支えた似島には多くの戦争遺跡がある。

 

戦地から帰ってきた兵士に対して伝染病(コレラ等)の

 

検疫・消毒をする施設(検疫施設)が造られた。

 

原爆投下後は多くの被爆者が運び込まれ臨時野戦病院

 

となり治療の甲斐なく殆どの負傷者は亡くなり埋葬された。

 

・・・という歴史を持つ島なのです。

 

 

 

 

似島学園に下山していきます。

 

学園には市立の小学校、中学校もあり全寮制で

 

児童養護施設という位置付けになっています。

 

学園の位置は日清戦争直後の明治28年(1895)に

 

第一検疫所が建設されていた場所です。

 

 

 

 

 

似島学園のグランドの傍にレンガのトンネルがあります。

 

何も書かれていないのですが、この奥にある弾薬庫に

 

通じる道なのかと思います。

 

 

 

 

 

 

トンネル横のコンクリートの階段を登り土塁の上を歩いて

 

行くと歩哨所跡がある。

 

弾薬庫の建物跡はないようですが、弾薬庫はこの土塁で

 

囲まれていたようです。

 

 

 

 

 

 

後藤新平先生の銅像と略歴の説明板

 

似島学園から海岸線を北に歩いて行くと、曲がり角で突然

 

後藤新平先生の銅像が海側に立っているのに出くわす。

 

 

説明板には検疫所についても詳しく書かれていました。

 

その概要は次の通り。

 

日清戦争後の明治28年(1895)に中国大陸、朝鮮半島からの

 

帰還兵の検疫のため後藤新平の設計により陸軍検疫所

 

を僅か2ヶ月で完成させ検疫を開始した。

 

蒸気消毒・薬物消毒・沐浴・焼却・船舶消毒・船舶検査科

 

などがあった。

 

帰還兵の輸送船が沖合に来た時点で船舶検査で検疫

 

開始、その結果により検疫所でゾーニングして

 

対処した。

 

 

 

 

 

帰還兵輸送船用の二つの桟橋跡がある。

 

 

 

 

 

向こうに見えるのが二つ目の桟橋跡。

 

 

 

 

 

二つ目の桟橋

 

一つの桟橋は帰還した兵士が上陸する「未消毒桟橋」

 

もう一つは消毒が終わり、感染していないことが確認

 

できた兵士が故郷に帰る「帰郷(既消毒)桟橋」として

 

使われていた。

 

 

 

 

 

更に北には第一検疫所焼却炉の煙突が海岸の崖にある。

 

明治28年建造された煙突。

 

検疫所の汚物を焼却した赤レンガの煙突。

 

焼却場は別の場所にあり、煙突だけがこの場所に

 

移築されたらしい。

 

 

 

 

 

海岸沿いを歩いて、今度は島の南側に行きます。

 

似島学園を通り過ぎて見たところ。

 

学園桟橋があり、一日に3便ほどフェリーが立ち寄ります。

 

 

 

 

 

 

旧暁第6165部隊は昭和16年(1941)に編成され

 

最後はこの地で野戦病院を開設して一万人の

 

原爆被爆者を看護した。

 

治療、看護を行ったが甲斐もなく殆どの被爆者が

 

亡くなったとのこと。

 

今、その跡地には「広島平和養老館」という特別養護

 

老人ホームが建っている。

 

 

 

 

 

ユーハイム似島歓迎交流センター近くに三つの桟橋跡

 

があります。

 

北から第一、第二、第三桟橋で石積みが残っており

 

漁船が係留されている。

 

第一桟橋は上陸用で荷物や帰還兵士の上陸用。

 

第二桟橋は消毒済み兵士が故郷に帰る出港用。

 

第三桟橋は原爆投下時に市内から搬送された負傷者を

 

多く上陸させた。

 

 

 

 

【ユーハイム似島歓迎交流センター】

 

 

第一次世界大戦で捕虜になり、似島の捕虜収容所に

 

いたドイツ人のカールユーハイムがここでバームクーヘン

 

を日本で最初に焼いた。

 

 

 

 

 

明治には歓迎交流センター位置に第二検疫所があった。

 

その後、捕虜収容所も設置された。

 

今は似島歓迎交流センターとなり、宿泊・浴場設備

 

や広い芝生広場があり憩いの場になっています。

 

 

 

 

 

【旧陸軍馬匹検疫所焼却炉】

 

似島歓迎交流センターの敷地の隅にあります。

 

元々は死んだ軍馬を焼却するために造られた。

 

昭和20年(1945)8月6日の原爆投下により亡くなった

 

被爆者の火葬に使われたが追いつかなかったという

 

ことです。

 

 

 

 

 

 

馬匹検疫所焼却炉跡

 

 

 

 

更に島の南に行けばまだ戦争遺跡があるようなのですが

 

ここで終了とします。

 

百数十年前が始まりで、今では戦争遺跡は新しい

 

施設に変わっています。

 

時代は変わります。

 

でも当時の似島の住民の負担は大層大きかったものと

 

推察します。

 

 

ここから似島峠を経由して島の反対側にある似島港

 

まで歩きフェリーで帰ります。